気仙沼のほぼ日便り

前回、前々回の、
ゴールデンウィークの様子につづいて、
今回は、わたくし、
ほぼ日アルバイトのまりさから、
ゴールデンウィークに行った
ボランティアのことをお伝えします。

去年の同じ時期、福島県の相馬市に、
ボランティアに訪れてから1年、
今年のゴールデンウィークは、
家族で、宮城県南三陸町に行きました。
気仙沼市のお隣にある南三陸町まで、
東京から車で約7時間。
父、母、兄、わたしの4名で
交代で運転しながら向かいます。

石巻インターを出て、
海岸に近づくにつれ、
津波の傷跡を目にするようになりました。
だれもいない、
冠水したままの学校では
震災当時の時刻のままの時計が残っていました。

最初に向かったのは、
宿泊場所であるキャンプ場です。
南三陸町災害ボランティアセンターから
それほど遠くはないキャンプ場に
テントをはります。
リアス式海岸がすぐそこに見える
とてもすがすがしいキャンプ場です。

ボランティアの活動は翌日からでしたので
この日は、町の様子を見てみようと
気仙沼の方まで車を走らせました。

車の中から町の様子を見ていると
1年前に見た相馬市の風景にはなかった
色々なものが増えていました。
たとえば、仮設コンビニ、復興商店街、
それから、新しい電柱。
1年前には、震災で倒れた電柱と
震災後に立てられた
新しい電柱の2本が一箇所にありましたが、
いまはもう古い電柱は撤去され、
新しいものだけが立っています。

気仙沼の町を見たあと、
陸前高田の方にも足を伸ばそうと思ったのですが、
この日は冠水のため、
通行止めで行けませんでした。

次の日。
南三陸町災害ボランティアセンターに
わたしたちが到着したのは、7:30。
そのころは、まだ人がちらほらでしたが
受付時間の8:30に近づくにつれ、
人が集まりはじめます。

気がつけば、かなりの大行列。
新商品の発売日でもなければ、
おいしいものがもらえるわけでもないのだけれど、
こんなにたくさんの人が列を成している
ということに
少し気持ちが明るくなります。
皆リュックに長靴というスタイルです。

列の前から順番に、
ボランティアセンターの方が
本日のお仕事を割りふってくださいます。

「今日は県営住宅のガレキ撤去を
 よろしくお願いします。」

震災から1年以上たった今でも、
「ガレキ撤去」
という作業がまだあるんだということに、
正直、少しびっくりしつつ、
ビブス(ナイロンのベスト)を身につけて、
班ごとに集まり、説明を受けてから
自家用車で現地へ向かいます。


近くの老人ホームに駐車し、
県営住宅まで歩いて向かいます。
遠くからみると立派に見えたこの老人ホームも、
近づいてみると、震災の傷跡がよくわかります。
高台にあるにもかかわらず、
たいへん高い津波が押し寄せ、
多くのかたがここで亡くなられた、
被害の大きい場所だったとのことでした。

この日、県営住宅の前に集まったボランティアは
およそ100名ほど、全員でガレキ撤去をします。
この県営住宅は、
南三陸町の中でも、最近になって、
やっとボランティアの手がつけられた
場所だそうです。

屋上まで津波に埋もれてしまった
県営住宅の中に入ってみると、
本、洋服、電気製品、
ありとあらゆる家中のモノと、
外から入ってきた泥やガレキが混じったものが、
ギュッとかたくなって部屋の中に詰まっています。

クローゼットの引きだしには、
海水が入っていました。
冷蔵庫の中には、
溶けたアイスクリームが入っていました。
震災当時のまま、まるで
時が止まったかのようでした。

ボランティアの主な仕事は、
スコップで泥をかきだしながら、
その泥にまじったガレキの分類をすることです。
ガレキは、ガラス、壁材、電化製品、
燃えるもの、貴重品に分けられます。

ガレキの撤去をすることで、
もともとこのマンションに
住んでいた人たちが後に戻って来て、
また住むことができる、ということはありません。
ではなぜ、ガレキの撤去作業をするかというと、
このマンションを取り壊すときが来たとき、
業者の方々のガレキ分類の手間や
それにかかる費用を削減できるということ、
そして、住んでいた人たちの
大切な貴重品をよりわけ、
お渡しすることができるからだそうです。

わたしの片付けた部屋のお母さんは
裁縫が大好きなかたのようでした。
これまで、楽しみに集めてきた様子が窺い知れる
パッチーワーク用の生地のはし切れと、
瓶に詰まったパーツのコレクション、
そして、
赤ちゃんが生まれるまでの毎日を綴った日記、
ケースに入ったへその緒、
お子さんの描いた絵などが、
泥の中から出てきました。

「ご家族が大切にされていたもののようだ」
と、感じたものは、ガレキとは別に、
カゴに分けて整理しておきました。
作業をして何時間か経つと、
別の部屋を作業していた人からも
そうしたものが集まって
部屋の一角に大きな山をつくっていました。

作業はだいたい1時間に1回、
15分間の休憩をはさみながら、
無理のないペースで進められ、
7つに分かれた班のチームリーダーが
作業の流れを指示してくれます。

チームリーダーの方々は、
とても慣れていて、職員のかただと
勝手に思い込んでいたのですが、
そうではありませんでした。
ボランティアとして南三陸町を訪れて、
長い間活動を続けているのだそうです。
わたしの班のリーダーのかたは、
林業で働いているという、
朗らかでとっても優しい50代くらいの男性でした。
去年の6月から
ボランティアセンターの近くにテントをはり、
生活しているそうです。

3時半にガレキの撤去作業を終了したときには、
1階は、すべての泥がかき出され、
床が見えるようになり、
足の踏み場がなかった2階からは、
家の中のモノのほとんどが、
外に出され、片付いていました。

終了の挨拶のとき、
班のリーダーの方が、こうおっしゃっていました。

「どうかみなさん、
 帰られましたら、
 今回のボランティア活動で見たこと、
 感じたことをまわりの方々に話してみてください。
 最近は、テレビなどで
 被災地のことが扱われることも
 少なくなってきましたが、
 こうした作業には
 まだまだボランティアの手が必要です。」

わたしは、ここでボランティア活動の報告が
できることをとてもありがたく思います。

最初に入った時は、
とても一日で作業が進むとは思えなかった部屋が、
一人ひとりのボランティアの人の手と汗によって
片付いていくんだという
すごみみたいなものを感じました。
そして、わたしにもできることが
あるということにありがたみを感じました。

今までは、津波で流される町の様子の映像など、
震災の被害を大きな規模で感じていました。
けれども、今回、ボランティアとして
はじめて個人のお宅の中にお邪魔させていただき、
それぞれの家族の生活時間が
あの一瞬で止まってしまったんだ、
ということを、
本当にはじめて実感したように思います。

そして、ガレキ撤去は、
長距離マラソンのような作業です。
わたしは、はじめの方から力んでとばしてしまい、
最後のほうは、へばり始めてしまいましたが
ベテランの方々は、
ゆっくりゆっくり作業を進めていて
頑張りすぎないことがコツのようです。
(これからいらっしゃる方、ぜひご参考に。)

夕食は、南三陸町の復興商店街で
ホタテやつぶ貝を買い、
キャンプ場に戻って、いただきました。
三陸の海の幸は、本当においしかったです。

ゴールデンウィーク中は、
たくさんの人がボランティアに訪れていました。
でも、人手の少ない時期に行くことができるのは
わたしたち学生だとあらためて思っています。
次は8月ごろ、今度は友達を誘って、
また、行くつもりです。