キャンバスの上の宇宙。

横幅24メートルを超すキャンバスに
とぐろを巻いていたのは、
巨大な蛇みたいな「宇宙」でした。

近寄ると、無数の星が浮かんでいます。

この不思議な宇宙に惹かれて、
作者であるインド人のハルシャさんに、
お話をうかがってきました。

宇宙のしくみや、世界のありようや、
生=Lifeとは何かを理解するために、
絵を描いていること。

そこには、ハルシャさんの芸術論とも
クロスするような、
とてもシンプルな宇宙観がありました。

担当は「ほぼ日」奥野です。

第3回 宇宙を考えるためのもの。

──
ハルシャさんの描く絵画の作品には、
さまざまな「人間」が
トッ、トッ、トッ、トッ、トッと、
等間隔で、
無数に並んでいるものが多いですね。
ハルシャ
ええ。

展示風景:森美術館、2017年

──
それらの「人間」を、
ひとりひとり、順番に見ていったら、
パルスというか、
リズムというか、
生命感というか、
そういったものを感じました。
ハルシャ
パルス‥‥社会の脈、みたいな?
パルスと言われたのははじめてですが、
音楽関係の友だちからは、
「人間が、音符のように見える」って。
──
あー、なるほど。
ハルシャ
人によっては「0・1・0・1」と見て、
あの作品をコーディング‥‥
つまり解読しなきゃいけないものだとか、
そんなふうに捉えていました。
みんなの感想を聞くというのは、
いろいろと、おもしろいものですよね。
──
世界の多様性ということを感じるし、
仏教でいう「曼荼羅」みたいにも見えて、
あのタイプの作品も、
「ひとつの宇宙」という感じがしました。
ハルシャ
おっしゃるとおりだと思います。
──
ひとつ、ハルシャさんにとって
「宗教」は、どのような位置づけですか。
ハルシャ
そうですね、宗教のことについては、
幼いころから
「山のように」考えさせられてきたので、
そのことに関しては、
疲れている、という感覚があります。
──
そうなんですか。
ハルシャ
ですから、アートを制作するときには、
宗教は切り離して考えています。
──
なるほど。

ハルシャ
わたしは特別に信心深い両親のもとに
生まれたわけではなくて、
ふつうの中流階級の、
ふつうのインド人の家に生まれました。
そういう家庭で成長していくうえで、
自分の存在意義をはじめ、
いろいろと思索するわけですけれど、
そのなかで「宗教」も、
乗り越えなければならない問題のひとつ、
という感じでした。
──
ぼくは日本人ですけど、
たぶん、おおかたの日本人と同じように、
「宗教」のことについては、
あんまり考えたことがなく生きています。
だから「切り離している」とはいえ、
それについて考えるシチュエーションが、
インドでは、やっぱり、
ぼくら日本人より多いんでしょうね。
ハルシャ
ですから、いまみたいなお話を聞くと、
この惑星、この地球という星は、
なんて美しいんだと、思ったりします。
──
美しい?
ハルシャ
だって、あなたのように、
宗教のことを
あまり考えないですむ人たちもいれば、
わたしのようにたまに考える人、
中東なんかに行けば、
毎日毎日、そのことを中心に
生活をしている人たちも、いるわけで。
──
ハルシャさんは、多様性だったりとか、
いろんな人が大勢いること‥‥に、
美しさや、おもしろさを、感じますか。
ハルシャ
感じます。たくさんの人やものが、
一箇所に集合している状態とか現象に、
なぜか、興味を覚えるんです。
たくさんの科学者が会議場に集って、
宇宙のミステリーについて
ワアワア言ってるような光景なんか、
もう、おもしろくて。
──
作品に出てますものね。

展示風景:森美術館、2017年

ハルシャ
ただし、わたしは、こうも思うんです。
わたしたち人間の悲劇のひとつは、
ものごとを
「科学」や「宗教」や「芸術」などに、
わけてしまったことじゃないかって。
──
と、言いますと?
ハルシャ
もし、そんなわかれ目さえなかったら、
無益な論争なども起きず、
すべてはもっと、シンプルだったはず。
──
ハルシャさんの宇宙観みたいに。
ハルシャ
そう、すべてが「一体」なら。
──
石川県の金沢というところに、
「レオナルド・ダ・ヴィンチ」について、
もう30年以上、
独自に考えを深めてきた人がいるんです。
ハルシャ
ダ・ヴィンチについて? ええ。
──
何でも、その「解釈」が独自なために、
権威ある「学会」的な場所からは、
なかなか理解されない‥‥
そんな感じの研究家なのですが、
その方のまわりの仲間たちには、
考えていること、
言ってることの難解さも「込み」にして、
愛されている人物なんです。
ハルシャ
ええ。
──
先日、取材をさせていただいたので、
後日コンテンツにするのですが、
考えの一端をかいつまんで話しますと、
「ダ・ヴィンチは、
 あたまの中で考えた数学的な理論を、
 絵で証明しようとしていた」
というような、内容だったんです。
ハルシャ
なるほど。
──
当時は「ルート」の記号などもない時代で、
ダ・ヴィンチは、自分の考えを、
「数式」で表すことが、不可能だった。
だから、
自身の理論の証明を絵でやっていたんだと。
ハルシャ
興味深い説ですね。
おそらく、まだダ・ヴィンチの時代には、
科学や宗教や芸術って、
もっと「一緒くた」だったわけですよね。

──
そうでしょうね。
ハルシャ
だから、科学・宗教・芸術と、
明確に線引きされている現代からすると、
奇異な話に思えるかもしれないけど、
そのこと自体は、
ダ・ヴィンチ自身にとっては、
極めて
自然なことだったんじゃないでしょうか。
──
数学理論を絵で証明する、ということが。
なるほど。
ダ・ヴィンチ自身、そういう人ですしね。
芸術家であり、科学者であり、
建築家であり、音楽家であり‥‥という。
ハルシャ
肩書がいくつあろうとも、根源的には、
ひとりの
「レオナルド・ダ・ヴィンチという人」
だったはずです。
──
では、ハルシャさんの場合、
もしもそういうものがあるとしたら、
という前提で聞きますが、
「どういう目的で、絵を描いている」
のでしょうか?
ハルシャ
宇宙や、生を、理解するため。
──
明快ですね。
ハルシャ
絵とは、わたしにとって、
「生を考えるための物差し」であり、
「宇宙や世界を見る道具」なのです。
何を考えるにしても、わたしは、
絵画を通して、ものを考えているんです。
──
へぇー‥‥。
ハルシャ
つまり、わたしにとっては、絵が
「望遠鏡」であり「顕微鏡」なんですよ。

──
おもしろいです。
ハルシャ
その金沢の研究家にとっての
「レオナルド・ダ・ヴィンチ」と同じで、
絵を通して、わたしは、
宇宙のしくみや、世界のありよう、
生命、生きること‥‥つまり「Life」を
理解しようとしています。
──
考えた結果は、どこに表れるのですか。
ハルシャさんの絵の上に、でしょうか。
ハルシャ
絵は、思考の「結果」ではありません。
あくまで方法、考えるための道具です。
──
では、思考は、どこに?
どこにも表現されない‥‥のでしょうか?
ハルシャ
それは、自分の中に存在しています。
──
なるほど。
ハルシャ
つまり、少なくとも、わたしにとっては、
「アートをつくる」行為は、
「考えを主張する」ことと一緒じゃない。
ほら、考えても見てください、美術館が
「ここへ来れば、
 いろんなことを教えてあげるから、
 来たらいいじゃない?」
と言ったら、きっと誰も来ないでしょう?
──
純粋に感じたり、楽しんだりすればいい。
ハルシャ
そう、シンプルにね。

展示風景:森美術館、2017年

<おわります>

2017-05-24-WED

N.S.ハルシャさんの展覧会、

森美術館で開催中です。

遠くに離れないと全体が見わたせず、
近くに寄らないと細部がわからない。

望遠鏡と顕微鏡を
かわりばんこにのぞいてるみたいな
クラクラ感を覚える巨大絵画
「ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ」をはじめ、
N.S.ハルシャさんの作品が、
六本木の森美術館で展示されています。

これまでの作家の作品を、
網羅的に見ることのできる展覧会です。

会期は、6月11日(日)まで。

N.S.ハルシャ展 -チャーミングな旅-

  • 会 期:6月11日(日)まで開催中
  • 時 間:10時~22時
    火曜は17時まで/会期中無休)
  • 会 場:森美術館
  • 住 所:東京都港区六本木6-10-1 
    六本木ヒルズ森タワー53階

※入場料などより詳しくは
展覧会のオフィシャルサイトをごらんください。