健全な好奇心は 病に負けない。 大野更紗×糸井重里
大野更紗さんプロフィール
大野更紗さんは、2008年に 自己免疫疾患系の難病を発病しました。 大野さんの著書 『困ってるひと』を読んだ糸井重里は、 「あたらしい視点を得た思いです」と 「ほぼ日」のダーリンコラムやTwitterを通じて 本を紹介しました。 そのうちに、大野さんご本人とつながって お会いできることに。 大野さんは車椅子で、マスクをかけて、 青山の「ほぼ日」まで来てくださいました。 全10回、いろんな話が出てきます。 病に、社会に、いろんな状況に、 すべての「困ってるひと」たちへ、お届けします。
第1回 人が何を食べて、何を見て、 何をして金を稼いでいるか?
糸井 大野さんの『困ってるひと』を読んだのは、
雑誌「BRUTUS」編集長の西田善太さんに
すすめていただいたのがきっかけです。
それまでは
「難しい病気になった人の本なんだな」
という認識しかありませんでした。
だけど、西田さんが
「それがねぇ、おもしろいんですよ」
と言うもんだから、読んでみることにしたのです。

大野さんは、もともと、勉強好きというか、
ものごとを調べるのが好きなタイプなんですよね?
大野 はい。
いったん調べだすと、とまらないです。
糸井 もともとそういう人だった大野さんが
「知識は無駄だった!」
と思うくらいの「難病」という状況になって
どう動くんだろうか、
読み進むうちにそういう興味が起こってきました。
ぼくはなにせあの、駅で動けなくなるシーンに
反応してしまったんです。
大野 ああ、空港から戻ってきたときの‥‥
糸井 そう。難病の症状が出てしまって、
具合が悪くなりながら
どうにかして空港から駅に着き、
とうとう一歩も動けなくなる、あそこです。
「どうしたらいいだろう?」
「何からやったらいいだろう?」
と、大野さんがひとりで考えているところ。

それはつまり、人がひとりで、
何もないところから
生み出そうとしている瞬間です。
止まって、自分の頭をフル回転させて、
一歩も動けないのに、次の行動を考えている。
そこがビビッドに描かれていて
ぼくは興奮しました。
底なし沼に足を取られてる人の周りは
日常のまんまで動いている。
そこでその人は大声を出すわけじゃない。
「ここ、底なし沼なんだけど‥‥」
と思って、町のなかからヒントを探している。
大野 そうですね(笑)。
糸井 あれは、美しかったです。
大野 ありがとうございます。
そんなふうに言ってもらうなんて‥‥。
糸井 この本の著者は
「こんな人いないよ」と言いたくなるような
病気の人です。
いろんなことをそぎ落として
ここまで来たんだな、ということが
読むたびに湧くようにわかって
「かっこいい」と思いました。
大野 はい‥‥あの、うわぁ‥‥。
糸井 いま、いろんなことを言う人たちが
たくさんいる世の中だけど、
これなら誰でもわかる。
そう思って、今度は西田さんのあとを継いで
自分が『困ってるひと』を配る係になりました。
「大野さんだったらどう見るかな」という視点が
みんなにもひとつ増えるといいと思ったからです。
そうはいっても真似はできないんだけどね‥‥。
ごめん、冒頭からいっぱいしゃべっちゃった。
大野 いやぁ、すごい‥‥、いやいやいやいやいやいや。
(恐縮です、というように手をふる)
糸井 だいたいぼくは、
人はそんなにものごとを考えないで
わがままにやっていいと思っている人間です。
だけど、大野さんの視点が増えたおかげで
自分が豊かになってきて‥‥うまく言えないけど、
どっかで機会があったら
お会いしたいなと思ってました。
大野 いや、とんでもないです!
まずは糸井さんの事務所にお邪魔して、
糸井さんとお会いすることになろうとは
思ってなかったので‥‥、
ありがとうございます。

今日も一応、糸井さんの
バックグラウンドを調べねばと思って、
お生まれの年代を知りました。
てっきりアラフォーと思っていたのが、
「おお、すごい!」
糸井 こいつ、長生きしてるんだなって?
もう、ふた人生ぐらい生きてます(笑)。

まず、大野さんが病気になる前のことを
おうかがいしたいのですが、
ビルマ、つまりミャンマーのことを研究してた
学生さんだったんですよね。
大野 ええ、「ビルマ女子」でした。
糸井 そうそう、ビルマ女子。
ビルマ女子って言葉(笑)、
悪くないですね。
大野 はい(笑)。
もともとは福島の田舎から来た、
「都会にあこがれた女子」でした。
つまり、田舎から逃げてきた人間です。
根無し草のような感覚になって、
大学に入って半年で、
居所のなさを感じていました。
糸井 早いですね(笑)。
大野 いつもそうなんです。
猪突猛進でクラッシュして
「どうしよ」と思ってから、次に行く。
そうこうしているうちに、
ミャンマーの難民の人に出会いました。
糸井 それは偶然なんですか?
大野 はい。たまたま大学から徒歩5分のところに
通称「日本の難民支援のメッカ」のような
弁護士事務所やNGOが集まる場所があって
そこに出入りしはじめたんです。
当時は同時多発テロの「9.11」で
国連や国際援助が流行していまして、
「なんかかっこいいぞ」
「国際援助はステキなんじゃないか!」
なんて思ってました。
だけど、難民の人に会って、
はずかしい感覚に駆られました。

当時、日本に難民がいるということは
あまり認知がなかったのです。
彼らは日本での在留許可を得るために
裁判を抱えたりしていました。

ミャンマーで政治囚として投獄されていた、
という人もいました。
糸井 すご腕ばかりが日本に来てるわけですね。
大野 そうなんです。
でも、そのすごさもちょっと
勘違いしていることにまた気づくんですね。
彼らのその日の暮らしまでは、
想像できていませんでした。

ミャンマー人は、
高田馬場にいっぱい住んでるんです。
「リトル・ヤンゴン」なんて呼ばれていて、
ミステリアスなミャンマー料理店が
たくさんあります。
ぜひ行ってみてドキドキしながら
未知のメニューを注文してみてください。

事情は複雑で、ひとくくりには語れなくて、
難民の人もいれば、政府側の人もいる。
ふつうの労働者の人もいる。

ある民主化活動家の
難民の友達のおうちに遊びに行ったときのこと。
6畳半2間のアパートに、
例えば家族4人、
身を寄せるように暮らしてました。

このおうちのお父さんは、機械関連の工場で
月曜から土曜まで夜勤もこなしながら働いて、
日曜は一生懸命活動していました。
活動とは、主に日本の人に、
「ミャンマーで、
 いまこんなことが起きているよ」
と伝える活動です。

わたしはその高田馬場のおうちに行って
お話を伺ったうえに
なんだかミャンマー料理のごはんを
はらいっぱいご馳走してもらって、
「来てくれてありがとう」ってお礼まで言われて。
そのまま帰っちゃって。
「あたしって何してんだろう」と思って‥‥、
そのときぐらいからでしょうか。

やっぱり、人が生きることというのは、
抽象的な言葉の中にあるんじゃなくて、
その日に何を食べて、何を見て、
何を考えて、どういう仕事をして、
その仕事というのは具体的に
こまかくどういうことで、
いくらぐらいお金をもらえて、
何時に帰ってきてどういう生活をしてるのか、
ということの中に
あるような気がしたんです。

それから自分は、人の日常の具体性に
関心を持つようになりました。

そういうことに関心を持ちはじめて──
つまりそれはフィールドワーカーと
呼ばれる人たちの仕事なんですが──
まずは、タイとビルマの国境に行きました。

(月曜につづきます)



このときの同時収録の対談が、
SYNODOSにも
掲載されています。


大野更紗著
ポプラ社発行
1400円(税別)


体の免疫システムが暴走し全身に炎症を起こす
自己免疫疾患系の難病を突然発病し、
「困ったこと」について
メインストリーム(およびエクストリーム)を
歩むようになってしまった。
日々「アメイジング」な、困ったことの連続、
家族、友人、医者、制度、お金とのつきあい、
そして、その果てに見えてきたこと。
今日一日を生きるための、
しかも、なんだかユーモアいっぱいの
ノンフィクション。
「ほぼ日」の乗組員のうち、多くの者が
糸井重里にすすめられ、
みんな一気に読みました。

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2011-12-02-FRI
撮影 森本菜穂子
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もくじ    
第1回
人が何を食べて、何を見て、
何をして金を稼いでいるか?

2011-12-02
第2回
アポロ11号のニュース。


2011-12-05
第3回
そんなこと言ってる場合じゃ
ないだろう。

2011-12-06
第4回
「まともさ」に傷ついている。


2011-12-07
第5回
価値に関係ない解決方法。


2011-12-08
第6回
人は自分の知らないことを
知っている。

2011-12-09
第7回
わたし。


2011-12-12
第8回
ひとりずつの腕組み。


2011-12-13
第9回
「寂しい」のち「うれしい」
そして「忙しい」。

2011-12-14
第10回
まず信用。お金は
あとからついてくる。

2011-12-15
   
(c) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN