健全な好奇心は 病に負けない。 大野更紗×糸井重里
第5回 価値に関係ない解決方法。
大野 わたしにとって糸井さんは、
「かっこいい大人」です。
わたし的かっこよさの基準は何かというと
「必死さ」です。
糸井 はい、それはもう
いつも必死ですよ(笑)。
そう言われてうれしいくらい。
大野 わたしもそうなんですが、
慣れてないことは、とりあえず
うまくいくはずないんですね。
糸井 うん、そうだね。
いいなぁ、その考え方。
大野 はじめにうまくいかないのは当然で、
うまくいかないことを
恥をさらしてでも必死でやる。
必死でやっていることが
おもしろくないわけがないし、
かっこよくないわけがない。
だから、わたしが勝手に
一方的に好きな人はみんな「必死な人」です。

それに対して、
「しらけ」のような感覚って、ありますよね。
「クールに、マジにならないことがカッコいい」
というような。
糸井 うん。それは昔からちょっとずつあるね。
大野 わたしは1984年生まれなのですが、
生まれたときにはみんな
しらけていたかもしれない‥‥。
糸井 生まれたときには(笑)?
福島でもそうだった?
大野 はい。「マジな話はよそうよ」みたいな。
糸井 そうなんだ。
大野 わたしは、どうして「マジな話」を
しちゃいけないんだろう?
と思っていました。
高校で、ひとりで校則を破って、先生に
「なぜ白い靴下じゃないとダメなんですか。
 どうして黒い靴下だといけないんでしょうか」
とマジに言ったりしてました。
糸井 ぼくにもそういう時期がありました。
自分では、それは
エネルギーのあまりだったんだな、と思います。
あまったエネルギーというのは
ものすごく使い道があるんです。
性欲かもしれないし、
自分の小ささへの怒りかもしれないし、
熱病だという言い方もあるでしょう。
そういうものは、文学にいけば文学で、
絵なら絵であらわすこともできるかもしれない。

そういう、マジでtoo muchなものを
水路見つけて噴き出させることがあります。
ぼくは学生運動の時代だったから、
流行に飛びついて、そうなりました。

でも、動機として、ぼくのなかに
何もなかったかというとそうではありません。
昔から、ぼくは
人を不自由にするやつが嫌いなんですよ。

大野さんの本やお話の中にも
正義の人かもしれないしいい人かもしれないけど、
大野さんを不自由にする人というのが出てくる。
大野さんは遠慮がちに書いてると思いますが、
具体的に拒んだのは、その部分なんです。

「あとあと、あなたのためになった」
とか言われても、
いまそこにいる人として、ほんとうにつらいのは、
不自由にされること。
大野 はい。
糸井 このことは言っちゃいけないのかな、と
ときどき思います。
でも、これを言わないと、結局
その「正義のいい人」が叫んでいるような
「いい社会」は来ないと思う。
‥‥うまく言えてないんですけどね。
あるものはみんな出して、みんなが納得できる、
ということになるといいのになぁ。
大野 はい。そうするには、
すごくあたりまえのことを、
ずっと言っていかなきゃいけないんだろうなぁ、
とわたしは思っています。

わたしたちはたまに
「やり直し世代だよね」ということを言われます。

この20〜30年のうちに忘れてしまった感覚を、
ていねいにやり直すしかない。
「うまくいかない」というのが、いま
ひとつの大きなキーワードなのかなと
思っています。
糸井 ああ、それこそ「困ってるひと」だね。
大野 そうです、みんな困ってるわけですよね。
社会が動き、数多の不条理が発生しているときに、
価値概念をまず最初に導入してくることは
いちばんまずいなぁと思っています。

そのとき起きたことや発言に対して、
「正義か悪か」「良いか悪いか」
みたいな話に終始する。
それでみんな論争し、紛争するわけです。
具体的にどう対処するか、の手前で
思考が止まってしまう。

唐突ですけど、わたしは、「男はつらいよ」の
寅さんがほんとうに好きなんです。
寅さんの「場の力」ってすごい。
殿様でも、芸者さんでも、外国人でも、
すごく偉い学者さんでも、
寅さんのダメさと、
寅さんの自然体のおもしろさを前にしちゃうと、
みんなぽろっと、素になっちゃうわけですよね。
糸井 寅さんのしたじきになっているものは、
落語ですよね。
落語って、江戸時代から
そろってたような気分がしますけど、
実は流行ったのは明治大正らしいんですよ。

江戸、明治、大正と、
維新をまたいで作られてきた世界です。
それが寅さんとか「釣りバカ日誌」まで
ふわっとしたひとつの山を描いている。
あの文化のおもしろさというのは、やっぱり
人間理解に尽きると思います。

偉い人であろうがただの風来坊だろうが、
人は人。
それはやっぱりすごい発明だと思います。
「もし法律がないとしたら、
 法律に替わるものはなんだと思いますか?」
と言われれば、ひとつは落語だと
ぼくは思っています。ドラマ、でもいいんだけど。

つまり、「北の国から」にも
そういうものは入ってる。
テレビ見てる人は、
人からけしからんと言われる話でも
たいやき食いながら「わかる!」って
言うんですよ。

「北の国から」に出てくる人たちや、寅さん、
落語の人たちの決済のしかたは、
そこまでの歴史のせいで生まれた
よくできた作り物なんですけれども、
そこにほんとうの憲法は混じってると思います。
大野 そうですね、庶民の本音の部分。
あの「なし崩し」の解決の作法には、憧れます。

(つづきます)
2011-12-08-THU
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