健全な好奇心は 病に負けない。 大野更紗×糸井重里
第7回 わたし。
糸井 人への健全な好奇心、って
これまで肯定されてなかったですね。
犬とかもおんなじ、
常に健全な好奇心で活動してるよね(笑)。
大野 そうですね、ひらめきとかアイデアって、
意外に本能的なものですよ。
糸井 だから、いいとか悪いとかではない。
大野 はい。
最近、フィールドワークで出会った
とある人に、
「制度や社会の仕組みは、
 後からついてくるんだ」
と言われました。
「とりあえず、最初に突破しちゃったら
 それに合わせるしかないから」
と。
ま、あたりまえの話なんですけど。
糸井 「事実婚」ってやつですね。
ぼくは、「事実婚」という三文字が
昔から好きでね。
内縁の人にも遺産が行くようになってる。
なんていうか、法の抜け穴のようなものでしょう。
法律が「全部はカバーできない」ということを
自分で発表してるようなものですよね。

あたりまえのことというのはつまり、
「事実」ということです。
寅さん、落語、あのあたりが表現しているのは
まさしくそこです。
感情だとか愛だとかを
混合しなくてやっていけると、
人はうらまなくてすむ。

『困ってるひと』の中で、
友達と別れなきゃなんないところがあります。

友達と「ここまで親しかった」という
事実もあるし、自信もある。
同時に「それはそうだろうな、わかるよ」
ということもある。
それを「解決しようのない困った状態」と
いうことにして、ぽんと目の前に置き、
自分も責めないし相手も責めない。
そういう状況を作ることができたのが
これからいろんなこと考えるときの
すごく大きなヒントになると思います。
みんなに『困ってるひと』を読んでほしいのは
最後まで読むとあそこまで行くぞ、
ということがあるから。
大野 あぁ‥‥なんだかあのあたりは
一気に書いちゃったんで、
すべてが結果論なんです。
糸井 それも手です。
すべてが結果論といえばそうなるんでしょうし、
事実の追認、事実婚です。
大人っぽいプラグマチズムで、
案外、寅さんにも
そういう台詞があるんだよね。
大野 「男はつらいよ」には
たくさん名台詞があるんです。
寅さんが満男に言うんですよね。
「思ってるだけで何もしないんじゃな、
 愛してないのと同じなんだよ。
 愛してるんだったら、態度で示せよ」って。
糸井 なるほどね(笑)。そうなんですよ、
事実として表現されることと
「ダメでした」「断られました」
というのは、価値の話だから別なんですね。
大野 価値はあとで考えればいいんですよね。

「困ってる人」の実態について
ほんとうはあまりよく知らない、
会ったことも一緒に暮らしたこともない人たちが
これからどうするかという
概念のフレームワーク作りを
延々とやって、作っちゃう。
そうすると、みんながそこに
入らざるを得なくなっちゃうわけです。
それは、人びとを制約することにもなる。

わたしが「自分のことは自分で話す」ことを
最近大事にしてるのは、そういう思いもあります。
どういう形でもいいから自分で言ってみる。
既存の言葉にあてはめなくていい。
枠にうまくはめようとしなくていい。
うまくいかなくていいんです。
でもとにかく、話してみる。

人の生活をどうやってよくしていくか、
というときに、議論するということは、
ひとつの大切な方法だと思います。
でも、それってけっこう
トレーニングが必要なんですよ。
糸井 そうですよね、実は難しいことですよね。
大野 トレーニングは必要だし
自分が発言したから真実だ
というわけでもありません。
ですが、少なくとも、不条理にあった人たちが、
そのときに見た風景や感じたことを
そのまま出してみるのは
いいんじゃないかな、と思うんです。

わたしが原稿で「わたし」を使うとき、
その一人称は、
独りよがりとか、内にこもるとか、
閉じていっちゃう「わたし」では
ないつもりなんです。
もう開き直るしかないというか、
既存の道がないんだから、しょうがない。

わりと思い切って社会にひらいちゃう。
「どーん!」「わたしー!」みたいな(笑)、
そういう「わたし」なんです。

ほんとはみんな、「わたし!」って
ひとりでやったほうが、
楽になる面がある気がします。
というのも、ビルマ女子時代より、
いまのほうが、まぁ、
実態はたいへんなことばかりですが、
コミュニケーションはずっと楽だからです。
糸井 ビルマ女子時代そんなにつらかったの?
大野 つらかったです。
もちろん身体的なレベルでは
難病になったら
苦闘と血と汗と涙の日々ですよ。
でも考え方は、いまのほうが
ずっといいかもしれない。
楽です。
糸井 いま、そのときの自分が
目の前にあらわれたら、説教してやる?
大野 説教はしないです。
糸井 なんか教えてあげたい、って思ったりする?
大野 でも、それも多分、無理かなぁ。
ものごとは常に動いているし、
人によって現実は違うものですから。
辛さや幸せというのは
どこまでも主観的なもので、
他人が勝手に比べられるようなものじゃ
ないですよね。
主観の中ですら、自分の中ですらゆらぎます。
しかも頻繁に。
だから、そういうものを指標にすると
どんどん社会自体がゆらいじゃう。
平成生まれの、自分より若い人と話すと、
大概みんなすごく苦しそうなんですよ。
とくに、就活してる子たちが苦しそうで。

‥‥そうだ。糸井さんにとって、
どういう人材が魅力的なのか、聞いてみたいです。
糸井さんは、
どういう人と働きたいと思ってますか?
糸井 まぁ、詩のように語るならば
「弾んでる人」。
大野 弾んでる人!
糸井 うん。若いと、失敗するに決まってるんです。
だから、機嫌よく。
機嫌よく、ボールのように弾んでいれば、
失敗しようが成功しようが、
実力があろうがなかろうが、
必ず伸びるから。
大野 あぁ、やっぱり伸びますか?
糸井 絶対伸びます。
ボールは長い斜面があったら、
いつまでも転がっていきます。
池があったらポチャンと落ちる。
でも、主人公は弾力性のあるボールです。
自分を活かすという元気さが
ちゃんとあれば、どうにでもなりますよ。
周りがコースをつくってあげてもいいし、
山の中にポーンと放り込まれて
勝手に転がってるということもできる。
ボール自身が腐っちゃわなければ、
だいたい平気です。

みんなが「価値」だの「能力」だのと
思ってるものにとらわれないでほしい。
なんでもない君のその元気さ、機嫌よさは
すばらしい材料だよ、
というおじいさんぽいことを
おじさんは自信をもって言えます(笑)。
大野 ビジネスのど真ん中にいる糸井さんが
そうおっしゃることに対して、
いま就活してる人たちはきっと
安心するし励まされると思います。
糸井 うん。
2〜3年とか5〜6年くらい、
「負けてもいいじゃん」と思うだけで、
だいたい若者の人生はひっくり返りますよ。
ですから、「健全な好奇心」という言葉は
ほんとうにすばらしいと思います。
健全な好奇心というものは
どんな場所にいても混じっちゃうからね。

(つづきます)
2011-12-12-MON
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