相田さん、だいじょぶか?
「なんとかスタン方面」からの現場報告。
パキスタン、アフガニスタン、ウズベキスタン、
キルギスタン・トルクメニスタンというような
あの辺りに、世界中からの記者や特派員がいるけれど、
こういう視線のカメラマンがいても、ええやんけ。

身の程知らずの「ほぼ日」が、特派カメラマンを
キナ臭い【世界の焦点】に向けて送り込みました。
ってゆーか、勝手に行っちゃったんですけどね。

こちらから、指示することは何もなく、
現場の都合と直感で、風まかせに移動する
相田カメラマンからのレポートを、ただ掲載します。
でもね、現地の景色や人間の顔が、
こんなに見える報告は、そんじょそこらにはないよ。

※編集部より
長らくお休みをいただいてしまいました。
ご心配のメールをいただいた方々、
どうもありがとうございました。
相田さんは、元気です。
無事日本に帰ってこられ、そろそろ落ち着かれたようなので、
再開いたしますね。

レポート#19
この男と僕の間にはたいした違いはない。



11/7 つづき

「ところでお土産を持ってきたかい。」
唐突にK君がそんなことを言い出した。
そんなことは考えていなかった、
だから何も持ってきていない。
だがK君は
「それはまずいよ。」と言う。
「人の家に招待されたら何でもいいから
 手土産を持っていくのが礼儀ってモノだよ。」
そういわれればそのとおりだ。
「用意してないのならお金でもいいよ。」
それは気が進まない。躊躇する僕にKは説得を重ねる。
「じゃあ子供達にってことで
 一人頭1ドルずつでもあげたらいいんじゃないかい。
 いいかいトシ、サウダは去年、一昨年と
 ロシアに出稼ぎにいってた。
 ヤヌスの家は裕福ではないんだ、
 そのお金で随分と助かるんハズだよ。」
友情を金で買うような行為がイヤだったのだが、
だんだんと自分がケチな人間のような気になってくる。
「渡すのは帰り際に席を立つときがいいよ。」
結局、僕は1ドル札を何枚か胸ポケットに
移しておく事にした。

サウダの笑顔に迎えられて、通された居間には
ヤヌスと先客がいた。
インツーリストの通訳として長く働いたのち、
独立して旅行会社を経営しているローザという女性だ。
「奥さんのサウダには以前お世話になったことがあってね、
 彼女から通訳に来てと頼まれたの。
 もちろん喜んで駆けつけたのよ、
 サウダはホントにいい人だから。」
ローザが仕事で人探しをしたときに、
サウダが親身になって助けてくれたそうだ。
やはり本職の通訳がいてくれると助かる。
この日が彼らにとって20年目の結婚記念日だという事を
初めて彼女の口から知った。

「トシ、あなた始めてこの家に来たときのこと覚えてる?」
ローザを通してサウダが僕に聞く。
「はっきりとしないなあ、
 この部屋でお茶をご馳走になったのは覚えているけど。」
「そのときあなたはおなかを壊していて、
 トイレを借して、と言って突然この家に来たのよ。」
「運が良かったわね、サウダは看護婦だったからよ。
 あの頃は薬もなかなか手に入らなかったの。」
そうか!ずっとお腹の具合が悪かった僕に
薬をくれたのはサウダだったのか。
やはり僕はついている。
この家にはやはり来なくてはならなかったんだ。

ヤヌスに2人が結婚した頃の話を聞いてみた。
「2人はどういういきさつで知り合ったの?」
「おばあさんが元気だった頃、
 この家は田舎から出てきた女の子達の
 下宿屋をやっていたんだ。
 サウダも親戚の紹介で来てね、
 ここから看護婦学校に通っていたんだよ。」
「そのときに付き合い始めたんだね。」
「違うのよ、下宿していた3年間の間、
 私達一言も口をきかなかったのよ。」
「ほんとに?」
「ホントよ。当時は若い男女が話をするなんて
 とてもはしたないことだったの。」
「働き者で真面目なサウダのことを見ていたおばあさんが
 すごく気に入って、僕の嫁にするって言い出したんだ。」
「この人ったら初めは別の人と間違えていたのよ。」
「そうなんだ。おばあさんに
 『あの娘を映画にでも誘いなさい』って
 言われたんだけど、間違えて別の娘に
 声をかけちゃったんだ。
 それで結局、結婚するまで
 話をする機会がなかったんだ。」
「それじゃあ全然なんとも思っていなかったの?」
「いやあ、いい娘だなあ、とは思っていたよ。」
「プレゼントを贈る儀式みたいなこともしたのかい。」
「そうさ、学校を卒業したサウダが
 家に帰って半年ぐらいしてからね。」
「もちろんサウダはすぐ受け取ったんだよね。」
「まさか。4回つき返したわ。」
「え、じゃあサウダはヤニスと結婚したくなかったんだ。」
「そうじゃないの、すぐに受け取らないのが普通なのよ。
 1度目で受け取ったりしたら
 はしたないって思われちゃうの、
 子供が出来ちゃって急いでるのかな、とかね。」
とにかく2人はとても仲の良い夫婦だ。
お見合いってのも侮れないシステムである。
縁とは不思議なものだ、僕と彼らの出会いも。
あの暑い日に、便意に耐えられなくって
目の前のドアを叩いたのが今日に繋がっている。
ちょっとクサイ仲だ。

「長男の結婚式にはぜひ出席してくれ。」
「モチロンだ。」
酒も飲んでいないのにいい気分になって
いいかげんな約束をしてしまう、悪い癖だ。
帰り際、門まで見送りに出てくれたサウダに
気持ちとしてお金を渡そうとすると、
「とんでもない、受け取れないわ。」とつき返された。
その目はとても真剣だった。
するとそこへ、Kから話を吹き込まれていたヤヌスが
ものすごく嬉しそうな顔をして、
「ありがとうトシ。」と抱きついてきた。
このことが良い事だったのかどうかは今でもわからないが、
あのときのサウダの真剣な眼差しは、
僕の心に強く残っている。

帰り道にまたユダヤ教会の前を通った。
「ユダヤ人ってのはさ、汚い格好してて
 周りからバカにされたりしてても
 実は大金持ちだったりするんだ。
 その点ウズベク人は駄目さ、金が入ると
 酒のんだりしてみんな使ってしまうからな。」
ホテルまでついてきたK君には
2日間の案内料を請求された。
僕はケチなので2ドルぐらいをソムで渡した。
ついでに説教もする。
「君のやってるのはまっとうな商売じゃないぜ。
 子供が大きくなったらどうおもう?
 早くちゃんとした仕事についたほうがいいよ。」
「この国は貧しいんだよ。
 ちゃんとした仕事につくのはすごく難しいんだ。
 もし僕が金持ちで君の国が貧しかったら、
 僕は飛行機で飛んでいって施しをするさ。」
「いいかい。日本人はそんな風にして恵んでもらっても
 嬉しくない。プライドってものがあるからな。」
そんな風に言い返してはみたものの、自信はない。
それどころか、
もし僕が彼の立場に置かれたら、
道路工事をするよりもやっぱり彼のように
観光客のフトコロをねらって生きてゆくかもしれない。

この男と僕の間にはたいした違いはない。
結局こいつも愛すべき一市民なんだな。
そう思って、さらにタバコ代をせがむK君に
400ソムを渡した。
僕はこんなセコイ男であるはずがない。
でも、明日はわが身かもしれない。


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2001-03-06-WED

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2001-10-31  #2 やっぱり、けっこうまじめな人だったよ。
2001-11-01  #3 おお、ほんとになっていく。
2001-11-02  #4 もう、着々と準備は。
2001-11-04  #5 わぁ、旅立っちゃった。
2001-11-05  レポート#1
ウズベクのグッド・ビジネスマン。
2001-11-06  レポート#2
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2001-11-08  レポート#3
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だいじょうぶか?
2001-11-11  レポート#4
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