YOKOO LIFE ヨコオライフ

横尾忠則さんは過去の糸井重里との対談で、
「生活と芸術は切り離して考える」と
発言なさっていました。

芸術の達成を、人格や人生の達成とするのは、
勘違いである、と。

では「美術家・横尾忠則」の生活とはなんなのか?
糸井重里とのおしゃべりのなかに、
そのヒントが見えるかもしれません。

過去のふたりの打ち合わせと対話の音声を
いま掘り起こし、探っていきたいと思います。

▶︎横尾忠則さんプロフィール

第23回 絵で行きつくしかない。
横尾
いま描いている、この絵のことですけどもね。
いずれはこの顔を
「チョンチョンと点で描いたほうがいいんだろうな」
ということに、いま気がついたとしましょう。
でもそれは、いまやってもダメなんですよ。
そのチョンチョンをいまやっても、
応えられないんです。
「まだいまはちょっと耐えられない」という気持ちが
あったりするんです。
チョンチョンとやっても平気でおれる状態に、
まだ自分が至っていないときは、
わかっていてもその前段階で
モタモタしなきゃいけないことがあるわけ。
「こうしてこうなったらこういう絵ができる、
おもしろいな」
とわかっていても、
一足飛びにそこへは行けない。
行ったとしても、その1枚の絵だけができるだけで、
何か違うような気ぃするのよね。
糸井
何かの極意があるとして、
その極意を誰かがマニュアルに書いたとしたら、
誰だってマニュアルを先に読んじゃいます。
だけど、そのままはできないですね。
横尾
そんなに簡単なことじゃないよね。
書いてあるとおりやれば
おもしろくなるのかもしれないけれども、
つまんないということをわかりながら、
それをやることも、また必要なんだよ。
糸井
捨てるために覚えるのかもしれない。
横尾
そうそう。
その次の段階に行くためには、
それまでのことを変えて、捨ててしまうこともある。
みんなに叩かれるか笑われるかわかんないけども、
それをしないとしょうがない。
そういうことを隠してる人もいるけどね、
さらして恥をかいていかないとダメだと思う。
糸井
ははぁ、そうですね。
横尾
若いときは恥をかきたくないという気持ちが
特にあるじゃないですか。
糸井
でも歳を取ると、
恥のかきかたが上手になりますね。
横尾
そうね、歳取って、
体もガタガタしてくると、どうでもよくなる。
だからさっきの話に戻るとさ、
絵を描いてるときは、シーンと静かな状態で
絵に集中していったらダメなんです。
なるべく絵から離れて描く状態がいちばんいいわけ。
「気がついたら、あ、描けちゃった」
というのがいちばんいい、というのは
そういうことなの。
糸井
昔の大家族の子どもって、自分の個室がないから、
家族みんなのいる部屋で腹ばいになって
勉強したりしました。
ああいう子のほうが結局は勉強ができた、
という記憶もあります。
横尾
うん、そうよね。
ぼくはひとりっ子で
広い部屋をひとりじめしていたからか、
勉強ができなかったなぁ。
糸井
大家族の彼らは上手に、
集中しすぎないように分散してた。
そのことはちょっと
意識したほうがいいかもしれませんね。
つまり、集中って、閉じちゃうんですよ。
横尾
集中してたら勉強の才能も開かないよね。
でも、それをどんどん突き詰めて考えていくと、
死ぬまでに、いっさいのこだわりを
全部削っておると、すごくラクじゃないですか。
糸井
うん、うん。
横尾
自分のことも、家族のことも、いろんなことも、
全部どうでもよくなっているか、
あるいは忘れているといい。
いろんな問題を抱えたまま絵を描いても、
それを抱えたような絵しかできないからね。
しかし、これを逆に言えば、
絵の中で自由にできれば、
実際の問題も自由にできそうな気がするわけ。
糸井
あ‥‥そうですよね。
横尾
自分の問題を解決してから、
絵をその方向にもっていくことは、
できないと思うわけ。
糸井
うん、それはできないですね。
「神になってから描く」みたいなことですから。
横尾
そうなんだよ。
そうじゃなくて、
絵を描いているうちに、もう、
家族のことはどうでもいい、
財産もどうでもいい、
名誉も何もいらないということがわかる。
絵を描くことによってだけ、
それが「いける」と思うわけ。
絵でもスポーツでも音楽でも何でもいいんだけどさ。
あれを片づけて、これを片づけて、
断捨離をしましょう、
持ち物は全部なんとかしましょう、
そんなところから絵を描いたってね、
それはできるかもわからないけどさ、
ほんとうは何をやっても
何かの問題がじつは残っていくもんでしょう。
糸井
完璧になんてできないし、
できたとしてもその「かたち」ができるだけですよ。
横尾
だから、そんなことよりも、
何か自分が夢中になれるものをやって、
そこでそれが達成されるか──まぁ、達成ってことも
ないんだけど──、例えば達成されると、
自分のややこしい問題が全部
ひとごとみたいになっていくんじゃないかな。
糸井
うん、そうかもしれませんね。
その道もかなり険しくて
「どんどん初心者になっていくしかない」
というところに行くんだから、やっかいですね(笑)。
これからこの絵と、横尾さんは
どうなっていくんでしょう。
横尾
これをいま、
「完成だ、これ以上できない」というふうに認めて
サインを入れちゃうというようなことも
あるかもしれない。
しかし、いま現在はできないわけよ。
この絵はやっぱりもうちょっとだけ
「絵」に近づけそうな気がするわけ。
そうするとつまんなくなることもわかる。
つまんなくなるんだけど、
このつまんないことを、
じゅっぺん、にじゅっぺん、さんじゅっぺん
描かないと、この先に行けないし、
この顔がこののっぺらぼうでいい、というふうには
いまは認められないんです。
(月曜日につづきます)
2018-03-02-FRI