YOKOO LIFE ヨコオライフ

横尾忠則さんは過去の糸井重里との対談で、
「生活と芸術は切り離して考える」と
発言なさっていました。

芸術の達成を、人格や人生の達成とするのは、
勘違いである、と。

では「美術家・横尾忠則」の生活とはなんなのか?
糸井重里とのおしゃべりのなかに、
そのヒントが見えるかもしれません。

過去のふたりの打ち合わせと対話の音声を
いま掘り起こし、探っていきたいと思います。

▶︎横尾忠則さんプロフィール

第21回 勇気。
糸井
いま、宿のロビーで
みなさんが卓球をしているそばで、
横尾さんは絵を描いておられるわけですが。
横尾
うん。ぼくにとっては、これがいいわけ。
絵に集中すると、
どうしても絵のことを考えてしまうでしょう? 
すると、描いてる絵がつまらなくなっちゃうんです。
糸井
「描きたいものを描いているだけ」
という状態になるんですね。
横尾
そう。
できるだけていねいに描こうとか、
そういうことも思ってしまう。
それよりも、なるべく絵から気を散らして、
ちがうことを考えたほうがいい。
そうすると手も自由に動く気がするの。
糸井
昔からそうですか?
横尾
いや、昔はこんなんじゃなかった。
年齢と関係があるのかもわからないね。
80にもなるとさ、
「どうでもいい」みたいな感じになってくるわけよ。
いい絵を描かなきゃいけないという気持ちがない。
「いい絵を描かなきゃいけない」って、
やかましく言う人がいるけども、
芸術至上主義になっちゃうと、つまんないよ。
糸井
いい絵を描こうとすると、
いい絵を描くという「欲」になっていきますよね。
洞窟の絵画──たとえばラスコー洞窟の壁画を見ると、
あれは芸術や欲というより、
祈りのようなものが人を動かしてるように思います。
横尾
あれはひじょうに呪術的な儀式だったんでしょうね。
けれどももしかしたら、あの壁画を描いた人は、
自分の生命のことを考えたりしてたかもわからないよ。
「無事に帰れますように」
みたいな気持ちだって、あったかもしれない。
糸井
でも、「いい絵を描こう」という概念は
ないでしょうね。
横尾
ぜんぜんないでしょう。
ないからいいわけです。
糸井
横尾さんがいまネコを描くのも、
それに近いのでしょうか。
横尾
そうね。
こんなの描いてるけど、
芸術としてのテーマはないわけよ。
特に、これはレクイエムのつもりで描いてるから。
糸井
でも、絵を描く前から横尾さんが
画家の目でネコをよく見ていた、ということは、
言えるのではないでしょうか。
横尾
いや、見てたかどうかでいったら、
そんなに見てなかったかもわかんないね。
「そこにいる」とは感じてたけど、見ていない。
描写するように見てたかというと、
そうじゃなかったような気ぃするね。
「こんなところにこんな模様がある」とか、
「毛がこう回ってるんだ」とか、
それはいま描きはじめたからわかるわけ。
糸井
でも、普通の人がネコを見るのと
画家が見るのとではちがう気がするんですが。
横尾
ちがうと思うけど、
いわゆる「見え方がちがう」というわけでは
ないんですよ。
美術評論家的な人がゴッホの絵を見て、
「ゴッホはこういうふうに見てたんですね」
なんて言うけどもね、
そんなはずはないよ、
あんなふうに見てたら危なくて道を歩けないよ。
絵の具があんなにぞろぞろしてるような
道なわけないじゃない。
それは、ゴッホが
そういうふうに描きたかっただけの話で、
そういうふうに見えてたわけじゃないんですよ。
糸井
なるほど。
「描くとき」の問題なんですね。
横尾
そうなの。
画家というのは神秘的で、
特殊なフィルターでものを見て、
4次元的的な感覚を持ってると
思いたいのかもしれないけど、そんなのないよ。
だって、ピカソがあんなふうに見てるはずないから。
ほかの人と、見方はおんなじだと思う。
糸井
歌を上手にうたうのも絵を描くのも、
神秘じゃないんですね。
横尾
神秘じゃない。
糸井
しかし、画家が絵を描くというのは、
つまりは得意なことだから、
得意なことをしている喜びのようなものを感じます。
横尾
喜びと同時に、うまくいかないという思いも
あるんですよ。
常にうまくいかないんです。
うまくいくことがあっても、
それはほんの瞬間だけでね。
その感覚はおそらく、どんな人も同じだと思う。
問題の大小もあるし種類もさまざまだろうけど、
うまくいかないなぁという感じは
みんなが持ってるんじゃないかな。
糸井
そうか‥‥。
それは例えばスポーツでも同じですね。
テレビで体操を見ていても、
得意だから「うまくいったぞ、どうだ」
というところもあるし、
得意だからこそ「うまくいかない」もある。
横尾
ほんとにね。
体操なんか見ていると、
つまりあれは、勇気だね。
糸井
勇気ですか。
横尾
ぼくは子どものころ、
鉄棒で逆上がりができなかったんだよ。
みんなはできてるのに、
クラスでできないのはぼくぐらいだった。
でもあれも、勇気なんだよね。
ひっくり返る勇気がないからできないわけでさ。
だから絵なんかも、
全部の問題が、勇気だと思うね。
糸井
つまり、
描けたことのある人は描けるんですね。
横尾
一回描いてしまえば描けるんです。
糸井
描いてしまえば。
横尾
自転車に一回乗れたら乗れる。
それと同じよね。
そうするとやね、すべてはつまり、
「考え方」ってことになるんですよ。
糸井
そうか‥‥。
横尾
四角にするか丸にするか三角にするか、
ピカソでもゴッホでも考えるでしょ。
それは「自分が丸が得意」とか、
そんなことには関係がないんです。
糸井
そうじゃなくて
「丸にしたくなっちゃう」んですね。
横尾
そう。
したくなっちゃう。
リアルな絵で、髪の毛一本一本描く人がいるでしょ?
あれは、そういうふうにやりたくて、
その人の考えで描いてるんですよ。
すると、そういう技術がついていくんです。
あの細かい髪の毛一本一本、
したくなければ描けないのよね。
糸井
ははぁ‥‥。
横尾
だからね、ぜんぶが「考え」だと思う。
糸井
たとえば美大で
「コップに入った水」を描いたりする練習も、
あれは「どうしたいか」という考えを
学んでるんですね。
横尾
うん。
そうでないと描けないもん。
糸井
そうか。
ああ、そうか。
横尾
そう考えていくとさ、
「才能っていったいなんだ」
ということになるよね。
糸井
下手なままの人もいるし、
どんどんうまくなってく人もいます。
横尾
それを左右するのも、
自分の考えたことを自分で実現するかどうかの
勇気の問題なんじゃないかな。
勇気があればどんどんいけちゃう。
糸井
これ‥‥聞いたら泣いちゃう人がいますよ。
横尾
そうかね。
糸井
ほんとうにそのちがいだけなんだなぁ。
横尾
そうなんだよ。
(水曜日につづきます)
2018-02-26-MON