矢沢永吉×糸井重里 スティル、現役。
矢沢永吉さんと糸井重里、
7年ぶりの対談です。

ほぼ日刊イトイ新聞創刊21周年の記念企画として
ほぼ日のオフィスで乗組員全員の前で
対談してもらえませんかとお願いしたら、
「いいですよ」とお返事が。

出会いのときから、ほぼ日創刊時の思い出、
そして紅白歌合戦の裏話から、
「フェアじゃないね」の真相まで!

じっくりたっぷりお届けします。ヨロシク。
第4回 なるだけ自分でやったほうがいい。
写真
糸井
実際の永ちゃんって、
平気でそのへん歩いてるでしょ。
矢沢
歩いてるよー、当たり前じゃない!
一同
(笑)
糸井
でも、人はそう思ってないんだよ。
矢沢
はっはっはっ!
糸井
ぼくが自分で体験した話でいうと、
あるレストランで食事してたら、
お店の人が、
「このあいだ、矢沢さんがお見えになりました」
って言うんだよ。
「ああそう」って言って、話聞いてみたら、
永ちゃん、ひとりでふらっと入ってきて、
「ここ予約できる?」って聞いて、
そのあと自分の会社の社員連れて、
あらためてやってきたっていうんだよ。
矢沢
(笑)
糸井
だからね、永ちゃんって、
自分でレストランの予約もするんだよ。
案外、まめなんだよ。
一同
(笑)
矢沢
へっへっへ、真面目だよね。
糸井
真面目、真面目。
だって、1級船舶免許も取ってるからね。
ものすごく真面目に勉強したって聞いたよ、
部屋中教科書だらけにしてさ。
矢沢
取ったねぇ(笑)。
そんで、船で、徳之島まで行って、
ライブやって帰ってきたからね。
糸井
そのときも、乗ってる人たちの面倒を見て、
みんなは島の宿に泊まらせて、
自分はひとりで船で寝てたって聞いたよ。
矢沢
そ。船に13泊したからね。
一同
えーーー。
矢沢
だって、徳之島だよ。
往復で3600キロぐらいあるからね。
糸井
それ、ずっと運転して?
矢沢
いや、ぼくがひとりでやったわけじゃないよ。
コ・パイロット(副操縦士)もいましたから。
だって、3600キロだからね。
あの、パイロットの一番の醍醐味って、
やっぱり離岸着岸なのね。
つまり、港に入る、出る。
こういう大事なところは、
もちろんぼくがやりますよ。
でも、あとは海を一直線!
みたいなところになってくると、
もうね、やってらんねぇわけ。
写真
一同
(笑)
糸井
ははははは!
矢沢
もう、勝手にやってくれよ、って任せて。
でもまぁ、正直いえば、知識も経験も、
コ・パイロットの人のほうがあるわけ。
彼がいなかったら、
徳之島まで行って来れなかったよ。
まあ、でも、とにかく、3600キロ。
行って帰って来て。
糸井
すごいねぇ。船に13泊。
矢沢
ほんとに。
で、13泊してねぇ、もう船はいいかな。
一同
(笑)
糸井
もう、満足(笑)?
矢沢
もうね、納得した。
もう行くとこまで行ったからね。
糸井
まあ、だから、人の知らない一面としては、
矢沢はけっこう世話好き。
矢沢
話がなんかそっちのほうに行ったねぇ(笑)。
糸井
おもしろいから、そのへんの話。
もう、いろんな面倒を自分で見るからね。
矢沢
まぁ、いろんなことやったね。
そういう意味では、一番最初にやったのは、
アメリカでドゥービー・ブラザーズを
バックミュージシャンとして呼んだことかな。
糸井
それも自分でやったんでしょ。
矢沢
全部、やりました。
アメリカに行って、
世界的なミュージシャンと友達になって、
彼らのほうから、
矢沢、おまえ日本でけっこうライブ
バリバリやってんだって?
俺たちバックやるから一緒にやろうよ!
って言ってくれたわけ。
写真
糸井
あ、そういうはじまりなんだ。
矢沢
そういうはじまりなの。
友だちになって、
矢沢、おまえ、日本じゃすげーらしいじゃん、
じゃあ、俺たち連れてってよ、
ということで、ドゥービーの連中たち、
みんな来ることになったわけ。
これ、ウドーとか、キョードーとか、
どこも通してない。ダイレクトだから。
糸井
ふつうはしないよね(笑)。
矢沢
しないよ(笑)。
で、そこから、いろいろ手配してね。
だから、ぼくは、やっぱりどこか、
プロモーターの要素があるわけよ。
呼んだっていうだけじゃなくて、
どうせなら彼らにちょっとでも
コンフォタブルになってもらいたいと思うわけ。
できれば、移動の飛行機だって、
ファーストにしてあげたいなと思うんだ。
糸井
プロモーターとしては。
矢沢
プロモーターとしては(笑)。
それでぼくはロサンゼルスの
日本航空のカウンター行ってから、
何名全部ファーストで行くから、って言うと、
‥‥高いんだよ。
一同
(笑)
写真
糸井
ははははは。
矢沢
いい接待してあげたい。でも高い。
どうにかできないか、って。
ダンピング交渉までしたもん。
糸井
すごいね(笑)。
矢沢
矢沢様、ファーストクラスは、
値下げできないんですよ、なんて言われてね。
で、まぁ、チケットの手配から、なにから、
一切合切全部やりましたよ。
だから、あのとき、ぼくが、
最初にドゥービーズ連れてきたとき、
みんな、矢沢が自分で連れてきた、
なんて知らないから、
「いったい誰が後ろについてんだ?」
って噂になったよね。
糸井
ふふふふふ。
矢沢
だから、歌手やってるくせに、
チケットの打ち合わせからなにから、
ホテル押さえるところまで全部やってたよ。
そこまでやるからこそ、
彼らとの仲もタイトになってくる。
やっぱりね、人に任せるっていうのは便利がいいけど、
なるだけ自分でやったほうがいい。
苦労しますけども、それだけのものが
あとで必ず残るからね。
だから、その当時から矢沢はもう、
呼び屋はやる、なに屋はやる、かに屋はやる‥‥。
糸井
つまり、永ちゃんって、自分で
「わかってやりたい」という気持ちが
いつでもあるんだよね。
わからないところ人任せにするんじゃなくて、
「どうなってるの?」っていう。
矢沢
そうそうそう。
あのね、やっぱりね、知ったかぶりしてね、
あとヨロシク、とかね、
あ、やっといて、とか言ってね、
誰かにやってもらう、って形でいたら、
その場所からずっと出られないんだよね。
糸井
それは、あらゆるところでそうしてる?
矢沢
うん。全部。
(つづきます!)
2019-06-09-SUN
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