ななつめのどうぶつ たぬき
アッコちゃんがさっき言った
「私のなかの当然はこう」という考え方で、
俺はいいと思うんだ。
「自分はしない」ということ、
たぶんそれ以外できないと思う。
できないことをできるような気にさせるのが
誰をも苦しめるような気がするんですよ。

昔はいぬを飼うのも、
犬小屋という場所につないで、
ごはんにみそ汁をかけたものをあげてた。
「今日も散歩に連れていってもらえなかったな」
なんて、いぬは思ってる。
それがあたりまえでした。
あれをいま見たら「虐待」と言われると思う。
そうだよね。
あの関係で犬をみていたころには
どうぶつについて「しょうがないね」という言葉が
ごく当たり前に聞こえました。
自分たちが豊かになっていくのと並行して
どうぶつについて逆に
過剰になっていくこともあります。
くりんくりんのリボンをつけたり
いろんなお洋服を着せてる人たちもいる。
でも、たとえばフィリピンに行くと、
いまもやせほそった犬が
そのへんをトットットと歩いてる。
「最終的には、お前、食われちゃうかもよ?」
と声かけるんだけど、
でもさ、いいんだ、って思えるもの。
人間の暮らしとどうぶつはいっしょにある。

だけど、ゲームとして殺すのはダメだって
言いたくなるんだけど‥‥。
なんだろう、これは。

うーん。それは俺も言いたい。
だめですよね。
無条件にダメ、っていうのは
言っちゃだめなのかな?
でも、そういうひどいことをする奴の物語を
小説に書いたとするでしょう。
そうすると、「人でなし」のように
思ってた奴が「人だった」と気づいたりするんだよ。
それは困っちゃう。
やっぱり答えは、出ないんだ。
俺はやだ、と言うしかないんだよね。
‥‥そうだよね。
少なくとも、
目の前でやらせるわけにはいかない。
とめられる機会があったらとめたい。
それをひとりずつが言うしかないんだろうね。
あんまりクールになりたくないけど
追っかけると追っかけきれなくなるんだよ。
霧の向こうに行く。
うん。
そして、そういう
人間とけものとの関係を
描いた作品が、
糸井&矢野コンビにもあります。
たぬきがでてくるやつね。
「にぎりめしとえりまき」です。
どうしてあんなの書いたの?
なんであれになったんだっけ?

(「にぎりめしとえりまき」は
 『エレファントホテル』に入っている曲なので
 今回の「さとがえる」のための
 紹介VTRがあります)
どうしてって、どういうこと?
ああいう絵巻物を作ろうって
ふたりで言ったんだっけ?
なんであんな歌になったんだろう?
たぬきが自分のしっぽをえりまきにした、
という歌だよね?
俺がそれを思いついたってことじゃないかな?
その思いつきが、なんで、
ああいう語りものになったの?
書きたかったんだよ(笑)。
おなかすかせたたぬきがね、
にぎりめしをもらうことと引き換えに
えりまきを要求されるんだけど、
それは実はしっぽ。
「このえりまきは、
 おかあさんが編んでくれたものだから
 あげられません」
「おにぎり食うか?」
「それはできません」
そう言って、逃げちゃう。
でも人間は「いや、食えや食えや」といって
追いかけていく。
どうしようもないな(笑)。
もうちょっと親しければ
話し合いができたんだね。
そういう歌詞ね。
たぬきが子どもで
かけひきができないから、
ただ怖かったんだ。

そういえば、たぬきも、
子どもの歌にしか出てこないよね。
大人は歌わないね。
(明日につづきます。
 次は最終回だよ!)
イラストレーション:東久世
写真:松本昇大
2013-12-08-SUN
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