むっつめのどうぶつ ゾウ
さて、ゾウね。
今回のさとがえるコンサートで演奏する
「エレファントホテル」のゾウです。

どうぶつが、やがては死ぬものだということは
わかっていても、
象牙を取るためにゾウが密猟で
たくさん殺されていたりすると、
自分とは関係のないところでも
許せないと思ってしまう。

人間の子どもが虐待されるのが許せないことと
根本は同じなんじゃないかな? と思う。
「無条件に、容易に殺してはいけない」
という気持ちは、
みんなが持ってるものなんじゃないかなぁ。
うーん‥‥前提として、
「自分のほうが弱い」場合はそうじゃないと思う。
つまり、ゾウにいつでも襲われる可能性があって、
ゾウをなんともできない、
ゾウが出ちゃったらこの村おしまい、
という関係では、たぶんそれはないと思う。

うん、それはないね。
人間はものすごく長生きすることになって
ものすごく強くなった。
そこからはじまった「心」じゃないかな、
という気はするんだ。
いぬやねこ、クジラとの関係も、そうでしょ。
そのときによってものすごく変わる。
そうね。
きっとどこかで考えをとめるんだろうね。
生きることが有限であるように、
「有限である」ということのあきらめを
上手にするんじゃないかね?

きりのあることと、ないことがあって、
「きりのないこと」に入ってしまったときに
「きりのあるところ」をなんとか自分で探す。
生きてくってことは、そういうことかもしれない。
そうね。それはほんとに
なんにでも言えることです。
服でも家でもそうだけど
どういうものを買うか、なにを選ぶか、
すべてに通じてくる。
それは自分で見つけないとね。
うん。
それをくりかえすことなんだろうな。
前提が「有限」という
悲しみのなかで生きている以上は
その「有限」に自分も含まれているわけだから。
どこを大切にするかは、その人が
考えていくことなんだけど、でもね‥‥
ニューヨークに駐在している人で、
子どもがいぬをほしがって飼った人が
急に日本に戻ることになって、
会社の社宅だと飼えなくなるから
「引き取り手が見つからなければシェルター」
という話が多いんです。
多いだろうね。
私だったらよ?
そんな会社やめろ、と。
家族として一緒に暮らしたんだから、
少なくとも犬も暮らせるところに引っ越せ、と。
それが大前提です。
わたしのなかの「当然」はそうなの。
そうだね。
それは俺もまったくそう思う。
ということを思って、
もういちどゾウに戻るわけだけど‥‥。

ゾウ、でかいよね。

たしか、陸にいるどうぶつで
いちばんでかいんだよね。
アッコちゃんは、乗ったことある?
タイで乗りました。
けっこう揺れるんだ。
もしも自分がゾウならさ、
「どうして君たちは、でかいことと
 鼻のことしか言わないの?
 もっとあるだろ、ほかに。
 もっと言ってよ、ほら、耳のこととかさ」
と、きっと思うなぁ(笑)。
つまり、ゾウは、大きくて目立つわりには
「気づいてほしい」と思ってるどうぶつじゃないかな。
もっと別な「部位」をね。
大きいことを抜きにして、
どうお、あたしのこと?
大きい以外にねぇ‥‥あ、ゾウは、
「エレファントメモリ」と言うように、
頭がいいって聞いたことがある。
そういう言葉があるんだ。
ああ、よかった。
まずゾウは、頭がいい。
あとは、
「ホワイトエレファント」という
言いまわしもあるよ。
どういうこと?
語源はたしか、こういうこと。
むかし、どこかの王様が
「俺の首を狙ってるな、あいつ」
という胡散臭い家来に
ほうびとして白い象を贈ったの。
もらっちゃた家来としては、
王様の贈りものだから、死なせちゃいけない。
そのためにたいへんな苦労をして、
財産を使い果たしてしまった。
ほほう。
もらったことで、逆にエネルギーを使っちゃう。
つまり「ありがためいわく」?
なるほどね。
ゾウはそういう言葉にも使われる。
あと、意外と毛深い。
そうだっけ?
いぬやねこも
ひげまわりとかが毛深いけど、
ゾウはゾウで、
あらゆるところにものすごく毛が生えている。
それは、覚えといてほしい。
わははは、そうなんだ。知らなかった。
わたしはゾウの口が好きです。
この前どこかで
ゾウの口と鼻の連動のしかた、というような
動画を見て、いたく感動しました。
どうぶつの「連動もの」はだいたいいいね。
(明日につづきます)
イラストレーション:東久世
写真:松本昇大
2013-12-07-SAT
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