「誰なんだ あんた ビールつきあうから教えてくれ」 立ってもうひとつグラスを出してきて 男の目の前に置いた 男がゆっくり私にビールを注いだ 〈人は名前ではない 職業でもない 地位でもない 性格ですらない 人は他との不安定な関係に過ぎない 君は知るだけか?〉 私を責める口調ではない 相変わらず自問している風情だ 暴力とは縁がない男だ と思った途端 男がポケットに手を入れた なんだ ナイフか いや紙片だ 目を落として男は読む 〈君は嗅ぐだけか 屁と柚子が発散するものを 屁という語に臭気はないのに 柚子という語に香りはないのに?〉 なんだかすべてが 言葉の上の出来事のような気がする 見透かしたように男が言った 〈僕に触れてもかまわない 僕は血と肉だ 脾臓だ膀胱だ小脳だ広背筋だ仙骨だ 君と同じだ 僕が言葉なら君も言葉だ 君は読むだけか?〉 ぎくりとした 私は世界を読み続けてきた人間だから 文字だけでなく数字だけでなく 無名の実在を片端から名づけ すべてを言語に置換することで 世界を理解しようとしてきたから 「だがそういうあんたは 問いかけるだけかい?」 私の逆襲に声を立てて男は笑った