東北の仕事論。気仙沼 藤田商店 篇
第3回 地震が起こったときのこと。
──
藤田さんのところでは、
震災のときは、どうだったのでしょうか。
藤田
あの年は‥‥ワカメがものすごくよくて。



単価もずっと高かったから、
今年は勝負できるなって思ってたんです。
──
そうなんですか。
藤田
地震の当日は、集荷の日だったので、
ワカメを軽トラックに載せて、
自宅に向かって、走ってたんですよ。



で、自宅の目の前で、地震に遭った。
──
揺れた?
藤田
軽トラがパンクしたと思ったんです。
走ってるのにガタガタ揺れたから。



でも、前から歩いてきた女子高生が
キャーッとか叫んだんで、
何かおかしいと思って降りたら、
もう、ものすごい揺れだったんです。
──
ああ‥‥。
藤田
家に着くなりワカメを下ろしました。



子どもらは学校と幼稚園に行ってて、
親父とお袋は内陸の温泉へ、
妻は、気仙沼市内のパーマ屋さんへ。
──
じゃあ、みなさん、お留守だったと。
心配だったでしょう。
藤田
とにかく、まずは子どもを
迎えに行かないといけないなと思って、
小学校まで行ったら、
妻が幼稚園から息子を乗せてきました。



小学校の娘を探したんですけどおらず、
そろばん塾のほうにもいなくて、
でももう一回
学校のほうに戻ったら、会えたんです。
──
おお、よかった。
藤田
妻と娘と息子と4人あわさって、
とにかく嫁の実家が高台のほうなんで、
そっちへ避難させました。



で、自分は消防で出ていったんです。
──
あ、地域の消防団に入ってらっしゃる。
藤田
うん、そこから海のほうへ戻って、
漁港のあたりを回って避難誘導しながら、
気仙沼向洋高校のほうへ下りてったら、
下から登って来る人たちが、
「津波だ、逃げろ、流されてる!」って。
──
わあ。
藤田
海を見たら、家が流されはじめてました。
ああ、これはダメだと思って。
──
それは、地震から何分後くらいですか。
藤田
地震が2時46分でしょ、
だから‥‥3時半ごろだったのかなあ。



ともあれ、そこらへんにいた中学生を
6人くらい乗っけて、
内陸にある避難所に向かったんだけど、
走りながら左を見たら、
田んぼに黒い海水が入ってきていて。
──
ものすごい速さだったんでしょうね。
藤田
うん、家が流される光景なんか、
やっぱり見たときなかったもんだから、
呆然としちゃうっていうか、
いったい、何が起きてるんだろうかと。
──
見たことのない光景に、
思わず立ち止まってしまうという話は、
けっこう聞きました。
藤田
それ以降はもう、
消防として、とにかくけが人の救助を、
えんえん、やってた感じです。
──
藤田さん、ご自宅も、工場も‥‥。
藤田
もう、何もかも残ってませんでしたね。
消防で動いて、夜は避難所で寝て。
──
そういう状況が突然、ですものね。
藤田
情報がないので状況がわからないし、
消防の無線から、
陸前高田壊滅状態とかって言葉だけが、
聞こえてくるんです。



家族とも会えなかったんですが、
もう、だれの携帯もつながらないなか、
俺の携帯だけが鳴ったんですよ。
──
おお。
藤田
それは、南でカツオ船に乗っていた
義理の弟で、
衛星電話で電話をよこしてきて。



その電話で、
家族全員が無事だってわかりました。
──
義理の弟さんが、
遠い海の上で情報を集めたんですね。



震災のときの気仙沼で覚えてるのは、
大きな火事があったことです。
藤田
そうですね。ただ、地震当日の夜は、
停電していたし、
まったく情報が遮断されていたので、
火事が起きているとは、
ぜんぜん、わからなかったんです。



ただ、市内のほうが明るく光ってた。
──
明るく。
藤田
避難所の体育館も
人でごった返していたんですが、
みんな寝付けず、外で火を焚いて
話をしていたんですよね。



今から思えば不謹慎なんですけど、
市内が何かきれいだなって、
みんなで言ってたら、それが火事で。
──
でも、わからなかったんですもんね。
藤田
震災3日目だったかな、
市内の火事がひどいからっていって、
消防に集合がかかって。
山田
火事といっても、
ただの火事じゃないんです。



重油に火がついてたわけで。
藤田
そう、火のついた油に水をかけても、
散った油が集まってきたら、
また、消えたはずの火がついちゃう。
──
きりがない‥‥。
藤田
5日めくらいには、
市内で燃えていた火が海をわたって、
大島が燃えだしたんです。
──
火が、海を‥‥油をつたって?
藤田
海の上を油の膜が張ってたんですよ。
──
じゃ、火の道が現れて‥‥みたいな。
藤田
あるいは、火のついた材木なんかが
流されてったりしたそうです。



で、大島の亀山という山のうえって、
神様のいる聖地なんで、
大島の人たちは、
とにかく火を消したいということで、
俺らも応援に行ったんです。
──
つまり、気仙沼から船に乗って。
藤田
夕方に港を出航して、途中で
自衛隊の船から食糧を積み込んだり、
そんなことをしながら、
ようやく大島に到着したら、
公民館の大広間‥‥みたいな場所に、
全員、集められたんです。
──
それ、何人くらいで行ったんですか。
藤田
40人くらいかなあ、
まずはごはんを食べてくださいって、
缶詰を1個と
ペットボトルの水を1本、渡されて。
──
まだ全然そういう状況なんですよね、
震災5日というのは。
藤田
そのあと民宿に移動して、
出動するときはすぐに呼びますから、
まずは休んでくださいと。



でも、まったく寝れないんです。
全員が全員、
わけもわからず来てる感じでしたし、
停電はしてるし、
風呂も入ってないからみんな臭いし。
──
ええ。
藤田
仕方なく横になってたら、
ドドドドッて自衛隊の人たちが来て、
「出動!」の号令がかかった。



俺たち全員バスに乗っけられて、
亀山の上のほう、
上がれるところまで上がったら、
「今から山火事を消します」と。
──
それは‥‥どうやって?
藤田
そう、消すったって、
誰も何にも道具を持ってないんです。



水揚げるポンプもあるわけじゃない、
スコップもあるわけじゃない。
だからもう、自分らの足ですよ、足。
──
えっ‥‥つまり、火を踏みつけて?
藤田
あと、持ってたペットボトルの水を
かけたりしてるんだけど、
そんなんで、消えるわけないんです。
──
はー‥‥。
藤田
びっくりしたのは、
「何とか隊何回生、小便放水はじめ!」
とかって号令がかかったら、
自衛隊の隊員さんが、
何人か「はいっ!」って言って、
おしっこして、それで消火活動してた。
山田
ホントですか‥‥。
──
すごい‥‥。
藤田
消えないですよ、消す能力がないから。
──
本当に極限的な状態だったってことが、
ものすごく伝わってきます。
藤田
結局、俺は、次の日のお昼くらいには、
気仙沼に引き上げてきました。



埒があかないし、地元の階上のほうは、
ご遺体だらけだったんで。
山田
そうですよね、階上って、
被害の大きな地域のひとつでしたから。
──
大島の火は、消えたんでしょうか。
藤田
消えたけど、ただそれも、
消火活動がうまくいったっていうより、
火って道路で止まるんで、
あるていど、燃やし尽くしてしまって、
それで終わった感じです。
山田
じゃ、しばらくは消防の活動が主で?
藤田
うん。結局、1カ月かなあ、
消防団のテントで生活していました。



でも、これはお子さんを亡くした人が
おっしゃってたんですが、
消防の活動があって、
みんなで動いてたから持ちこたえた、
ひとりでいたらつぶれてた‥‥って。
──
ああ‥‥。
藤田
目の前にやらなきゃいけないことがあって、
それも地域の人たちのご遺体が、
たくさん、たくさん、あったんです。



その人たちを、
どうにかしなきゃいけないという気持ちで、
自分とかも、もったようなもんで。
──
なるほど。
藤田
結局、俺の地元の階上では、
ものすごく多くの人が犠牲になったんです。



みんな知り合いだし、
家族同然みたいな感じだったし、
ご遺体に、流されてきた毛布をかけながら、
ごめんね、
後できちんと運んでやるからねって言って。
──
はい。
藤田
あのころは、毎日毎日、
亡くなったと聞いて涙をボロボロ流すのと、
助かったと聞いて、
ああよかったなって涙をボロボロ流すのと。



その繰り返し‥‥でした。
<つづきます>
2019-03-13-WED