さよならは、こんなふうに。 さよならは、こんなふうに。
昨年連載した
訪問診療医の小堀鷗一郎さんと糸井重里の対談に、
大きな反響がありました。
あの対談がきっかけとなって、
ふたりはさらに対話を重ね、
その内容が一冊の本になることも決まりました。



小堀鷗一郎先生は、
死に正解はないとおっしゃいます。
糸井重里は、
死を考えることは生を考えることと言います。



みずからの死、身近な人の死にたいして、
みなさんはどう思っていますか。
のぞみは、ありますか。
知りたいです。
みなさんのこれまでの経験や考えていることを募って
ご紹介していくコンテンツを開きます。
どうぞお寄せください。
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illustration:綱田康平
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夕食は
グリーンカレーだった。
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前夜の夕食はグリーンカレーだった。
私が作ったグリーンカレーだった。



「鶏肉がいい?豚肉がいい?」
と聞くと、
「そうね~、カレーだったら豚肉だね」



カレーだったら豚肉ってよくわからなかったけれど、
彼女は鶏肉より豚肉が好きなのだ。
という事実を知った。
グリーンカレーは、
一般的には鶏肉の場合が多いと思う。



彼女はそのことを知らず、というか
グリーンカレーというものを知らなかった。
70数年、生まれてこの方
見たことも食べたことも、ない。
カレーといえばジャガイモタマネギニンジンの
トロリと茶色のあれしか知らない。



ひと口食べて
「辛い」
と大騒ぎした。
汗を吹かし赤い顔で、
「辛い、これは辛い。でもおいしい」
おいしい、も確かに言っていた気がするけれど、
目の中に入れても痛くない孫への
そんたくであったことは間違いない。
生まれてはじめて口にする辛味にやられて、
おいしさを認知できなかったでしょ。
無理して食べることないのに、
腹のなかで私は思った。
無性にそのときイライラしていた。



グリーンカレーは私にとって東京の味だ。



上京しはじめてグリーンカレーを口にしたとき、
「東京にはこんなおいしいものがあるのか」
と感動した。だから、家族に食べさせたかった。
70数年、旅行以外で
生まれ育った土地を離れたことがない、
いなかの祖母に食べさせたかった。
店で食べるだけでなく自分でも作れるようになった
グリーンカレーを。



イライラしたまま、東京に戻る朝、
祖母とケンカをした。
ケンカをしたのか一方的に私が
祖母に対してイライラしていたのか、
覚えていないけれど、
ともかく私は祖母を無視した。
無視にたいした意味はなかった。
次回帰省したときにまた会える祖母に、
いつまでも未成熟の孫が、
甘えを内包した苛つきを、
無視という態度でぶつけた、
それ以上でも以下でもない無視だった。



朝から雨だった。



私は母が運転する車の助手席に座った。
祖母は外まで見送りに出てきた。
傘をささずに、助手席の横に立った。
私は助手席の窓を開けなかった。
雨が降っていたから、
窓には雨粒が余白なく張りついた。
だから、祖母の顔ははっきりと見えなかった。
祖母は傘をさしていなかったから、
雨に打たれてきっと、ずいぶん濡れたと思う。



祖母が、目の中に入れても痛くない私の名前を
呼んでいた、開かない窓越しに。
何度か、何度も、呼んでいた。
最後に、
「○○ちゃん、がんばってね」
と、言った。



その夜、祖母は亡くなった。



また会える日はもうこない。
また必ず会いたい人に、
会えない日は必ずくるから、
さよならをするときは笑って、
いや、笑わなくてもいいけれどせめて
「またね」とか「元気でね」とか、
いや、「またね」だな。またねに尽きる。
「またね」と伝えたほうがいい。



私が作る後悔のグリーンカレーを、
家族は「おいしい」と食べる。
「おいしい」にはなにかを止める力があると、
なにかを止める力を持たない私は、
雨の朝のトリガーを忘れぬまま家族に
「おいしい」を作り続ける。



(T・I)
2021-02-16-TUE
小堀鷗一郎さんと糸井重里の対話が本になります。


「死とちゃんと手をつなげたら、
今を生きることにつながる。」
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『いつか来る死』
小堀鷗一郎 糸井重里 著

幡野広志 写真

名久井直子 ブックデザイン

崎谷実穂 構成

マガジンハウス 発行

2020年11月12日発売