さよならは、こんなふうに。 さよならは、こんなふうに。
昨年連載した
訪問診療医の小堀鷗一郎さんと糸井重里の対談に、
大きな反響がありました。
あの対談がきっかけとなって、
ふたりはさらに対話を重ね、
その内容が一冊の本になることも決まりました。



小堀鷗一郎先生は、
死に正解はないとおっしゃいます。
糸井重里は、
死を考えることは生を考えることと言います。



みずからの死、身近な人の死にたいして、
みなさんはどう思っていますか。
のぞみは、ありますか。
知りたいです。
みなさんのこれまでの経験や考えていることを募って
ご紹介していくコンテンツを開きます。
どうぞお寄せください。
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illustration:綱田康平
024
果たして自分が
近くにいてよかったのだろうか。
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5年ほど闘病生活をしていた友人が
先週亡くなりました。



手術、抗がん剤、再発、手術、
抗がん剤、転移、再発をくり返していました。
それでも体調が良いときは
おいしいものを食べに行きたいと
ネットで見つけたお店へ一緒に行ったり、
年に数回はお酒のおいしいところへ
旅行したりしました。
今年に入ってからはコロナもあり、
会うこともままなりませんでしたが、
感染の危険を下げるために、
本人の代わりに買い出しをしたりしました。
外を歩くことが少なくなったこともあり、
秋ごろからは
車椅子を使わないと移動ができない状態でしたが、
それでも体調が良いときは外に出たがったので、
完全バリアフリーのお部屋に
引っ越しも予定していました。



12月に軽い肺炎を患い入院。
一時はLINEしてくるくらい回復したものの、病院から
「呼吸するのが難しくなったので、
お話をされるならいまのうちに」
と連絡をもらい、慌てて病院へ。
本人から「少し楽になってきた」というLINEもきて、
病室ではいつものように
にこやかな表情をしていました。
そしていつも弱いところを見せることなど
なかったのに、
「もう一度だけ外へ出たかったな」と呟きました。
面会を終えて帰るとき、
ベッドから何度も何度も手を振っていました。
翌朝、病院から電話をもらい病院に向かう途中、
友人は亡くなりました。



遠方から駆けつけてきたご兄妹のご厚意により、
告別式、火葬、その後の会食にも
呼んでいただきました。
持参した友人の写真を見せると、
「こんなふうにおどけている表情は見たことがない」
「お酒も好きだったんだ」
「カラオケなんて聴いたこともない」
と驚いていました。



最後の最後まで友人の近くにいさせてもらえて、
楽しい思い出ができてよかったのですが、
果たしてそれがご家族や彼自身にとって
よかったのかどうか、少し気になりました。
すると妹さんから不意に言われました。
実は抗がん剤が効かなくなった頃に、
何度か近くに引っ越してくるように
説得した時期があった、と。
本人も一時期はご家族の近くで
緩和ケアの病院を探したことがあったそうです。
でも、最終的には
「ここには大切な人たちがいるから、
ここで生きていきたい」
と言われたそうです。



「兄にとってはどこで生活するより、
誰と生活するということが大事で、
その理由が、こうやって兄の話を聞かせてもらって
納得できました」
と妹さんはおっしゃいました。



何が正しかったのかは誰にもわかりませんが、
友人の望むように生きるお手伝いができたのなら、
それでよいのかなと思えました。




(A)
2021-01-21-THU
小堀鷗一郎さんと糸井重里の対話が本になります。


「死とちゃんと手をつなげたら、
今を生きることにつながる。」
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『いつか来る死』
小堀鷗一郎 糸井重里 著

幡野広志 写真

名久井直子 ブックデザイン

崎谷実穂 構成

マガジンハウス 発行

2020年11月12日発売