HOBONICHI
Les Forts de Laputa 2017
Les Forts de Laputa 2017
渋谷英雄(ヒデ)さん、
50歳からワインを目指す。
02
ドメーヌ・ヒデを主宰する
ワインのつくり手、
渋谷英雄(しぶたに・ひでお)さん、
通称ヒデさんにお話をききました。
ヒデさん、ワインを志したのは50歳のとき。
それまで、どんな人生を
送られてきたのでしょう?

生まれは神田、育ちは大阪です。
東京の大学を出てから航空会社に勤め、
沖縄の慶良間諸島にある人口50人ほどの島の
飛行場で管制員兼空港長をしていました。
部下はヤギ1匹というくらいのんびりとした場所で、
「無人島の飛行場」って言っていたほどの環境のなかで、
独りものにとってはいい仕事でした。

勤め先が別の会社と合併したときに辞め、
中学の頃から親しんでいたダイビングを仕事にしようと、
慶良間に残り、
後にダイビングの専門学校をつくりました。
そこで高校生にダイビングを教えるなかで、
不登校の子どもたちとふれあい、
専門の知識がないままで
愛情だけでなんとかしようとしても
うまくいかないという現実に直面して、
もういちど学び直そうと東京に戻り、
東大大学院で臨床心理学を学びました。
その後、32歳から、
学生や社会人のための臨床心理士をつとめたんです。

どうして臨床心理士がワインづくりに? と、
みなさん疑問に思われるんですが、
臨床心理士というのは人の話を聞くのが仕事で、
自分からは表現しちゃ、だめなんです。
もちろんカウンセリング内容は他言もしない。
我慢の仕事、耐える仕事です。
そんななかで、3・11を経験して、
自分は60までに何ができるだろうかと
考えるようになりました。
なにか、表現をしたかった。
だから喋ることができる坊さんになるか、
打ち上げることができる花火師になるか、
あるいはお酒も好きだったから、
沖縄にいた縁で、泡盛をつくろうかと思いました。
けれども泡盛というのは酒蔵を増やさない方針で、
製造免許が下りないと知り、
好きなワイン、果実酒づくりを学ぼうと、
18年続けた臨床心理士の仕事を休み、
勝沼のワイナリーへ修業に行くことにしたんです。
50歳のときのことでした。

50の手習いはたいへんだったでしょうと言われますが、
そんなこともないんですよ。
丁稚ですから「おいっ!」とか言われても(笑)、
「20代の頃を思い出すなぁ」と、
いい意味で新鮮で、楽しい時間を過ごしたんです。

勝沼に行ったのは、
ワインをつくるなら、最初から
「ビオ・ディナミ」とか「ナチュラル系」の
ワイナリーをやりたかったという気持ちもありつつ、
その前に、勝沼で、超一流の現場を
1回見ておきたいと考えたからです。
幸い、受け入れてくれたかたも、
60を超えてからワイナリーをつくったかたで、
ぼくのような年齢のものが
いずれ独立をしたいという気持ちで
丁稚に来ることを理解してくださいました。

▲ドメーヌ・ヒデの醸造所は住宅地のなかにある。
建物は古い民家を改築。
東京に家族をのこし、単身赴任で
住み込みの24時間態勢で醸造を行なっている。
「ワインの道に入ったのが50代と遅かったので、
もっと若い頃から始めている人に追いつくには、
24時間ワインにつきあわないといけない」と、
住み込むことを決めたのだそう。

そうして3年で独立。
自分のワインづくりのための場所探しは、
日本のあちこち、46か所に
水を撒いて歩いたんです。
畑に水をまいて、
しみ込むスピードがいちばん早い所を探す。
全国といっても、九州ははぶきました。
いえ、九州のワインはおいしいんですよ、
お酒にすごく舌の肥えた人たちがいるので、
いいワインもできる。
けれども雨量の多い九州は、雨除けに
畑にビニールがけをする体力がいるんです。
それは自分の年齢では難しいと思いました。
そこで山口県をスタートに、
四国も含めて東へ進み、北海道まで、
いちばん水はけのよい土地を探して巡り、
現在の南アルプス市に行き着いたんです。

▲取材に訪れたのは3月。畑は「誘引」の時期。
木を倒したり、剪定して、芽の出やすい環境をつくる。
それが終わり、芽吹いたら、
有機農薬を使って雨に備える「防除」、
5月になると低い位置にビニールをかける「かさかけ」。
7、8月には収穫がはじまる。
収穫したぶどうを仕込むのは、早くて8月から。

南アルプスは、水の染み込むスピードがよいとともに、
「『月夜にも灼ける』っていう土地だよ」と言われたことが
腰を据えるきっかけになりました。
つまり、それくらい雨が少なく乾燥している。
それは有機農業を始めるのにも最適でした。
雨の多いところでは、
有機農法ではぶどうが実りにくいんです。

そういえば小学生の頃、
予科練の経験があった父に連れられ、
このあたりに来たことがあったのを思い出しました。
たしか飛行場があったはずだと調べたら、
「ロタコ」っていう暗号名の隠密飛行場が
ここにあったんです。
昔、飛行場があったということは、
有視界で飛行機を飛ばしていた時代ですから、
雨が多くない場所なんですよ。
それで「ここは雨の少ない土地だ」と確信し、
土地を借りることにしました。
航空管制の経験がすこしは役に立ちましたね(笑)。

そうして会社を設立して、
本格的に自分のワインづくりを始めることにしました。
2015年に果実酒製造免許を取得するまでは、
ぶどうがちゃんと生育する環境をととのえていたのですが、
自作のぶどうでワインが販売できるようになるまでは
5年から6年、かかるんです。
僕が畑づくりばかりにこだわっていると、
もう、人生、間に合わなくなる。
だから買ってきたぶどうで醸造を始めて、
自分のぶどうづくりは後追いで、と考えました。
当時はまだ広くは知られていませんでしたが、
たしかにここら辺はおいしいぶどうがあったんです。

「ワイナリー」(醸造所)ではなく
「ドメーヌ」(ぶどうづくりから瓶づめまで
一貫して行なうワイン醸造)と名をつけたのも、
最初にそう名乗らないと、
ぶどうづくりを諦めちゃうと思ったからです。
名前をつければ、意地になって
なにがなんでも畑をつくると思ったんです。

ぶどうの品種はマスカットべーリーAが主体です。
日本固有の黒ぶどうの品種です。
勝沼に修業に入ったとき、
その原液の、添加物も着色料もない、
うつくしいピンク色に心が奪われたときから、
これでワインをつくろうと決めました。
けれどもピノ・ノワールもやっています。
これはなぜかというと、視野をひろげるため。
海外にはすばらしい
ピノ・ノワールのワインがありますから、
比べれば、自分のワインのレベルがすぐにわかる。

そうしてなんとか畑もつくれるようになって、
ぶどうの生育・出荷、醸造から出荷まで
一貫してワインづくりができる
「ドメーヌ」の形になってきたのは、
ようやく、最近のことです。

50になってからワインをつくりはじめた、
ということもあって、
ワインは人生のいろんなことがあってのお酒だと感じます。
飲む人にとって、喜びのお酒であったり、
悲しみのお酒であったり、
人生の変化のお酒であったり、
恋愛のときに飲む方もいらっしゃる。
いろんな場面がある。

ですから、
つくり手としてはロジカルにやっている一方で、
イメージや感覚的なことも大事にしています。
それは飲むかたがどんなふうにグラスを傾けるんだろうと、
その情景を想像しながらつくる、ということです。
ワインは不思議な飲み物で、
そう思いながらつくらなければ、
おいしいものができないんです。
それがないと、決まらない。ぼやけちゃうんです。

▲樽は、かたちこそ同じだが、
生産国とメーカー、木の素材で
いろいろなタイプがある。
サクラ、フレンチオーク、
アメリカンオーク、ミズナラ、
樽が変わるとがらりと味や香りも変わる。
新樽の1年目は木の香りが強すぎることもあり、
2年目からが本格始動。

ドメーヌ・ヒデには樽のオーナー制度があります。
それはワインの新樽を提供していただく、
いわば馬主のようなことです。
年1回、できあがったワインのうち
24本をオーナーに提供、
残りを販売にまわします。
オーナーがいる樽は、
その方をイメージして熟成をすすめます。
樽の種類や年数によって、もちろん味は変わりますが、
オーナーの存在はとても大きい。
その思いが、ちゃんと味に反映されていくんですよ。

2021-04-23 FRI
YOIのこと。
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