1誰も解明できない「ジャーン!」


- 今日はたぶん、ビートルズの曲を目当てに
来られた人がほとんどでしょうから、
ちょっとぐらいマニアックな話になっても
大丈夫だと思うんですけど。

- うん。

- (客席に向かって)
ためしに
「ビートルズについてあんまり詳しくない」
っていう人がいたら、
手を挙げてもらえませんか。
- 会場
- (80人中、5~6人が手を挙げる)

- ほら、あんまりいないんだよ。
弱ったね(笑)。
だから、慶一くんの持ってるトリビアを
はなから出しちゃおうか。
さっき話してくれた、あの話。

- うん。さっき演奏された曲のことね?

- そうです。今日の1曲目に演奏された
「ハード・デイズ・ナイト」の
出だしの「ジャーン!」。
あの音は、どうやって出しているのか。

- まあ、諸説あるからねえ。

- (客席に向かって)
ね、「諸説ある」らしいんですよ。
そんな話からいきましょう。


- あの音は、90年代は、
コードネームで言うと「G7sus4」で
やっていたんです。

- でも、たぶん厳密に言うと
「G7sus4」ではないんですよね。
やってみたらわかると思うんだけど、違うんです。
ぼくもやってみました。
そのコードでやってみたら
「違うな、これは」って。

- そう。ライブの映像の指使いを見ても、
もうわけがわかんないコードなんですよ。

- わけがわかんない?

- いわゆるコードネームとして書きようもないコード。
たくさんのミュージシャンとか、
数学者の方も研究しているみたいなんですけど。
12弦ギター2本、ベース、ピアノが
たぶん鳴っていて、
それで複雑なコードを生み出してるんだと思う。
誰か、わかっている人いませんか?
今日のお客さんのなかにいたら、
教えてほしいんですよ。
わたしも、一応ミュージシャンなんですけど(笑)。

- 会場
- (笑)

- きっと本当にあの音を出せる人はいないのかもね。
当時、コンピューターで
音を変えたりとかはしてないですよね?

- してないですね。
だって、当時のコンピューターのイメージなんて、
カタカタカタって
機械から紙テープが出てくるような時代ですよ。

- ああ、あったね。
穴の開いた紙テープ!

- 現在は、和音を分析できる
コンピューターソフトがあるから、
それで見ればわかるんじゃないですかね。
ただね、そのコードを弾いた本人が
今、もういないので。

- あぁ、ジョージさんもジョンさんも
いないもんね。

- そうです。
だから本当のところは
やっぱりわからないんです。

- あとで、パロッツのみなさんが
どうやって音を出しているのかも
聞いてみたいよね。

- うん、ぜひ。

- それから、これは
バンドをやっていた鈴木慶一さんに
お聞きしたかったことなんですけど、
ビートルズがいなければ、
「はちみつぱい」はなかったんですか?


- それはわからないです。
でも「音楽家としてのわたし」は
ないですよ。

- あぁー。

- ビートルズから何を学習したかっていうと、
やっぱり、「過剰なまでの好奇心」なんです。

- まだこんなにおもしろいことができるんだ、
みたいな?

- そうそう。
彼らは1966年ごろにライブをやめて、
スタジオでの曲作りに専念してから、
次々にいろんなことをやり始めるでしょう。

- うん、そうだね。

- あとは「集団でものを作る」ということですね。
話がぐっと戻るけど、
わたしの場合は、中学・高校の6年間で、
ビートルズが染み込んだわけです。

- あぁ、中学・高校で。
いい時ですね。

- それで高校を出て、音楽を始めるので。
そのへんが一番大きいですね。

- でも、そのころって
まだビートルズについての情報量が
少ない時代じゃないですか。

- 少ない、少ない。
最初に見たのは、
いわゆる新聞とか雑誌の写真だけでね。
動くビートルズを見られるのは
1965年になってからですもん。

- 『ハード・デイズ・ナイト』の映画で?

- いや、その前の
「エド・サリヴァン・ショー」。
放映されたのが1964年アメリカで、
日本でのテレビ公開は1965年ですからね。
そして1966年に来日公演があって。
だから、動くのを見るまでには
けっこう時間がかかった。

- 「エド・サリヴァン・ショー」の
映像は貴重でしたね。
エド・サリヴァンって
何者なんだよって思ってました(笑)。

- 猫背でね。
ちょっと顔がニクソンに似てて(笑)。


- あの人の正体は?

- いわゆる芸能を紹介していく人ですよね。
音楽評論家じゃないと思いますよ。
だって手品とかまでやるんだもん、あの番組は。

- あの番組を見れば、
いつでも「いま一番楽しいこと」が
感じられるだろうなっていう存在でしたよね。

- エド・サリヴァンが、たまたま
ロンドンのヒースロー空港にいた時に、
ビートルマニアがたくさん
集まってたんですって。それで
「ギャーギャー言ってるけど、これは何事だ?」
ってことになって。

- 「あいつらを呼んでみようか」って?

- そうそう。

- あぁ。それがなければ、
ビートルズがアメリカに渡ることもなかったわけか。

- それよりもまずね、
(マネージャーの)ブライアン・エプスタインと
ビートルズが出会った。
これがなければ、たかだか
リバプールの人気バンドで終わったかもしれない。
そして(プロデューサーの)
ジョージ・マーティンと出会った。

- あぁー。

- だから、本当にラッキーが
積み重なっていったわけだよね。
あの4人だけじゃ、できなかったでしょう。

(つづきます)
■ザ・ビートルズ
1964年「エド・サリヴァン・ショー」出演時の
『抱きしめたい』
■ザ・ビートルズ
1964年「エド・サリヴァン・ショー」出演時の
『ツイスト・アンド・シャウト』

