楽しまないともったいないから。春風亭昇太さん×糸井重里 対談
第3回
「真似」と「コピー」の違い。
糸井
昇太さんは、
柳昇師匠から落語を学んだんでしょう?
昇太
はい。
でも、師匠から教わった話は少ないんですよ。
うちの師匠は、新作落語をやっていたので、
「新作がやりたかったら、自分で書け」
と言ってましたし、
古典落語のほうも、
20年間で師匠から教わったのは二席だけなんです。
糸井
二席だけ。
昇太
でも、「三遍稽古」という、
落語家が本来やっていた古いやり方で
教えてくれました。
師匠が弟子であるぼくの目の前で
落語をしゃべるんです。
で、聞き終わったら、
「じゃ、またな」と言って帰ります。
また何日か経って、
師匠がぼくの前で落語を一席しゃべる。
それを3回繰り返します。
「三遍稽古」という言葉通り、
3回聞いて覚えるというものなんです。
糸井
弟子が自分でやってみせるというのは
ないんですか。
昇太
弟子がやってみせるのは、
最後だけなんです。
「あげにいく」という言葉を使うんですけど。
糸井
あげにいく。
昇太
ええ。
「覚えましたので聞いてください」
と言って、師匠の目の前でやる。
師匠がそれを見て、
「じゃあ、その落語をやっていいよ」と、
許可が降りるんです。
糸井
はぁー。
昇太
いまの時代は
だいたい音源を取らせてくれるので、
それを聞いて覚えることが多いのですが、
本当に落語を教わるには、
昔の「三遍稽古」という稽古の仕方が、
ベストだったと思うんです。
糸井
ほぉー。
昇太
なぜかと言うと、音源を聞いて覚えると
完全にコピーになっちゃうんですよ。
息継ぎのタイミングまで同じになっちゃうから。
糸井
ああそうか。
それはダメですね。
昇太
そうなんです。
落語は、自分の言葉でしゃべった方がいいんです。
だから「三遍稽古」で、
なんとなく覚えるというほうがいい。
誰かが作ったものを、
他人が全く同じようにコピーしても、
おもしろくないんですよね。
実際にモノマネ芸をやってる人も、
完全コピーの人って、いないじゃないですか。
やっぱりデフォルメしているからおもしろいわけで。
糸井
完全コピー型のモノマネの人は
おもしろくないですよね。
なんだか知らないけど、
その人自身から出てくるものがないから。
昇太
ええ、はい。
完全コピーなら、
そのご本人でいいんですから。
糸井
いや、そうか。
その意味で、やっぱり、
コロッケさんの凄さがわかりますね。
昇太
凄いと思いますよ。
特徴だけをつかんでますから。
糸井
そう。ときには、特徴ですらない(笑)。
昇太
(笑)
この人だったらこんなことなのかな、って
ふくらませてね。
やっぱり凄いですよ。
糸井
「三遍稽古」の3回目の稽古は、
自分としては出来た、というタイミングで、
「よし、師匠に見せよう」となるの?
昇太
いや、師匠がタイミングを決めるので、
こっちで決められないんですよ。
地方の公演とかにカバン持ちでついて行って、
たまたま高座まで時間があるとき、
そういうときに突然
「昇太、やるぞ」って、はじまるわけですよ。
糸井
それ、1回目の稽古から3回目まで、
どのくらい期間なんですか?
昇太
2週間ぐらいです。
でもまあ、落語家なんで、
ずーっとなにかしらの落語を聞き続けてるので、
ある程度、内容を知った上で、
稽古に入るんですけどね。
糸井
かといって、
袖で聞いていた経験を全部足しても、
「習った」ことにはならないんですね。
稽古という形をとらないと。
昇太
そうですね。
糸井
この話はすごくおもしろいですね。
ぼく、どう応用するかまだわかんないけど、
なにかに応用してみたい気分です。
「習う」というのは「真似る」ことだけど、
「真似」と「コピー」は同じではない。
どんな分野においても、そうですよね。
昇太
うちの師匠も、
「芸は模倣だから、
 まず、その人のやった通りに覚えなさい」
と言うんですよ。
だから言葉もあまり間違えないように
いったん覚えるんですけど、
そこからどう離れていくのかというのが、
その人の修業だと言ってました。
弟子のなかには、
うちの師匠に似てくる人がいるわけですよ。
そうすると、
「連れて行きづらい」って言ってましたね。
糸井
あぁー、そうか。
昇太
自分の前に、自分のコピーの人が高座をやると、
やりづらいじゃないですか。
また同じ人が出てくることになるから。
だから、いかに師匠と違う人になるか、
というのも大事なんです。
糸井
だけど、
「やっぱり一門ですね」
と言われたい気持ちもあるんですよね。
昇太
そうそう、そうなんです。
糸井
そこは、においが同じじゃないとダメなんですね。
ぼくが、昇太さんがやってることで
特に難しいだろうなと思うのは、
目的が、上手になることじゃないことなんです。
上手な落語家はたくさんいますが、
その場合の「上手」は、
物差しが1ミリも違わないということですよね。
芸を磨いて「正円」、
まんまるを描くようなことじゃないですか。
でも、おたくの春風亭の方々の落語は、
そもそもが「正円」じゃないものだから。
昇太
そうですね。
糸井
ねぇ?
だって、落語聞いてると‥‥ヒドイですよ。
昇太
あっはっはっは。
はいはい、ヒドイですね。
糸井
「そこをそうするのか!」
ということだらけ。
『寝床』なんて、座布団から飛び出して、
ほふく前進してますよね。
伏せて落語する人って見たことないよ。
家で練習するわけですよね。
あれを練習してるんだと思うと、
それ自体がおかしくて。
昇太
そうですね。練習してます。
新作落語で笑いながら作っているものって
ウケるんですよ。
古典落語だって、覚えながら、
プッと自分で吹いちゃうときがあるんですけど、
そこはウケることが多いです。
自分がおもしろいと思っていることって、
人が見ても、やっぱりおもしろいんですよね。


(つづきます)
2016-09-05-MON