耳の聞こえない写真家は、いかにして写真を撮るのか。
接点、仲介する者。



── ふだん、ライブの写真をよく撮ってる
アラマキは
齋藤さんの写真、どう思いましたか?

荒牧 ぼくは、齋藤さんの写真を見ただけでは
「音が聞こえる、聞こえない」は
そんなに関係しないような気がしました。

── つまり「ライブ写真」である、と?

荒牧 それは、もちろん。
少し不思議な感じもするけど、でも、うん。



齋藤 ぼく、ライブ写真って見たことないんです。
自分には関係ないと思っていたので。

だから、今回は
完全に「音楽に対する自分の思い」を
ぶつけました。

── それは、具体的には?

齋藤 音楽に対しては「永遠の片思い」なんです。

好きな女の子のことみたいに
さびしいんだけど、ずっと思っていられる。



── 音楽のことを、ずっと思っているんですか?

齋藤 うーん‥‥ぜんぜん関係ないはずのものを
見たときに、
ふと「片思いの相手」を思い出して
ドキッとする感じ。

だから「音楽」を考えているときは
ロマンチックな気持ちです。

── 前からライブを撮ってみたかった?

齋藤 音の真っただ中に、入ってみたかったです。

── 入った、ですか?

齋藤 入ったかどうかは、わかりません。

でも、大きなスピーカーの脇を通ったとき、
「ぼぼぼ」という響きを感じて
それが、すごく気持ちいいなと思いました。

── 振動で音を感じたんだ。

齋藤 でも、最後のほうになったら
その「ぼぼぼ」も感じなくなっていました。

── ライブ当日、帰りの飛行機のなかで
直後の感想を聞いたときに
「さびしかった」って言ってましたよね。

齋藤 撮影を終えたあと、
「やっぱり、おれにはわからないのかな」
という感覚が残りました。

その感覚は、ライブ中もずっとあって、
さびしさから
ちょっとでも遠ざかるために
その反動で
写真に向かっていくような感じでした。



荒牧 撮るときは、何を手がかりにしました?

齋藤 いくつかあるんですけど、
たとえば
ぼくは、音楽のサビとかがわからないから
歌っている「姿勢」が
「ぴーん」と「貫いたな」って思ったとき、
シャッターを切っていました。

荒牧 へぇー‥‥。

── よくライブを撮ってるアラマキは
シャッターを切るのは、どんなときなの?

齋藤 それ、気になります。

荒牧 歌詞、かなあ‥‥‥‥‥ひとつには。

齋藤 歌詞がいいって思ったときに、撮る?

荒牧 何て言えばいいんだろうな‥‥音が‥‥何だろう、
インタビューでもそうだけど
いいこと言ってるときは、いい顔してる気がする。



齋藤 あー、なるほど!

荒牧 同じように、
いいこと歌ってるときは、いい顔してる気がする。

── 清水さんは、どうですか?

清水 人物を撮るときには
音声の情報を頼りにすることもあるけど
風景を撮ったりするときには
まったく「音」は意識していません。

むしろ、ファインダーに集中していると
音の消えるような感覚もあります。



荒牧 あ、それはわかる気がする。

齋藤 ぼくは逆に、ファインダーに集中していると、
すごく「うるさく」感じることがある。

── それは、何が「うるさい」?

齋藤 目が。

  目?

齋藤 たぶん「いい瞬間」というのは
視覚的な情報に、あふれてるんだと思う。

だから
目が「うるさい」って感じるんだと思う。



荒牧 また別の「情報」の話。

── 「うるさい」ときって、やりにくい?

齋藤 いえ、ぜんぜん、むしろやりやすいです。
「よっしゃー!」みたいな感じ。

荒牧 え、あ、それじゃあ、ということは、
「うるさい」と感じたときに
シャッターを押すということですか?

齋藤 そうです。

一同 へぇー!(と声を上げる)

清水 じゃあ、これも「うるさい」瞬間?



撮影/齋藤陽道
齋藤 そう。

荒牧 おれ、逆だと思ってた。

齋藤 「うるさい」って言葉は、よくないのかな?

清水 あの、齋藤さんの写真じたいの「見た目」は、
うるさくないですよね。

で、「うるさい」というのは
齋藤さんの目が感じる視覚的な感覚ですよね。

齋藤 はい。

清水 私は、聞こえるときと聞こえないときが
あるからなのか、
けっこう、わかるなと思いました。

たぶん、齋藤さんの言う「うるさい」は
実際の音とは
結びついてないんじゃないかと思います。



── それは、ご自身の経験から?

清水 うん、あ、はい。何となくなんですけど。
実際は、どういう感覚ですか?

齋藤 ぼくが感じる「うるさい」っていうのは
ファインダーのなかに見えるものの
それぞれの「動き」が
「ぴたーっと、はまった瞬間」というか‥‥。

清水 そういうときに、うるさい?

齋藤 はい、そう感じます。

── それはつまり「撮りたい!」と思う瞬間?

齋藤 そう。

── たしかに、実際の音とは関係なく訪れる
瞬間なのかもしれないですね。

齋藤さんの「うるさい」って。

齋藤 ぼくも、やりとりをしてみて、
たぶんそうなんだろうなって思いました。



清水 シャッターを切る回数は、どうですか?

齋藤 少ないと思います。

このときも、
ブローニーフィルムで3本くらいです。

清水 私の場合は、補聴器を取ってしまったら
シャッターを多く切るような気がします。

齋藤 どうして?

清水 ええーーーと‥‥。

齋藤 怖い?

清水 うん、怖いのかもしれない。

── そこは
聞こえないのが「ふだんの自分」の齋藤さんと
聞こえるほうが「しっくりくる」清水さんとの
ちがいなんでしょうか。

清水 どうだろう、
「聞こえる、聞こえない」とは関係なく
齋藤さんって
丁寧にシャッターを切ってるんだと思う。

一枚一枚に思いを乗せて撮ってる度合いが
なんか、すごく高そうだし。



齋藤 たぶん、おふたりもそうだと思うんですが
「思わない」と、何も撮れないです。

荒牧 うん、うん。

齋藤 でも、その「思い」が
べたついてないかを、いつも心配してます。

── べたつく?

齋藤 独りよがりになってないかなあと。

荒牧 ぼくは、齋藤さんの写真は
「音を出してる人」と「聴いている人」の間に
あるような感じがしました。



齋藤 あ、そう!

ぼくは、こんな大きな世界で
スミンさんという、
たったひとりの人がふりしぼっている切実なものと
それを聴いている人たちの間を
仲介する者でありたいなーと思って
撮っていた気がします。

── 仲介する者。

齋藤 それに、「音楽」というものについても
うまく言えないけど
「あちら側」と「こちら側」をつなぐもの、
みたいなイメージを、ずっと持ってました。



── 写真も音楽も、どちらも「仲介者」。

荒牧 それ、すごい納得。

齋藤 自分は、透明人間みたいに
そういう隙間に、すっと入れそうだなあって
なんとなく思っています。

── 音が聞こえる場合には、
どちら側かに、ならざるを得ないのかな?

荒牧 そうだね。

だから、僕の写真が「仲介者」であることは
難しいという気がする。



── じゃあ、どういう意識なんですか、自分は?

荒牧 おれは、両方です。

音を出す側、音を聴く側、どっちかに寄る。
そのつど、どちらかに。

── それは、どちらに寄るかで、写真も変わる?

荒牧 と、思う。

── 自分が「仲介する者」だという意識は、
ずっと、あったものなんですか?

齋藤 いえ‥‥いま筆談しながら、出てきた。

── それは、スミンを撮ったから?

齋藤 たぶん、そうです。



【つづきます】

2012-10-12-FRI