かつて、光を守る人がいた。 かつて、光を守る人がいた。
私、ほぼ日の松本には
「灯台守」という職業への憧れがありました
こんなコラムを書いたくらいです)。
でも、具体的にはどんなお仕事だったのか、
そういえば詳しく知りませんでした。

どんなことを考え、
どうやって灯台の光を守ってきたのだろう。
日本最後の有人灯台「女島灯台」で、
灯台守の歴史を見届けた前畑正信さんに、
うかがってきました。
灯台守は、やっぱりかっこよく、
想像以上におもしろかったです。
第5回 「人がとるデータ」への信頼
写真
前畑
女島は渡り鳥の中継地だったので、
鳥がたくさん見られました。
集まった鳥たちが、おなかいっぱい魚を食べて、
さぁ、明日飛び立とうかっていう段になると、
いっせいに島の上空をグルグル回り出すんです。
そして大陸に渡る気流を見つけるんですね。
それがね、カッコよかったんですよ。
最初にリーダーの一羽かが回りだしたら、
次から次に集まっていって。
最後、1カ所に集まったら、
いっせいにダーッと横へ飛んでいく。
灯台職員みんなで手を振って見送りよったですよ。
──
へえーっ。そんな鳥の生態も、
灯台に赴任されてから知ったんですか。
前畑
そうです。
ときどき、大学や野鳥の会の方が
島の自然を調査しに来たんですよ。
地質学者さんとかもね。
ですからね、私もあのくらい勉強熱心だったら、
いまごろもっと偉くなっていたかも
しれないね(笑)。
自由時間に調査したりしていればさ。



酒を飲みに行くわけでもなし、
パチンコ屋があったわけでもないから、
自由時間は釣りするか、勉強するか、雑誌読むか、
しかなかったんですよ。
勉強していろんな資格を取る人も多かったですよ、
娯楽がないぶんね。
それも含めて、灯台に合ってるかどうかって、
好みですよね。
私はとにかく自然が好きで、
都会に出ようっていう気が全然なかったんです。
360度海に囲まれてる、
あの雄大さがやっぱりなんともいえないですよ。
すっごい台風が来てひどい目に遭ったことも
あるんですけどね。



昔、学校なんかに百葉箱っていうのあったでしょ。
写真
──
ありました、ありました。
前畑
灯台にも百葉箱が設置されていて、
毎日なかのデータを観測して
気象庁に送っていました。
台風が来るときは、事前に命綱のロープを
百葉箱まで張っておくんです。
そうしないと、百葉箱に着くまでに
身体が飛ばされてしまうからね。
いちばん風が強かったときは、
百葉箱まで行ってデータを測定しようと思ったら、
測定器がなくなっていたんですよ。
全部風で飛ばされてしまったみたいで。
しかたないから、気象台に「風速不明」と送ったら、
「どういうことですか? ふざけてるんですか?」
と言われて(笑)。
それくらい、大変なときは大変でした。



たまに、気象台に送ったデータが間違っていて、
「ちょっと違いますよ」と修正が入って、
「ゴメン、ちょっと酔っぱらってたかもしれん。
10ヘクトパスカル違ったわ」って
謝ったりもしてました。
無線標識がなかった時代は、
船から来た電波を灯台で測って、
船のいる方位を割り出し、船に伝える
ということもしていました。
それも、私みたいな人がやると
180度間違って伝えてしまって、船から
「なんか、この方位だと、
自分が阿蘇山の上にいることに
なってるんですけど」とつっこまれたりしてね。
──
あははは。
けっこう、大胆な間違いもあったんですね。
写真
前畑
「こんないいかげんなデータはいらないでしょ」
と思うでしょうけど、それでも、
気象台の方や船乗りの方は
「いやいや、人が実際に見て
観測してくれるというのは、それだけで
助かるんです」と言ってくれたんですよ。
機械化によって便利になったことは
たくさんあるけど、
得体の知れてる人間がデータをとっている、という
安心感があったんでしょうね。
──
人が測っているデータへの
信頼があったんですね。
前畑
そうだと思います。
いまは気象観測の機械があるから、
わざわざ外に出なくても、
その日のデータがわかるようになりましたけどね。
昔は、気圧や雲の高さ、蒸気圧、湿度‥‥と、
18項目くらい観測するものがありました。
それも、5分か10分くらいのあいだに
測定して送らないと、気象が変わって、
データが違うものになってしまうんですよ。
だから、慣れないうちは大変でした。
──
気象観測は、慣れるしかなかったんですか。
前畑
慣れしかないです。
──
灯台に赴任する前に勉強していくというよりは、
実際に行ってから、慣れ。
前畑
そうです。高校ではここまでは習わないからね。
いまも、空を見たら、
あしたはだいたいどんな天気になるかわかりますよ。
──
ほんとですか。あした、どうなりそうですか。
前畑
あしたは、ちょっと寒くなる‥‥って、
天気予報で言ってました(笑)。
写真
──
最初の灯台の次は、どちらに赴任されたんですか。
前畑
沖縄の名護市の、電波標識に行きました。
これは海上保安庁がアメリカから引き取ったもの
だったので、引き継ぎの資料が
全部英語だったんですよ。
だから、慣れるまでは大変だったけど、
慣れたら楽しかったです。
隣に常駐していたアメリカの職員と一緒に
ソフトボールしたり、バーベキューやったり。



それからは、鹿児島や対馬と、
島を転々としていました。
そうしたら、子どもが小学生になったころ、
「お父さん、一回でいいから
電車が止まるところに住みたい」
って言いだしたんです。
──
そうか、島じゃなくて。
前畑
陸地に行くのにフェリーに乗るような島ばっかり
巡ってたからね。
それで、「あー、わかった。
じゃあ、もう全部あるところに行こう」って、
大阪に行ったわけです。
地下鉄からなにから、全部あるじゃないですか。
大阪を選んだ理由はもうひとつあって、
当時、大阪では電波標識ではなく
「ハーバーレーダー」という機械で
船を観測していたんです。
これからはハーバーレーダーの時代だな、
と思ったら、案の定そうで。
光の灯台は縮小されていったんですけど、
レーダーを使った航路管制は広がっていってね。
「これは面白いな」と思って、4年大阪にいました。



そのあと、関門海峡に「海上交通センター」という、
大阪と同じような施設をつくるから赴任しないかと
持ちかけられたんです。
出身地の鹿児島に近いからいいなと思って、
こちらに移り住みました。
そのときに「女島は魚釣りにいい」って聞いて、
女島灯台に行くことにしたんです。
そしたら、よかったんですよ。
もう個室でね、冷暖房完備でさ、トイレは水洗だし。
写真
──
最初に無人島の灯台に行ってから
20年ぐらい経って、
改めて無人島灯台に行ってみたら、
環境ががらっと変わっていたんですね。
前畑
もう、ものすごい差でした。
無人島から家族に電話ができるなんて、
夢みたいな話でしたよ。
──
そのころはもう、
しばらくしたらすべての灯台が自動化するという
時代だったんですか。
前畑
自動化は進んでいましたが、
女島はまだ先だと言われていました。
女島灯台は電気をいっぱい使う標識を
持っていたので、全自動化はなかなか
難しかったんです。
それから、女島自体が
相当重要な場所だったんですよ。
太平洋側よりも東シナ海側のほうが
海が穏やかなので、台湾海峡や沖縄の方面から
北上する船は、東シナ海をのぼって来るんです。
すると、最初に目にする日本の灯台が
女島灯台になります。
海を渡ってきた船員さんが、
「やっと灯台が目に入った、陸地だ」と
ホッとする場所だったわけです。
その意味でも重要な灯台でしたね。
写真
──
じゃあ、ついに女島も自動化するとなったときは、
「来たか」という感じでしたか。
前畑
そうですね、
「そのうち」とは言われてましたから、ここも
有人灯台じゃなくなるんだろうなとは思ってました。
しかし、灯台の仕事が
なくなったわけじゃないからね。
住み込みがなくなっただけで、
いまも年に何回か、点検に行くわけですから。
(明日に続きます)
2026-04-17-FRI