おいしい店とのつきあい方。

079ちょっと寄り道。その3
平成外食史、前半。

そういえば、平成という時代が終わりました。
ゴールデンウィークの長い休みの真っ只中。
平成が令和に変わったその日は、
まるで大晦日のような厳かさで
平成という時代を思い返す番組がテレビに溢れた。

1989年にはじまって2019年で終わった
30年とちょっとの期間。
1960年早生まれのボクにとっては
数えの30歳からはじまって還暦にいたるまでの30年。
公私共に環境が大きくかわり、
体調の変化も否応なしにやってきた。
さまざまなことをリセットするきっかけに今
回の改元はよいタイミングだったのかもしれないなぁ‥‥、
なんて思った。
そして同時に、外食産業にとって
平成という時代がどんな時代だったのか‥‥。
それをちょっと考えてみた。

外食産業が日本に生まれたのは1970年代のこと。
平成がはじまった頃の外食産業は20代。
人間の20代がわかわかしく、
血気盛んで少々の無理がきくように、
当時の外食産業は元気一杯。
しかもバブル景気の真っ只中です。
ファミリーレストランやファストフードのチェーンストアは
都市圏から地方に向かって雪崩をうって拡大していく。
彼らの一方的な攻めを許してなるものか‥‥、と、
地方の飲食企業が企業化をし地域一番企業をめざして
店舗拡大をしたのもこの時期。
都市圏でも企業化が遅れていた居酒屋、
カフェといった業態でチャンスをものにしようと
新興企業が生まれはじめる。

平成の最初の10年はまるで
外食ビッグバンのような10年でした。

お店同士、会社同士の競争も激しくなります。
膨張しながらの生存競争は多様性を促します。
それまで「洋食」の一言で片付いていたものが、
フランス料理やイタリア料理、スペイン料理と幅を広げる。
スパゲティーはパスタとなり、
ピザは薪窯で焼くものになる。
当然、高級なものはより高級に。
それまで高級と言われていたものが
大衆商品へと姿をかえて日本全国に広がっていく。

ただいつまでもこの景気が
続くようなことはないんじゃないか?
この好調な売り上げがずっと続くわけはない‥‥、
と心配した人たちは飲食店の売り上げを
土地や建物につぎ込んだ。
代々、守ってきた東京下町の小さな寿司屋一軒分が、
地方の立派なオフィスビルに化けた時代でもあったのです。

やがてバブルが崩壊します。

不動産に投資をしていた人たちは苦労しました。
けれど外食産業自体はしぶとかった。
人は「食べずに行きていくことができない」生き物。
しかも日銭商売。
ある日突然、売り上げがゼロになってしまう商売ではない。

ただお客様の「食べ方」「たのしみかた」
「お金の使い方」は変わってしまう。
景気が良かったときには今まで食べたことのなかったモノを
躊躇なく食べてみる好奇心を誰もが持つ。
食べてみて「ありゃ、駄目だ。口に合わない」
と平気で笑って、次の珍しいものへと気持ちを
あっさり切り替えることができる。
無駄遣いがたのしく、しかも惜しいと思わぬ時代。
鷹揚で好奇心旺盛なお客様に接するお店の人たちは、
こころおきなく自分が売りたいと思うものをすすめ、
それをいいねと言ってくれるお客様に
分厚いサービスを提供することができた。
自信たっぷりのお客様と自信たっぷりのお店の人が、
それぞれ前向きに自分のたのしさを追求した時代。
それが平成の第一期。
最初の10年。
ボクがこの連載の初期で紹介した、
お店の人とお客様がシアワセに語らい
互いが互いのために何をすればいいのだろう‥‥、
と考え食事をたのしむ余裕があった時代でした。

バブルの終わりは、
そういうシアワセな関係を緊張に変える。
お金に余裕がない上に、気持ちに余裕がないのです。
失敗を許さぬ厳しさ。
他のお店に負けてはいけないという厳しさ。
平成の中盤の10年間。
それがどのような10年だったのか、
また来週の話としましょう。
切なさにドキドキがとまらぬこころもち。

2019-05-09-THU