おいしい店とのつきあい方。

002 外食産業で働くということ。その2
誰にでもできる仕事なの?

「外食産業は底辺産業だから
働きたいって思う人が少なくて当然。
‥‥、って、言われたんだよ。
水商売って呼ばれてた飲食店を一流の産業にすることに
一生を捧げた親父の人生って、
一体何だったんだろうね‥‥」

って母に先日、ちょっと愚痴った。

「熱い人だったものネ。
根っから飲食店が好きだった人。
飲食店で働く人が、
どの産業の人たちよりもシアワセで、
飲食店で働いているということを
誇りに思えるような産業にするんだ‥‥、
っていうのがあの人が仕事を頑張る原動力だったから。
いつまでも底辺と言われるようじゃダメなんだって。
それでたまにやりすぎちゃったり、
敵を作ることもあったけれど、
やりがいのある人生だったんだとワタシも思う」

「でもネ‥‥。

やりすぎだなぁ‥‥、
と思うときにはこんなふうにワタシは言ってた。

『底辺って、ただ悪いことだけなのかしら』‥‥、って。

どんなモノだって、底辺が小さいと
グラグラしてしまうじゃない?
底辺が広くて豊かで重たいモノは、
どっしりとして少々のことで傾いたり、
倒れたりしないもの。
底辺が弱くなる。
底辺が小さくなると、あっという間にモノは倒れる。
モノだけじゃなく、社会もそういうモノでしょう。
だから、底辺って言われて哀しみ、
怒るだけじゃなく社会を安定させている
大切な仕事でもあるんだ‥‥、
って思うことも気持ちが楽になっていいんじゃないの。

そう言われるとあの人は
『そういうコトを言ってるんじゃないんだ』
すぐ怒る。
たしかに、社会の中には『役割としての上下』ではなく
『意識のうえでの上下』があって、
こわさなくてはいけないのは意識の上下の中にある、
『飲食店は最下層』というイメージ。
それを壊すためにあの人は
一生懸命がんばっていたんだから、
ワタシのあの人に対する意見は
言葉のすり替えだったのかもしれないから、
怒るのも当然。

でもネ。
人が集まると必ずできると言われる上下関係。
その関係はいつも同じ
『上と下』でできているわけじゃないと
ワタシは思うのネ。
例えばシンイチロウとワタシの関係。
私はあなたの母親だから、
しつけをしたりする親子の関係では私は上であなたは下。
でも、一緒に食事をするときは
あなたとワタシは上下なしの寄り添う関係。
シンイチロウのする話には、
あなたより20年以上も長く生きているワタシが
感心するような知恵がたくさん含まれていて、
それを教わるワタシとあなたは師弟の関係。
束の間、ワタシはあなたの下。

人は誰かの上になったり、下になったり。
あるいは横でよりそったりする。
それが正しい人間関係。
意識だけでなく役割も、
臨機応変に変わってしかるべきなのに、
全てにおいて一方的に飲食店は下なんだ‥‥、
って言われることは心外だわね‥‥」

と。

ボクの気持ちはまさにそう。
社会的な云々は、あまりに大きく深い問題で、
だから「サービス」というコトでちょっと考えてみる。
サービスをする立場の人は果たして、
サービスを受ける立場の人の
下にいるんだろうかと思えば思うほど、
なんだかいろいろ悩ましくなる。

こんなコトを言う人がいる。
飲食店の地位がなかなか上がらないのは、
誰もが出来ることをやっているからだ‥‥、って。

料理なんて誰にでも作れる。
プロより上手に料理を作れる人はたくさんいるわけだし、
ファミレスなんかじゃ
数週間前に入ったばかりのバイトが料理を作ってる。
誰にでもできる仕事じゃなかったら、
そんなことできないだろう。
料理を運ぶことだって、
笑顔をふりまくことだって、誰にだってできること。
そんなことで人様からお金をもらうのだから、
人から尊敬されなくって当然だろう‥‥、と。

そういう考えを持った人たちが、
飲食店を軽々にしてあっという間に潰してしまう。
誰もができるコトも、
「それを何十年も続けること」は
誰にでもできることじゃない。

飲食店はこういう仕事、
外食産業はこういう産業なんだということを、
これからちょっとずつお話しします。

2017-11-02-THU