おいしい店とのつきあい方。

083 お店の情報とのつきあい方。 その9
濃密なサービス体験記。

60名は優にお迎えすることができるレストラン。
支配人にソムリエ、何人ものサービススタッフ。
厨房の中にも何人もが揃い、
お客様をもてなすいわゆるグランメゾン。
そんなお店で、

「サカキさま‥‥、今日は貸し切りでございます。
思う存分、おたのしみください」

と、チーフソムリエから言われてしまう。

すべてのサービス、すべての調理人を独占できると
うれしい気持ちもありはするけど、
申し訳ない気持ちと、そこはかとない緊張に、
「なんだかドキドキしちゃいますね、
本当に申し訳ないなぁ‥‥」と恐縮をする。

上等な店にはそういう夜もあるものです。
ボクがかつて贔屓にしていたステーキ屋なんて、
週のうち確実に2日はお客様がいらっしゃらない静かな日。
それでもひょいとやってきてしまうおなじみさんのために
毎日店をあけ、ブイヨンをひき
ワイングラスをピカピカにする。
その日に仕入れた、その日に食べなくては
だめになってしまう食材を無駄にしながら、
それでも毎日お店をあける。
そのお客様が来なかった日の売上も‥‥。
そのとき泣く泣く捨ててしまった食材の分まで、
負担しなくちゃいけないんだ‥‥、
と思えばビックリするようなお勘定書も
しょうがないかと思えてしまうほど。
飲食店とは「来ぬ人のコトも待たなくてはならない」仕事。

そう思えば、この日も、
「今日、この段階ですでにボクがひとりいる。
来るか来ないかわからぬ人を待つよりシアワセ」
‥‥、ということだったのかもしれません。

とはいえ、お客様がなかなかやってこないのです。
約束の時間を20分ほど過ぎても
やってくる気配がなくて、
どうしたものかと思っていたら、支配人がやってきます。
そして、「サカキ様‥‥、お電話が入っております」と。
電話をとると悪天候で飛行機欠航。
今日は行けぬというのです。
あぁ、どうしよう‥‥。
お客様を接待することが目的で来たのだから、
その目的が果たせぬ状況で、
これ以上、ここにいる必要はない。
なにしろ、ボクひとりだけになってしまったワケですから。
とはいえ、サロンでお客様を待ってる間、
シャンパンを飲んでおりました。
しかも調子にのって2杯も飲んでしまって、
これはどうしたものかと思案します。

どんなに思案したところで、
答えが都合よく出てくることはまるでなく、
そこで支配人に尋ねてみます。

今、ボクが今日は目的が果たせなくなったので
帰らせていただきます‥‥、
と言ったらどうなりますか?‥‥、と。

シャンパン2杯分のお題を頂戴し、
サカキ様はお帰りいただき、
おそらく今日はお客様も
いらっしゃらない夜になりましょう。
ナイフフォークをみんなで磨き、明日の準備をいたします。

ならば、人数が4名から1名に変更になったのですが‥‥、
とお願いしたらどうなりましょう‥‥?

私どものメインディッシュは
2名様からとさせていただいておりますゆえ、
それさえ御了承いただけるなら、
お飲みいただいたシャンパンは
私どもからのサービスとさせていただきますが‥‥、と。

ボクは一度でいいからあの鴨料理を心置き無く、
お腹いっぱい食べてみたかったんだと伝えます。
それではテーブルセッティングを整えてまいりますので、
10分ほどお時間を頂戴いたします‥‥、と、
ボクただ一人の夜が静かにはじまったのです。

案内されたダイニングルームには
6卓ほどの4人がけの円卓がゆったり並ぶ。
窓際に一卓。
椅子が一脚、庭に開いた窓に向かって置かれていて、
そこだけナイフとフォークが並べられてる。
今日、この店でボクのためだけに用意された、
ここが一等席ということなのでしょう。
椅子を引かれて、座ります。
目の前には夜の庭園。
灯りがともり幻想的でうつくしいこと。
ダイニングルームに目を移すと、
そこには大きな花が活けられたテーブルがあり、
そこから先の景色を隠す。
食卓がある気配はします。
けれど椅子に座った目の位置からは、
その全容を眺めることができないように配慮されてる。
ボクひとりかもしれない。
けれど、もしかしたら他のお客様がいらっしゃって
同じ空間、同じ時間を共有しているのかもしれない。
寂しくはない配慮がうれしい。

前菜がきて、それに合わせてワインが届き、
ワインの状態を、ボクにそれを勧めてくれた
情熱的なソムリエくんと語らいながら、
温前菜からフォアグラのパテへと料理は続いていきます。
料理を運んで銀の覆いをとる儀式。
そのかたわらでソースの入った器を手にして、
料理にソースを流す準備をするギャルソン。
何人もの手が一つの料理にかかわる贅沢に
あっという間に時間は過ぎる。

ひとりでありながら、
退屈というものに無縁の
2時間半ほどだったでしょうか‥‥。
庭園を照らす灯りの照度が落ちた。
ダイニングルームと外を隔てる窓が一瞬、
鏡のように働いてレストランの中を映してくれたのです。
そこには確かに、他に誰もいない客席。
にもかかわらず5人にも及ぶサービススタッフが、
ボクのチーズの準備をし、
今日の手際がどうだったのか顔を覗かす
シェフの姿があったのです。

どんなことがあれ、レストランで食事をするとは、
一人ぼっちではないことなんだと肝に銘じるすばらしき夜。
席を立ったのは日付が変わる10分前のことでした。

サカキシンイチロウさん
書き下ろしの書籍が刊行されました

『博多うどんはなぜ関門海峡を越えなかったのか
半径1時間30分のビジネスモデル』

発行年月:2015.12
出版社:ぴあ
サイズ:19cm/205p
ISBN:978-4-8356-2869-1
著者:サカキシンイチロウ
価格:1,296円(税込)
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「世界中のうまいものが東京には集まっているのに、
 どうして博多うどんのお店が東京にはないんだろう?
 いや、あることにはあるけど、少し違うのだ、
 私は博多で食べた、あのままの味が食べたいのだ。」

福岡一のソウルフードでありながら、
なぜか全国的には無名であり、
東京進出もしない博多うどん。
その魅力に取りつかれたサカキシンイチロウさんが、
理由を探るべく福岡に飛び、
「牧のうどん」「ウエスト」「かろのうろん」
「うどん平」「因幡うどん」などを食べ歩き、
なおかつ「牧のうどん」の工場に密着。
博多うどんの素晴らしさ、
東京出店をせずに福岡にとどまる理由、
そして、これまでの1000店以上の新規開店を
手がけてきた知識を総動員して
博多うどん東京進出シミュレーションを敢行!
その結末とは?
グルメ本でもあり、ビジネス本でもある
一冊となりました。

2016-10-27-THU