[立ち読み版]博多うどんはなぜ関門海峡を越えなかったのか半径1時間30分のビジネスモデルサカキシンイチロウ

もくじ

はじめに

第一章 博多へ

■LCCの始発に乗って成田から博多へ
■讃岐うどんで日本制覇を夢見た私
■いつでもだれでもおいしいうどん
■うどんは出汁を食べる料理
■出汁は作りたてがおいしいに決まってる
■出汁を不味くする方法、出汁をおいしくする条件
■おいしい出汁を作る設備がここなら揃う
■水が変われば味まで変わる
■讃岐うどんのお店を博多ではじめました
■こげん硬いうどんは食べれんばい
■そして再び博多へ

第二章 こんなに違う、うどんとラーメンの儲け方

■うどん屋さんは儲かるんです
■ラーメンスープは手間の産物、コストの塊
■ラーメン屋はどこで儲けるのか
■自然体でいられるうどんビジネス
■二大人気は「牧のうどん」と「ウエスト」
■硬くなくては麺にあらず…って、それ本当?

第三章 牧のうどん本店の謎

■開店前の不思議な出来事
■店の裏に回ってみる
■多すぎる客席と大き過ぎる厨房
■ファミリーレストランならこうします
■常識はずれの牧のうどん
■蕎麦はうどんより何故高い?
■うどんをおいしく茹でるコツ
■湯気の向うでダダダダダッ!
■牧のうどんのお客様になる
■時代に逆行する座敷席
■入り口は一か所ではない?
■ファミレスのメニューブック、一冊なんと四万円なり
■メニューブックが犠牲にしたもの
■牧のうどんの注文システム
■初心者は何を食べるべきか
■「やわ」がない時間
■ここって「ご家庭レストラン」?
■口を付けたくなる丼
■やかんの理由
■汚して食べろ
■配送ルートの完成度

第四章 博多うどんをめぐる半日ツアー

■老舗、因幡うどんへ
■出汁もごぼ天も店が変わると違って感じる
■人気の「ウエスト」をたずねる
■ファミリーレストランが王様だった頃
■おいしさにブレがない
■タモリさん推薦の店へ
■ここも切り立て!
■おやおや、水でしめるんですネ!
■祇園山笠に目もくれず
■山車じゃなく出汁を
■みやけうどんへ
■足すこともなく、引くこともなく
■博多うどんの三大ブランド
■かろのうろん、あさらあめ
■どこよりも濃厚
■売り切り仕舞の秘密
■もう一度行きたいのは?

第五章 片道一時間半の王国

■取材許可が下りた
■ついに秘密基地へ
■一切の秘密なし!
■じつは作業はシンプル?
■人の手に代わるのは人の手のみ
■スープは牧のうどんの要である
■一般的なうどんの原価は?
■秘密はないけど真似できぬ出汁
■コーチ席から見る
■出来立ての出汁の味は
■分業なんてしない
■え? きょうの出汁は味が違う?
■味は計測器では測れない
■「ブレ」を共有する
■茹で置きうどんから始まった
■工場からイートインへ
■すべての謎が解けた!
■「やわ」の茹で時間は四〇分
■恐るべき見込み生産
■蕎麦屋モデルとラーメン屋モデル
■「片道一時間半」というビジネスモデル
■距離が分断してしまうもの
■QSTC
■北九州発、「資さんうどん」
■工場の街ならでの味

第六章 東京で博多うどんビジネスは成功するか?

■似ているけれど別のもの
■家でうどんを四〇分も茹でてみる
■果たして博多のうどんは手作りできるのか?
■冷たい水で締めてみる
■東京は博多じゃない
■ラーメンはビジネス、うどんは商売
■「因幡うどん」と「牧のうどん」を合体させたら?
■甲州街道だったらどうだろう
■郊外立地の店の強さ
■一〇〇席の店をつくる
■資金はいくら必要か?
■土地を取得することを考えると
■失敗しない売上高想定の法則
■集客ノルマは?
■東京では博多うどんが一杯二〇〇〇円を超える
■買うのがダメなら借りてみるも

おわりに

はじめに

 地球上でどこか一ヶ所だけ住むべき街を選ぶとしたら、サカキさんはどこを選びますか? そう質問されることがあります。外食産業のコンサルタントをしている私は答えに悩みます。ビジネスの拠点にするなら上海だろうか。それとも世界各都市へのハブとなるシンガポールかもしれない。いや、いっそ、ニューヨークを拠点にするのはどうだろう? 世界中の勢いのあるさまざまな街を頭に浮かべ、ビジネスのための環境と、やがて巡ってくるはずのさまざまなチャンスのことを考えると、日本のどんな街も色あせて見えます。

 しかし、おいしいものを心から愛する食いしん坊の私は、迷いを振り切ってこう答えます。「東京です」と。まず江戸前の食文化が私の好みに合っている。例えば蕎麦。東京のちょっとした街ならどこにでもおいしい蕎麦を食べさせる店があります。鮨屋もしかり。天ぷらもそうです。そして東京には豊かな食材が集まります。もともと魚は東京湾という豊かな漁場がありますが、さらに日本中の最高の魚介が築地市場に集まります。野菜、肉、ありとあらゆる調味料。そんな食材たちが東京の街の食を豊かにしています。

 もちろん地方都市にも地方都市の魅力があります。私が仕事で訪れる先では、いたるところにおいしいものが待っていて、あぁ、これをいつでも気軽に食べることができるのならば、この街に住むのもいいぞ、などと思ったりすることもあります。京都の割烹、大阪の粉もん。関西の長い歴史と深い文化に裏打ちされた料理は、浅い歴史しか持たない東京の街の食なぞ敵うわけがないという人もいるわけですが、そこはまた東京の恐ろしさで、そういうおいしいものたちが東京に集まってきているのですね。それも、それぞれの街でいちばんおいしいと言われる店が、東京で勝負をすべく店を構えています。

 日本だけではありません。東京は世界中からレストランが出店する街でもあります。そしてあちらからやって来るだけではなく、東京の好奇心旺盛で貪欲な胃袋のために、飲食店の人たちは本場のおいしいものを一所懸命勉強し、自分の店で提供をします。イタリアのピザコンテストで優勝した日本人のピザ職人が、いったい何人東京にいることか。香港の有名な広東料理店の東京支店にやってきた香港人も、東京の店の方が香港よりもずっとおいしいと舌を巻くのです。しかも現地では一店舗しかない小さな名物店が、東京に来た途端に二店舗、三店舗と店を作って本家を凌ぐ。それほどのビジネスチャンスが眠っている街。東京は「名店を呼びつける」だけの実力のある食の街でもあるのです。

 高級な名店や料理ばかりではありません。例えばかつて、東京では蕎麦屋の添え物でしかなかった「うどん」。それすら今では、讃岐の人も吃驚するほどおいしい讃岐うどんの店が東京に出店しています。それも何軒も。コシがあってなめらかな、つややかにして色っぽい麺。イリコの香りがフワッと漂う、軽い渋みと酸味がキリッと後口をすっきりひきしめる出汁。一度食べると、もう東京の頼りない茹で置きうどんには戻れなくなります。

 そんな東京にも、ないものがあります。それは博多うどんです。讃岐うどんの店はたくさんあるのだけれど、博多うどんの店はありません。いやいや、博多うどんの店だって、何軒かありますよ……、と教えてもらって行った店は、ことごとく、博多うどんを標榜こそしているものの、私が博多で感動したそれとは似ても似つかぬうどんばかりでした。

 そもそも博多のうどんってどんなうどんなのでしょうか。最近徐々に認知されるようになってきたようですが、まず柔らかいのが特徴です。福岡出身のタレントであるタモリさんなどは、テレビや雑誌で博多うどんに言及し、「うどんにコシはいらん」ときっぱり言い捨てておられたりもします。博多もんでなければ到底わかるまいと煙に巻いて楽しんでいるような気配すらあります。そう、博多うどんは柔らかい。けれども、ただ柔らかいうどんなら、新宿駅の立ち食い蕎麦屋で食べられます。けれどもそれとは違うのです。

 説明してみましょう。
 長い時間をかけて茹でた柔らかいうどんが丼に入ると、食べ始めから時間が経つにつれ、どんどん出汁を吸い込み、膨らんでいきます。食感はぬるりとしています。種にするのは、ごぼ天や丸天など、特徴のある揚げ物です。そして、申し訳ないほどに安く食べることができます。

 こんなふうに説明をしても、奇妙なうどんだと思われるだけでしょうか。私も今の説明で、皆さんに旨そうと感じてもらえるとは到底思えません。ああ、なんと説明したらわかっていただけるでしょうか。

 博多うどんについては語彙が突然少なくなってしまう私が、博多うどんのすばらしさを説こうとすればするほど、こんなふうに言う人が現れます。

「ええっ? 柔らかいんですか? 博多の人って、てっきり硬い麺が好きなのかと思ってました! だってラーメンは『ハリガネ』とか『バリカタ』とか言うじゃないですか」
「東京で評判を聞かないってことは、おいしくないってことだと思うんですよねえ」

 さらにはこんなことを言う人まで現れます。

 「食のコンサルタントたるサカキさんが、そんなうどんをおいしいなんて、真顔で言ってはダメでしょう」
 「大丈夫ですか、仕事が減っちゃうかもしれないですよ」
 ああ、悔しくて仕方がない。そんなことはないのです。博多うどんはおいしい。そうはっきり私は宣言します。

 しかし、ここであらためて気づきました。私は博多うどんが一体何者なのかをまるで知らずにいることに。そうなのです、私はただ食べてきただけの「いち博多うどんファン」。食関係のビジネスを仕掛け、繁盛させることを仕事にしてきたコンサルタントが、それではいけませんね。本業に戻り、東京の人に、日本中の人に、いや世界中の人たちに博多うどんのすばらしさを伝えるには、まずは博多うどんを見極め、よく知らねばなりません。そう考えるといてもたってもいられなくなった私は、仲間を率いて一路博多に飛んだのでした。