時差ぼけのぼんやり眼をよそおった母。
いかにも疲れ果てた様子で寿司屋をあとに。
表の通りにでた途端、背筋がシャキっとまっすぐ伸びて、
母のキラッと光ります。

「シンイチロウ‥‥、まずはホテルに帰りましょう!」
さっきのコンシエルジュに文句をつけにいくの?
と聞いたら、いいえ! とキッパリ。
私がこんなお店のコトを好きな
凡庸な日本人に見えたのかしら。
そう思ったら、悔しくて、悔しくってしょうがない。
私のどこがこんなお店を好きそうに見えたのか?
って、聞かなくっちゃ気がすまないの‥‥、と。

たしかにそのときの母の装い。
シャネルスーツ仕立ての地味なスーツに、
旅に便利なひっつめ髪で、
誰が見ても裕福で保守的な人に見えていた。
冒険をせぬ伝統的を愛する人のようでもあって、
だから古典的なる日本の寿司を食べさせるので
有名な店を紹介しました‥‥、と、
コンシエルジュ氏もそういった。

コンシエルジュを含めて、
サービスを提供するプロは人を観察するプロでもある。
手前勝手なサービスを押しつけるのでなく、
サービスを受ける人が喜ぶようなサービスを
提供するのが彼らの仕事。
目の前のお客様はいったい何を喜ぶんだろう?
答えのヒントを見つけるために、
相手をじっと観察します。
ヒントは多ければ多いほどいい。
会話や表情。
仕草や、ときに、自分の好きなお店の並ぶ
アドレスブックであったりが、ヒントになってく。
けれどそうした多様なヒントが手に入れられないとき。
身なり、あるいは立ち姿。
肌の色だとか、言葉のアクセントなどの
一瞬にして手に入る情報だけがたよりになっちゃう。

自己表現が苦手な人は、
よいサービスを受けることがむつかしい。
日本人は「もてなされ下手」って思われている。
大げさに自分を主張するのは下品なコト‥‥、
ってずっといわれて育った日本の人でありますゆえ、
海外にいくと損することが多いのでしょう。
その点、母。
日本人離れした表現力に自信があった。
言葉なんかしゃべれなくても、
私がにっこり微笑めば
その日、一番おいしい料理に
ありつくことができるんだから‥‥、
とずっと自慢してたのに。
なおさら、その夜の仕打ちが
我慢ならなかったのでありましょう。

頑固な寿司屋の親父さんが口にした、
へんてこりんな寿司レストランの名前を
コンシエルジュに伝えてこういう。

このお店を心おきなく楽しむのに、
ワタクシ、どうすればいいのかしら? ‥‥、って。




明るく陽気で元気なお店。
そのエネルギーに負けないような装いで。
それから「ここは日本ではない」という
寛容な気持ちを持っていかれるとたのしめると存じます。
そう答えつつ、こう付け加えます。
先日、日本のお客様にこのお店を紹介したら、
日本の寿司を侮辱されたような気になりました、
とお叱りちょうだいしたのです。
今、ニューヨークで一番予約がとりづらい、
話題のお店なのですけれど‥‥。

そう寂しそうに告げる彼。
母はいいます。

ニューヨークの人からウェルカムされてるお寿司を、
侮辱するようなそんな日本人のコトは
忘れてしまいなさい。
それより、街のお客様を侮辱するような発言をする
寿司屋の寿司が、寿司らしい寿司といわれるコトが
恥ずかしい。
そのお店こそがいくべきお店。
ワタクシ、そこに負けないように
装いなおしてきますから、予約をとって下さらない?
30分もちょうだいできれば、
そのお店からウェルカムされる自信ができるから‥‥。

そして部屋にあがってく。

コンシエルジュ氏は電話をかける。
あいにくその日は満席で、
たったひとつのテーブルもない。
テーブルがなくても、空いたイスはあるでしょう!
食い下がります。
そしてこういう。
20人掛けほどの大きなテーブルの
真ん中の2席がなんとかなるといっていますが‥‥、と。
当時、ニューヨークで流行っていた、
横に長い、まるでカウンターのようなテーブルに、
2つのグループが座ってて、
その2組を仕切る役割の空席が、
2人そろって座れる唯一の席なんだ‥‥、
という訳ですネ。
それではとりあえず、そこを仮におさえておいて、
母がおりてきたらば相談しよう‥‥、と。

実はボク。
そこの店にはあまり気持ちが向かなかった。
多分、あの店。
騒々しくて週末なんか通りにまで
お客様がはみだして立ち飲みしているような、
たしかに当時のニューヨーク的なお店のひとつで、
母が喜ぶコトも容易に想像がつく。
住所を聞いて、
けれどあんまりいきたい場所じゃないよなぁ‥‥、
とボクは思った。
だからできれば、満席というのを理由に
今日はこのまま近所のカフェでお茶でも飲んで、
つもる話をできればいいな‥‥、
と思ってボクは母を待つ。

「お待たせしたわね」

再びボクの目の前に姿を見せた母は
まるで別の女性になっていた。

肩も露わな真っ赤なドレス。
どうしたの?
って聞いたら、ここにくる前に
スペインの市場で衝動買いをしてしまったの。
日本で着る場所があるかしら‥‥、
って思っていたから好都合。
髪はアップに造り直され、化粧もバッチリ。
逆毛をたてると髪がいたんでしまうんだけど、
時に犠牲も必要なのよ‥‥、といいながら、
コンシエルジュ氏に向かってききます。

「これならウェルカムしてもらえるかしら?」





もう行く気満々の母に
「実は」と、やっととれた席の話をしてみます。
多分、騒々しくて
落ち着かない席だと思うんだけど‥‥、と。
母はキッパリ。
「それって、ニューヨークらしい
 席ってコトでしょう‥‥、
 ますます行きたくなっちゃうわ!」って。
表に向かって飛び出そうとする母に向かって、
「奥様、パーフェクトでございますが、外は少々、寒ぅございます」。
コンシエルジュ氏が声をかけます。

母は一言、ボクに向かってこう言います。
「こういうときに、ジェントルマンは
 自分のジャケットを
 レディーに差し出すものでしょう?」
ボクは黒いジャケットを来てそこにいました。
そのジャケットを肩の上に置くようにして羽織る母。
手に持っていた真っ赤なストールを、
代わりにボクの首に巻き、
ふたりはまるで日本から来た
旅回りのフラメンコダンサーのような風体になる。
颯爽と「行ってきますわ‥‥、
予約のコンファメーションをお願いネ」と母は言う。
コンシエルジュ氏は電話でいいます。

ほれぼれするほど、
おたくのお店にぴったりなお客様が
ふたりでこれからでかけられます‥‥、
ミスターアンドミセスサカキをよろしくネ、と。



2011-11-03-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN