その日の夜。
母が「ひさしぶりにお寿司を食べたい」と言う。
今日で2週間。
日本に帰るまで我慢してもいいのだけれど、
最近、ニューヨークにも寿司屋さんが
あるというじゃない?
どんなお寿司が食べられるのか、
ちょっとためしてみたいのよ‥‥、と。

たしかに当時、ニューヨークでは
寿司を扱う店がちょっとずつできはじめていた。
ブームと言うにはまだまだ早く、新しモノ好きの人か、
グルメを気取った一部の人しか、
寿司を食べよう‥‥、っては思わない。
そんな時期のコトでしたから、
ボクも寿司が食べられるお店に
そんなに詳しいワケじゃない。
それで母が泊まるホテルの
コンシエルジュに聞くことにした。

いい寿司レストランはありませんか? と。

最近はうれしいコトに、
ニューヨークの寿司レストランの
選択肢が増えてきております。
どのようなお店がお好みか、
ヒントを頂戴できるとありがたいのですが‥‥、
とコンシエルジュ氏はボクにいいます。

もしこの頃のボクが、コンシエルジュ氏に手渡して
彼のイマジネーションをかきたてるような
アドレス帳を持っていれば、
それを見せるのがよかったに違いない。
けれど、当時のボクには
彼のヒントになるようなアドレス帳もなければ、
説明技術も残念ながら持ち合わせていなかった。
だから母をコンシエルジュ氏に紹介しながら、
こういうことで精一杯。

ボクの母。
ヨーロッパにしばらくいたので、
日本料理がどうしても食べたいという。
できれば、寿司を食べさせてあげたいのだけれど、
いい寿司レストランはありませんか? と。

ならばと彼はとあるお店のアドレスと電話番号を
メモ帳に書き、ボクに手渡す。
そのホテルから遠くはない場所にある、
クラシックな老舗ホテル。
そこにあったオイスターバーの一部が
スシバーに改装されて、
日本から来た職人が調理をしているというのですネ。
たしかにオイスターバーといえば、
生の魚を嫌うアメリカにあって唯一、
生モノを昔から扱っている場所だから、
そこを寿司屋にするという発想。
理にかなっているし、オモシロイなぁと思って
ボクらはそこに行くことにきめました。
コンシエルジュ氏に予約の電話をお願いし、
予約までの時間をブラブラ、街歩きした。




歩き疲れてカフェに入って、
通りに面したテーブルにつく。
街行く人を眺めながら、お茶をたのしむ。
ニューヨークにいて、
一番たのしく贅沢な時間つぶしが
おそらくカフェでの人間観察。
あの人は、今晩、何を食べるんだろう?
肉の品揃えではマンハッタン1の食料品店の
ショッピングバッグを持った人をみると、
今日の晩ご飯はステーキなのかなぁ‥‥、とか。
もっぱらボクの観察対象は、
人そのものよりも人の胃袋みたいになっちゃう。
けれどそれもたのしく、あっという間に時間が過ぎる。

「それにしてもニューヨークって
 いろんな人がいるのねぇ‥‥」
母のその一言に、ハッと我にかえってこう答えます。
「この人たち、ひとりひとりを待っている
 レストランがあるっていうのが、
 この街のステキなトコロなんだよネ」って。
「今晩、私たちを待っているお店って
 どんなお店なのかしら‥‥、たのしみネ」
と、と母はウットリしながら答える。
時計を見ると程よい時間。
目当てのお店にむかいました。

これがかつてオイスターバーだったのか? と、
信じられないほどに見事な改装。
カウンターの中にはみるからにベテランの
腕のよい寿司職人という感じの人が、
ひとり凛々しく立っている。
もうひとり、若手のニコニコ顔の職人が
既に地元のお客様なのでしょう。
白人の老夫婦に流暢な英語で接客しながら、
寿司をにぎっている。
ボクら2人は、寿司が食べたくてしょうがないという
日本人‥‥、とホテルのコンシエルジュから
連絡があったのでしょう。
店長とおぼしきベテラン職人の前の席をもらって座る。

いらっしゃいませ。
当店のネタは築地と同じモノを仕入れておりますので、
日本の寿司を思う存分、おたのしみください。
そうニコヤカに告げるベテラン。
あら、たのしみだわ‥‥、と言いながら、
「お寿司をいただく前に手を洗わせていただきましょう」
と一旦、母が席をたつ。
母がもどるまで、カウンターを挟んだふたりは
手持ち無沙汰で会話をたのしむ。

地元のお客様も多くてらっしゃるんですか?
と、まずは質問。
日本人の観光客はワザワザ来たニューヨークで
寿司を食べようなんて思わない。
駐在しているビジネスマンも、
それほど頻繁に来てくれるわけでなく
やっぱりココで商売をしている限りは、
地元の人に来てもらわなくちゃ、仕事にならない。
最近、白人さんも寿司を珍しがって
食べに来る人が多くはなった。
けれどまだまだ、寿司の食べ方を
知らない人が多くてネ‥‥。
いきなりトロを注文したり、
おいしいからと同じネタばかり
続けざまにたのむ輩が多くて、
それじゃぁ、寿司の美味しさなんてわからないだろうって
思うんだけど、それも商売。
我慢や苦労が多いですよ‥‥、と。

お待たせしましたと母がもどって、
さぁ、何をにぎりましょうか? と。
母が言います。
「そうね、トロをいただこうかしら‥‥、
 歩き疲れてコッテリとしたモノを最初に食べたいの」
あぁ、やっちゃったって思いはしたけど、
じゃぁ、ボクもとお相伴にあずかります。
いい寿司でした。
ネタも立派でなによりシャリがスキッとしてて、
確かに日本の寿司と同じと言っても
あながち誇張ではない。
とは言え口はさすがにトロの脂でペトッとしてくる。
お茶でそれを軽く流して、
「何かおすすめはありませんか?」と聞いてみる。
ボストンの沖のヒラメが
今日は脂がのってて旨いですよ‥‥、
と言われてボクはそれ。
「おかぁさんはどうするの?」
母の答えにボクとベテラン職人氏は腰を抜かすほど、
ビックラこいた。

「トロを続けていただくわ」




そうだった。
彼女は自分が好きだと思うモノを
次々、ただひたすらに食べることがある人だった。
かわいそうなのは職人さんで、
いいお客様がやってきたと思ったのもつかの間、
そのお客様からこんな仕打ちを受けるなんて。
しょんぼりとしてどんどん無口になっていく。
ボクと交わした最初の会話を、もしも母が聞いていたらば
もっと違った食べ方をしたのかもしれないけれど、
ココはアメリカ、ニューヨーク。
日本でできぬわがままを
思う存分してみるモードが発動したのでありましょう。
一言注文するごとに、
カウンターの中のムードが暗くなる。

小声でボクに母が言います。
「もしかして、私って嫌われている?」
ボクはおもいっきり、首を縦にコクリとやって、
それを合図に母が大きな声で
哀れなベテラン氏に宣言します。

「それじゃぁ、そろそろおまかせします、
 おいしいところを下さいな」って。

カウンターに安堵の空気が流れます。
あぁ、救われたとばかりに件の職人氏。
腕をふるいはじめるワケです。
ただそれからは、ボクらがどんどん暗くなる番。
とびきりのネタをひとつ、そしてまたひとつ。
観世流の能の舞台をみているようなユックリとした
丁寧で、小さな寿司がポツン、ポツンとやってくる。
しかも寿司が差し出されるたび、
こう食べなさい、あぁ、食べなさいと
食べ方までにも口をだす。
自分が食べたいように食べるコトを許されぬ、
まるで修行をしているような気持ちになってく。

ニューヨークで他の寿司屋さんなんかにもいかれるの?
母が聞きます。
えぇ、行きますよ‥‥、勉強ですから。
中には変なお店もあるんでしょう?
その質問に、職人氏‥‥、
我が意を得たりと突然、饒舌になっていきます。

そうなんですよ。
ニューヨークでしか通用しないようなお店が
結構あるんですよね。
この前なんか、中南米の料理と
寿司をごっちゃごちゃにしたお店があって、
そこに行ったらまぁ、とんでもない。
寿司とは呼べないへんてこりんな料理が
次々出てくるんです。
なのに、結構、流行っていたりするんですよね。
やっぱりアメリカの人って、
日本の人とはまるで味覚が違うんだなぁ‥‥、
ってあっけに取られて帰ってきました。

母の目が、キラッと光る。

そうなの‥‥、それは大変でした。
ところでその店、なんていう名前のお店なんですか?
って、お店の名前を聞き出した途端、
急に頭を押さえてこういう。
なんだか急に時差ボケがきちゃったみたい。
そろそろ失礼いたしましょう‥‥、って。
お勘定をするやいなやの勢いで、お店をでると
「さぁ、もう一軒、あなた付き合ってくれるでしょう?」
と、そういう母の企みに、
当然、ボクも付き合うことになるのです。



2011-10-27-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN