ほぼにちわ。
お昼休みにワクワクして開いて、
ワクワクして読めるところまで読みました。
みなさんの入口投稿の数々、
「あ、私の投稿が!」と思ったら別の方、
というくらいに、
書いてもいないはずの内容ながら
共感できるところがたくさんで、
本当にびっくりしました。
「テキスト中継で」とか
「たくさんのメールを」という
文字を読みながら‥‥
そうか、ほぼ日の大半は
「ことば」で構成されていて、
私は目で読んでいたんだった! と思いました。
なんだか、長年ほぼ日のことを
「読んでいる」という感覚がなかったみたいです。
耳から聞こえてきていたのではなくて、
頭の中で語りかけてくるような、
乗組員のみなさんや読者のみなさんの
輪の中に入っている感覚だったんだと思います。
そして、「読む」という意識をさせない
言葉選びがあちらこちらにあって、
文字や文章で発信される
コンテンツであるからこそ、
「ことば」というものへの愛情が
どこよりも深くて厚いんだ、
ということにも改めて気付かされる思いでした。
テキスト中継でどんどん乗組員のみなさんを知り、
何かのきっかけで実際のお声を聞く機会に
「イメージと違う!」と
なったことも何度もありました。
小説や漫画がアニメ化されたり
実写化されたときに近いものがありました。
私も仕事の中でことばを使うとき、
職場の中の誰よりも気にかけて
大事にしようと心がけていますが、
その心はほぼ日に学んだものだと思います。
ああ、お昼休みが終わります。
また続きは帰宅後の楽しみに。
(きたくま)
「声が聞こえるよう」
「しゃべってるみたい」というのは、
ほぼ日の感想としてしばしば言われることで、
それは私たちにとってとてもうれしいことです。
しかし、乗組員の声に、
「アニメ化、実写化の違和感」が
あったというのは、おかしかったです。
なるほどーー。
便乗して紹介するのは、
先日、「聞く、ほぼ日。」の
最新コンテンツそてい公開されたばかりの
「まつがい」のオーディオ版です。
長寿コンテンツ「言いまつがい」のなかの
「まつがい」の傑作をずらりと並べ、
それを4人の乗組員が淡々と朗読しています。
これが、なかなかおかしいのです。
違和感、あるかな?
投稿文を読み上げる、という
あたらしいチャレンジも
ぜひおたのしみください。
