ほぼ日の文体は耳から入りやすい。
糸井重里
もともとぼくは、日常的に落語を聞いていたり、
気になる本をオーディオブックで聞いてみたり、
聞くコンテンツについてはかなり意識的でした。
だから、ほぼ日を耳から聞くというのは、
待ち望んでいたことだったんですね。
とはいえ、急がず、焦らず、
すこしずつ進めていたプロジェクトでした。
実験的に取り組んでいた、
ということもできると思います。
そんなふうに進めているなかで、
いくつかのコンテンツができてきたので
どれどれ? と聞いてみたんです。
あんまり入れ込みすぎないように、
ちょっとした距離感をもって。
そしたらね、すごくいいんです。
「いいじゃん!」ってうれしくなりました。
聞きながら、
なんでこんなにいいんだろうと考えたら、
理由がわかりました。
「ほぼ日の文体」って、もともと、
話していることばをそのまま聞いてるみたいに書こう、
というものだったんです。
報道とかレポートみたいな固い文体じゃなくて、
「あのね」っていう伝え方を
テキストでやってきたのが、
ほぼ日だったんです。
耳から聞いてわかるように書いてきたから、
もう、どんどん聞けるんですよ。
これは、うれしい発見でした。
「聞く、ほぼ日。」ができることで、
きっと、あたらしい出会いが増えると思います。
なにかをしながら気軽に聞いたり、
親が聞いてるのを子どもが聞いたりとかね。
といっても、無理に詰め込んだり、
身の丈以上に大きく見せたりするんじゃなく、
ちょうどいいペースで進めていきたい。
いきなり高いビルを建てるんじゃなく、
小さな家をつぎつぎに建てていくような感じで。
詩を読む人はそんなに多くないけど、
歌を聞いてるときに、
あ、この歌詞いいなって思うじゃないですか。
そんなふうに「聞く、ほぼ日。」を
たのしんでもらえるといいなと思います。
はじめての場所に出ていきます。
失敗をおそれず、初々しく挑戦していきます。
失敗したって、平気さ、ほんとに。
どうぞよろしくお願いします。