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勉強サイド

勉強の夏、ゲームの夏。2017

shinya.hirano

記憶力は、想像力の敵ではない。

2017/08/25 21:50
中学校、高校で学んできたなかで、
どの教科が役に立ったと思いますか。

「数学が一番役に立ったかな。
よく、数学なんて実際の社会に出たら
何の役にも立たない、
なんてことを言う人がいるけれど、
それはちょっと浅いと思っているんです。
数学は、原因と結果の相関関係を
最も研ぎすませて教わるわけだから。
数学の解き方はほとんど忘れているけれど、
微分やら積分やらlogやらを解いていた時に
鍛えられていた頭の動きが、
自分がいま、広告やコピーをつくる時に
役に立っているんですよね。」

ああ、数学は答えが明確ですもんね。

「あとは、『暗記には意味がない』って
言われることもあるけれど、
暗記って実は仕事の役に立つんですよね。
僕は地理や歴史が好きだったから、
暗記はそこまで苦にならなかったけれど、
『日本のみかんの生産地第3位は何県?』
みたいなことまで覚えていて、
当時は、何の役に立つんだろうと思っていました。
仕事をするようになって思うのが、
何の役に立たない事でも、
いろんな知識が頭に入っていることはいいことです。
アイデアはだいたい、既存の何かと何かを
組み合わせてできているわけで、
知識と組み合わせる能力があれば
アイデアを生むことができるんです。」

頭の片隅にあったようなことが、
自分を助けてくれるんですね。

「記憶力と想像力が相反することのように
思っている人がいるけれど、それは間違いです。
記憶力というのは、組み合わせ方を身につければ、
無駄に思えた記憶も、宝に変えることができます。
だから、記憶力は想像力の敵ではありません。
自分のことをクリエイターと
言えるかわからないけれど、
あえて分類するなら、記憶力クリエイターですよ。」

おお、今までためてきた知識があることで、
組み合わせて仕事に活きているんですね。
shinya.hirano

原因と結果の関係

2017/08/25 21:30
今日は勉強がテーマではありますが、
仕事と勉強っていうのは、
どこかでつながっていると思うんです。

「仕事において、つくづく思っているのは、
中高あたりの勉強で学んだことが、
じつは一番役に立っているんじゃないか、
ということです。
勉強にはいろんな科目があるけれど、
じつは同じことをやっていると思うんです。
すべての教科に共通して、
世の中の『原因』と『結果』の
関係を学んでいるんじゃないかな。
数学だったら、式を立てたら答えが出る。
歴史だったら、ひどい政治をしたら反乱が起きる。
生物だったら、雄しべと雌しべから命が生まれる。
英語や国語は言語だから
ちょっと違うところもあるけれど、
文法や構文があって、
それらは原因と結果になっている。
科目は違っていても、原因と結果について、
いろんな方向から学んでいるというのが、
ほとんどじゃないかなと思っています。

実際、ほとんどの仕事にしても、
こうしたらこんな結果が出る、
という原因と結果についての
予想や考察によって
成り立っているんじゃないかな。
だから、結局のところ、
それって学校で学んだことが
力になっているじゃないかって思うんです。」
shinya.hirano

仕事=勉強

2017/08/25 21:16
大学では勉強をしなかったとおっしゃいましたが、
社会人になってからは、
勉強しないといけないことが多かったのでは?

「僕はコピー講座とかでもよく言うことだけど、
コピーライターの仕事すべてが
脳トレになっているようなものだから、
仕事をしていることが、勉強ですからね。
勉強って、知識を増やすことと
イコールじゃないんです。
1年でだいたい20社とか30社と仕事しますが、
いただいた資料を読むだけでも、
この業種の人はこんなことを考えていて、
だからこんな商品を出そうとしているんだって、
わかってくるわけですよね。
だから、仕事していることそのものが、
勉強しているようなものです。
僕は、人や企業を動かすような
コアアイデアを考えることそのものが、
勉強になっている、と思います。」
shinya.hirano

ものをつくる人。

2017/08/25 21:10
コピーライターを知る以前から、
ものをつくるとか、考えることに
興味があったんでしょうか。

「うちの姉が京都芸大を出ているんですよ。
明らかに子どもの頃から絵もうまかったから、
親の中にも、
姉は絵とかものをつくっていく人間という
意識があったんだと思うんです。
対する弟は、絵も描けないわけだけれど、
学校の成績だけはよかったから、
公務員とか医者とか弁護士とかに
なってもらいたいという思いがあったみたいで。

でも、自分の心のどこかで思っていたのは、
ものをつくることは
絵のうまい下手じゃなくて、考え方だから。
自分にも何かはできるはずと考えていて。
6才か7才の頃に夢見ていた、
『ウルトラマンとかウルトラQとかを
作る人間になりたい』と思っていたような、
その気持ちがずーっとあったんですよね。」

あっ、ウルトラマンになりたいんじゃなく、
ウルトラマンを作る側だったんですね。
shinya.hirano

コピーライターには、
なれると思った。

2017/08/25 21:00
大学に入ってから働きたいと
思っていたとおっしゃっていましたが、
最初からコピーライターになりたかったんですか。

「コピーライターになるって決めたのは
大学3年生のとき。
ものをつくることには意識があったけれど、
完全に決めきれないことがあって。
僕は大学1年の頃に、
橋本治さんと出会ったんです。
漫画の評論誌に押しかけていって、
お金をもらえるわけじゃないけれど
働かせてもらったりして。
そういう、僕みたいな人間が
集まっている雑誌だったんですよね。」

大学時代にいい人と出会って、
自分のやりたいことに
近いお仕事をされていたんですね。

「大学2年の終わりか3年のはじめに、
その漫画評論誌で知り合った女の子から、
『広告批評』の糸井さんの特集号を薦められて、
『ああ、これはすごいや!』と思ったんです。
その衝撃を経て大学3年生の時に、
『ああ、俺はコピーライターになれる』
という確信を持つようになったんです。
僕はすごく現実的な人間で、
この仕事は『できる!』と思っちゃったんですよね。
糸井さんや仲畑貴志さんにはなれないけれど、
その次のクラスにいる人にはなれると思っていて。
王や長嶋にはなれないけれど、
オールスターに出られるような選手には
なれるんじゃないかって(笑)。
だから、博報堂に入った頃なんて、
ずいぶん生意気なヤツが入ってきたと思われて。」

自信があるのに、すこし謙虚なところが
ちょっとおもしろいですね(笑)
shinya.hirano

そして、東京大学へ。

2017/08/25 20:56
成績に上下のあった中学を経て、
高校に進学もされました。

「甲陽は中高一貫校だったから、
高校も同じだったんだけれど、
高校3年間を総合して見ると、
自分が学年1位だったんじゃないかなあ。
つねに1位にいるわけじゃないけれど、
3位以内には必ずいる、みたいな。
毎日コツコツとやるタイプじゃなくて、
定期テストの2週間前を
ある意味で『我慢の期間』みたいにとらえて。」

その期間に集中してやる、
と決めていたんですね。

「どうしたら点が取れるか狙いを定めて、
最初に計画を立てておくんです。
普段の勉強は置いていかれない程度にやって、
ラジオを聴いたりミステリー小説を読んだり、
テレビも観ていたりしたんだけれど、
その2週間だけは、我慢すると決めていました。
つまり、定期テストの期間は、
家から帰ってきて、お風呂とか寝る時間以外は
とにかく勉強を『やる』と決めたんです。
僕にはサボっていた中1の経験があるから、
前日だけ勉強してもいい点が
取れないのはわかっていましたから。
我慢の期間にやることを予め決めていて、
そこに向けて覚えておくことは、
普段の勉強で覚えておくようにする。
そんなスケジューリングが得意だったんです。
今では仕事と遊びがいっしょになってるけど、
高校までのほうが、ONとOFFが
明らかに分かれていた人間だったかもしれません。」

自分だけの勉強のやりかたを身に着けて、
その後、東京大学に入られたんですね。

「僕はほんとうの意味で、
勉強が好きだったわけじゃなかったから、
大学で東大に入ってからは、
早く仕事がしたくって、
勉強はほとんどしなくなっちゃいました。
試験に向けての要領のつかみ方は
自分でもわかっていたから、
単位は必要最低限だけとって、
良くもなく悪くもなく、という成績。
ちょっと言い方は悪いけれど、
事務的にこなしてしまったような気がします。」
shinya.hirano

上がり下がりの激しい
中高時代

2017/08/25 20:52
そして、甲陽学院中学校に進学するんですよね。

「甲陽に入った時のテストの成績も
良かったらしいんだけど、
中学で1位にならなくてもいいやって
思っちゃったんですよね。
中1で勉強はだいぶサボって、
ラジオの深夜放送にハマってました。
親が寝てからラジオを聴いて、
MBSヤングタウン『ヤンタン』とかね。
それこそ、当時は出てきたばっかりの
笑福亭鶴瓶とか、もう面白くて。
だからテストの成績も、ガクンと下がった。
100点満点のテストで20点とかね、
人生でいちばん勉強ができなかった。」

いきなり、ガクンと下がってしまったんですね。
お話しを伺っていると、
ずっと要領よく点数を
取られてきたのかなと思っていました。
成績が下がったことで、
なにか変化はありましたか。

「だから親からも心配されたし、
入学テストの成績が良かっただけに、
学校の先生も心配してくるんですよ。
『谷山くんの実力はそんなもんじゃない』
みたいなことを言われたりして。
さすがにこれはマズイなと思ってました。
そうしたら、中学2年の時に、
親からのニンジン作戦につられて‥‥。」

谷山少年には、
どんなニンジンが効果的だったんですか。

「ステレオコンポがもらえたんです。
絶対にご褒美をもらうぞって、
一所懸命に勉強したら学年1位になっちゃった。
それまで学年の中でもパッとしない成績だった男が、
いきなり学年1位になったわけだから、
それはもう、思いっきり注目されたわけで。
僕にとってはそれがもう嬉しくって、
その嬉しさを失いたくないというか、
ずっと続けたいと思ったんだろうね。」

ああ、思春期の頃でしょうし、
チヤホヤされるのって嬉しいですよね。
shinya.hirano

勉強しなくてもできた
小学校時代

2017/08/25 20:48
それでは谷山さん、よろしくお願いします。

「はい、よろしくお願いします。」

プロフィールの上では、
「東京大学卒」という経歴を知ってはいましたが、
こどもの頃から、勉強ができる子だったのでしょうか。

「これは自慢するわけじゃあないんだけど、
小学校の頃は、そんなに勉強しないでも
テストはできちゃったんですよね。
僕が小学校3年生ぐらいの頃、
当時は公害が問題になっていた時代でした。
僕はわりと早熟な子どもだったから、
誰かに言われるでもなく、
勝手に調べてノートにまとめていました。
取り立ててテスト勉強に力を入れるわけでもなく、
全学年で1位を取るような小学生。」

ひええっ、レベルの高い小学生ですね。

「その頃、進学校に行くなら
3、4年生ぐらいから
名門と言われるような塾に通うものだったけど、
うちの場合は、父親があまり行かせなくて、
小学校6年生になって、
はじめて塾に通ったんですよね。

塾からも『今さらかよ』みたいな目で見られて、
とりあえず入塾テストを受けたら、
その塾に通う全体の5位とかで、
いきなり見る目が変わった気がしました。
塾に入った小6の時は、
まあ、けっこう勉強したかな。」
shinya.hirano

6人目の講師は、
谷山雅計さん!

2017/08/25 20:45
6人目、本日最後の先生としてお迎えしたのは
コピーライター、
クリエイティブディレクターの
谷山雅計さんです。

1961年生まれで、なんと今日が誕生日!
新潮文庫の「Yonda?」や、
東京ガスの「ガス・パッ・チョ!」、
資生堂 TSUBAKI「日本の女性は、美しい。」、
東洋水産「マルちゃん正麺」など、
いくつもの広告コピーを手がけているので、
どこかで、谷山さんのコピーを
見たことがあるかたが多いのではないでしょうか。

そんな谷山さんは、大阪府のご出身。
甲陽学院中学校・高校を経て、
東京大学教養学部を卒業されています。

ぼくにとってはコピー講座の恩師でもあって、
著書やトークショーでも、
あまり学生時代のことをお話されている
イメージがあまりありませんでした。
今日はいい機会なので、
谷山さんに、勉強や宿題のコツや、
「頭がいい」とはどんなことか、
いろいろとお話をうかがいたいと思います。
nagata

ありがとうございました!

2017/08/25 20:40
数々の名回答、
そして、書き下ろしの読書感想文!

古賀史健さん、
ほんとうにどうも
ありがとうございました!

静岡おでんを召し上がってください。
どうもありがとうございました。

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