2014/03/11 18:08「あれから知った東北のこと」

あの地震のあと、
地元(北海道)で漁師をやっている
同級生から聞いた話。

彼は牡蠣養殖をやっていて、
種牡蠣と呼ばれる稚貝は宮古のものだった。
(詳しくはわからないけれど、
 地元では種牡蠣が育たないらしい)

でもあの地震が、そして津波があって、
宮古の牡蠣は、ほとんどが死んでしまった。
ただ、少し、ほんの少しだけ、
宮古湾の深いところにあった牡蠣が
生き残っていて、
彼を含む牡蠣漁師たちは、
地震のあとも牡蠣を育てることができた。
本当に助かったと彼は言っていた。

地元の牡蠣は
幼いころから食べていたけれど、
北海道の辺鄙な港町と
岩手の宮古に、
牡蠣を通じたつながりがあったなんて、
僕はずっと知らなかった。
あの地震がなければ、
ずっと知らなかったかもしれない。

彼は毎年、僕にそんな牡蠣を送ってくれる。
小ぶりだけれど濃厚な味わいで、
蒸したり、
あるいはオリーブオイル漬けにしたりして
楽しんでいる。
もちろんとても美味い。

あの年からずっと、
いつか訪れようとは思っているけれど、
今のところ
まだ東北には行けずにいる。

情けない話だけれど、
安月給のサラリーマンなので金がないのだ。
だから今は
この場を借りて、せめてお礼を言いたい。

宮古のみなさん、あなたたちが育て、
守ってくれた牡蠣のおかげで、
僕の友人は
今も牡蠣漁師を続けることができています。
本当にありがとうございます。

いつか宮古に行けたら、
そのときは
最高に美味い牡蠣をたらふく喰います。

いつか、必ず、遊びに行きますから。

(札幌 ishigaki)

2014/03/11 17:55あれから知った東北のこと

3年前の夏、
「北海道・東日本パス」を使い、
鈍行列車を乗り継いで
札幌に出かけました。

千葉の自宅を出て札幌に着くまで、
実に25時間。

始発駅から終着駅まで、
ただひたすらに乗り続けました。

乗り継ぎの待ち時間には、
土地土地の美味しそうな物を買って、
電車に揺られながら味わって。

海のものに、山のもの。

そのどれにも合うのが、地酒でした。

東北が育んだお米と、
何千年もの月日を経て地下に降りた井戸水と。

このお酒を作るのに携わった方々は
ご無事だろうかと思いを馳せました。

景色を見ながら、
空の色で時間の流れを感じながら、
時折胸は痛みましたが、
のんびり楽しい時間でした。

車窓から、
いくつも「来年訪ねるべき土地」を
見つけました。

四季折々、その土地を訪れ、
美味しいものを満喫しています。

あれから、
電車で旅する東北の素晴らしさを
知りました。

時刻表に左右される旅の楽しみ方が、
だんだん上手になってきているような
気がします。

2014/03/11 17:40「あれから知った東北のこと」

もともと獅子舞好きですが、
東北旅行で
偶然「ししおどり」に遭遇しました。

郷土芸能すごいんですよね、東北。

あれから三年間、
折に触れて神楽を観にいったり
招く側のお手伝いをさせてもらったり
しています。

太鼓の音を思い出したら、
またみんなに会いに
行きたくなってきました。

ばっけ味噌の味も恋しいです。

(nge426)

2014/03/11 17:25あれから知った東北のこと

安波山を登ったところにある公園を
散策している途中、
偶然、地元の女性のかたとお話する機会が
ありました。

レンタサイクルで借りた自転車を押しながら
登りきったと伝えると、
私が止めていた自転車に気づいていたようで
そうではないかと思い驚いたとおっしゃって、
彼女が
気仙沼を訪問する人々への
ガイドをしていることを教えてもらいました。

「さっき、海岸沿いを走っていたのですが、
 海がとても澄んでいるように感じました」
と言うと、彼女は
「あ、実は津波の前よりも
 澄んでいるみたいなんですよ」
と教えてくれました。

海底のゴミや淀みを
津波が運び去ったのでしょうか。
そのとき、僕は少し考えて、
少しざわっと感じたように思います。

波の少ない、穏やかで
澄んだ海のように静かな気持ちで‥‥
というわけには
いかなかったように思います。

あの日から2年9ヶ月ほど経って
やっと訪れることができた
東北の気仙沼の海は
とても澄んでいて、穏やかでした。

(熱々のクラムチャウダー)

2014/03/11 17:13「あれから知った東北のこと」

カロリーメイツのみなさんは
酒は範囲外げ?

いわきには
「又兵衛」っつーんめー酒があっつぉい。

亡き三國連太郎さんも
大吟醸を
大変気に入ってくだすったらしい。

土産さどーだっぺか。

まだまだんめーもん
おもしぇーとこいっぺーあっがら
楽しんでってくんちぇ。

(あお)

2014/03/11 17:10「あれから知った東北のこと」

我が家では
被災地のどんぐりをお預かりして
育てています。

まだまだ芽は出ていませんが、
土の中では
その準備をしているようです。

大きく育ったら被災地に送り返して
植樹されるとのこと。

我が家のどんぐりたちも
いつか
被災地に大きく根を張ってくれるように、
これからも大切に育てていきます。

2014/03/11 16:55「あれから知った東北のこと」

先ほど
福島では知らない人はいない銘菓
「ままどおる」をお勧めされている方が
いらっしゃいましたが、
「ままどおる」を作っている三万石さんで
もうひとつお勧めなのが
「三千里」というお菓子です。

あん国の糸井大統領には
ぜひ食べていただきたい、
上品なあんとお餅が見事なまでに融合した、
和菓子好きは泣いて喜ぶお菓子です。

(匿名さん)

2014/03/11 16:49「あれから知った東北のこと」

いわき市には大きな水族館がありますよね?

私、新潟市民なんですけど、
さっき思い出しました。

震災後、水族館の魚の数が減ってしまって
困っていたときに、
地元の水族館から福島に
お魚がいっぱい里子に行ったんです。

いわしとかだったかな?

その後、新潟の水族館が改装するときには
福島で預かってもらってたんです。

あのとき里子に行った魚の孫たちは、
元気なのかなぁ。

太平洋側のいわきには行ったことがないので、
いつか会いに行ってみたいです。

2014/03/11 16:40「あれから知った東北のこと」

テレビの特番を見ていたら
気仙沼の「K-port」が
詳しく紹介されていました。

アンカーコーヒーの小野寺さん、
磯屋水産さんら、
「ほぼ日」でお名前を知った方々も映って、
なんだか
行ったこともない気仙沼の街が、
すごく身近な
「友達のいる街」のように思えて、
うれしい気持ちになりました。

(すなみん)

2014/03/11 16:30「あれから知った東北のこと」

宮城県山元町へ行ってから、
もう、2年も経ってしまいました。

一日だけのボランティアでしたが、
あの日見た景色、
感じたことは忘れられません。

あれから
復興に関わる行事・講演に足を運び、
支援になる商品などを買い、
震災に関わるテレビ番組は
できるだけ見ていますが‥‥
自己満足だなと思います。

ボランティアへ行った同じ年の秋に、
東北へ旅行に行きましたが、
それから1度も東北を訪ねることが
できていません。

住んでいる三重県からは
電車も飛行機も高く、
悔しいけれど
間接的なことしかできません。

そんな自分が語る言葉は、
なんて薄っぺらいんだろうと
恥ずかしくなります。

3年の月日。

言い知れぬ不安が、心の奥にあります。
忘れるはずがないと思う反面、
もういいんじゃないか‥‥と
自分の気持ちが薄れてしまう後ろめたさ。

自分の日常と東北を、
どうやって繋いだらいいのか
わからなくなってきています。

けれど、
そんな自分の感情をひっくるめて、
3月11日には
手を合わせたいと思っています。

今日は、雲のない青空でした。

前日の雪が残っていて、少し眩しかったです。

(遥)