2014/03/11 22:18今日から、明日へ。
「忘れないというより、
あらためて知ろうよ。」
今年の3月11日を
ほぼ日刊イトイ新聞は、
そんな気持ちで迎えました。
「できることをしよう。
できることだけでいいんだもの。」
今日の原稿に糸井はそう書きました。
「できることをしよう。」は
3年前のあの日からずっと
ぼくらの基本的な姿勢です。
今年の3月11日が終わります。
そしてまた、毎日が続いていきます。
ようやくできはじめたこと、
まだまだできていないこと、
さまざまに抱えながら、
日々は続いていきます。
最後までお読みいただき、
どうもありがとうございました。
ほぼ日刊イトイ新聞の3月11日特集、
テキスト中継はこれで終了いたします。
みんな、自分の家へ帰って、
明日に備えます。
どうもありがとうございました。
それでは!
2014/03/11 21:58東京へ
雪の降る早朝に起きて、
午前中には大谷海岸の丘に
ケヤキの木を植え、
2時46分には黙祷し、
気仙沼の街でいろんな人と会い、
サンドウィッチマンさんの
番組のロケに参加し、
夜は気仙沼の港のそばから
夜空に向かって立ち上る
ヒカリの柱を見ました。
私たちの今年の3月11日は、
こうでした。
気仙沼チーム、予定を終えて、
東京へ帰ります。
あ、なんだか集合写真が
山下さん主役になっちゃった。
まあ、いいか。
2014/03/11 21:36三度目、そして
「今年の3月11日は
いままででいちばん
悲しかったかもしれない」
と、糸井重里はいいます。
同じようなことをおっしゃっていた
斉吉商店の和枝さんは
その感覚をこんなふうにおっしゃいました。
「去年と一昨年の3月11日は、
『前を向いていくしかない』
という感じで、
見たくないものは見ないようにして
がんばって前進していたイメージ。
今年は、余裕がでたぶん、
悲しいことをきちんと悲しいと
感じられるようになった気がする」
糸井重里は言います。
「これからの1年は、
いままでとはまた
大きく違うような気がする。
来年の3月11日、
どういう気持ちでいるのか、
ちょっと想像がつかないね」
来年の3月11日、
どこでどんなふうに過ごすのだろうと考えます。
糸井はまた気仙沼を訪れるのだろうか。
そして自分は、どうだろう。
どんなふうにこの日を過ごすのだろう。
2014/03/11 20:45三度目の3月11日
そろそろ、新幹線の時間です。
2014年の3月11日、
我々は、気仙沼で過ごしました。
早朝は雪が舞っていましたが、
日中はよく晴れ、
気温は低かったですが、
気持ちよく過ごしました。
植樹も無事に終わり、
いろんな人と会って
いろんな話をしました。
2014/03/11 19:05事務所にて
先ほど、東京チームと解散して、
私は事務所に戻ってきました。
3本のヒカリが上がる前、
安波山からみた気仙沼の街は、
去年よりも、
街の明かりが増えている
感じがしました。
気仙沼に残る自分に
これから何ができるのか、
もっと考えて、
私も今日からまた
頑張ろうと思います。