自分に言い聞かせたい「おちつけ」のことば。 石川九楊×糸井重里 対談 自分に言い聞かせたい「おちつけ」のことば。 石川九楊×糸井重里 対談
ここ数年、糸井重里が折に触れて
「『おちつけ』って書かれた額とか、
 お守りがあったらいいと思うんだよね」
というアイデアを冗談のように話していたら、
なんと本当に「おちつけ」グッズができました。
しかも、ことばを書いてくださったのは、
最先端の書で知られる書家の石川九楊先生!
糸井からの一風変わった依頼をおもしろがり、
「おちつけ」のひらがな四文字が何を意味するか、
全身で感じ取って表現してくださいました。
書き上げた「おちつけ」の書を広げて、
ことばのこと、心のこと、人間のことを、
石川九楊さんと糸井がじっくり話します。
五、次へ進むための空白。
写真
糸井
この対談はもともと、
「おちつけ」から始まった話ですけど
いろんなところをめぐっていますね。
石川
作品を作っていくことも、
「おちつけ」に通じますからね。
まずは一回落ち着かせてから、
次の展開をしていくんですよ。
スポーツの世界にも、
同じことを言う競技がありますが、
どれかわかりますか?
糸井
なんでしょうか。
石川
サッカーです。
「ボールを落ち着かせる」って言うでしょう?
みんなでワーッと前へ前へ行こうとしてもダメ。
ちょっと落ち着かせてから戦略を組み立て直して、
そしてまた蹴り出して次のゲーム展開に入っていく。
糸井
立方体の積み木を積み上げていくときも、
ただまっすぐ積み上げているつもりなのに
必ずどこかで限界がきてしまう。
どこかで落ち着いて考えることが必要で、
見えないバランスを探るんです。
まっすぐではないけれども
ここに置かなきゃいけないという場所がある。
ああいう感覚って、おもしろいですよね。
石川
書でも、バランス感覚を会得するための
訓練法があるんですよ。
たとえば一枚の紙に五十の文字を
三行に分けて書くとしますよね。
書き始める前にまず、
「一行目が二十字、二行目も二十字、三行目が十字」
と先に割り振ってしまいます。
すると、一行目の真ん中を十字目と決めて、
十字目を先に書いてしまいます。
写真
糸井
矯正するために、先に書いちゃうんですね。
石川
一行目の真ん中を十字目にすると決めたら、
ある程度、全体のバランスがわかります。
一字ずつ、同じように書くわけじゃないので、
文字によって長くしたり、大きくしたり。
そうすると今までやったことのない
展開の仕方がわかってくるんです。
糸井
音楽の作詞でいうところの
「サビはできてるんだよ」という感覚に近いですね。
絶対に使いたいサビのフレーズを先に決めてから、
あたまの部分を作っていくんです。
石川
そうですね。
人間っていうのは、
自由に発想しているつもりでいても
本当に凝り固まっていますから。
糸井
勉強になります。
凝り固まるに決まっているという前提で、
崩し方も伝承されてきているということですね。
写真
石川
そう。だって、もっと幅を広げていかないと、
本人がおもしろくないんだから。
本心からおもしろがれなければ、
絶対にいいものはできません。
糸井
そうですね。
本心からおもしろいっていう感覚は、
子どものときのものに近いですよね。
石川
そうですね、そうです。
糸井
石川さんもお会いになっていた吉本隆明さんが
よくおっしゃっていたことがあって。
話の中で展開を変えたい時には、
だいたい「おもしろくねえや」とか言って、
下町のガキみたいに話を変えちゃうんですよ。
そのガキ成分は、なんだか石川さんの中にも
ずいぶん残っているような気もしますけど(笑)。
石川
成長しないといけないと、
いつも女房に怒られています(笑)。
でもね、絶えずものを作っていこうとしたら、
子どもの成分が残ってしまうんです。
そうでなかったら、
年齢を重ねて体力が下がっていくにつれて、
創作の技術も一緒に下がってしまいます。
創作としては上がっていきたい気持ちがありますから。
写真
糸井
石川さんとお会いすると、
書の話をされているはずなのに
人間の話をされている気がするんですよ。
石川さんは、人間の生理や変化について
ものすごく調べていらっしゃいますよね。
放っておくとこうなる、という現象に対して
抵抗されているというか、ふりほどくというか。
石川
なにかを作るということは、
無理なことをやっているんでしょうね。
人間というのは、そもそもが無理な存在です。
無理な存在というものは、
その無理を徹底するしかない。
いつまでも、じわりじわりとやる。
糸井
そうですね。
石川さんは、作り手としての考えもありながら、
無理じゃない流れの中で、
上手にいる人への尊敬もある。
その両方があるんですよね。
石川
書ほど易しいものはないんですよ、本当に。
だけど、書ほど難しいものもない、
という言い方もできて。
やはり、良いとされている書は、
自分でなめらかに追体験できる。
悪い書の場合、
ひっかかりが悪くて、
触覚として体験するのが難しい。
写真
糸井
自分に技術がないときには、
目というものが、
ものすごく重要な役割を果たしますね。
石川
うん、うん。
糸井
で、目に騙されることもある。
石川
そうです。
糸井
筆を持ったことのある人がいい書を見ると、
心の中で筆が一緒に動くわけですね。
石川
そうそうそうそう。
糸井
いやあ、また今度、
テーマを変えてお話をお聞きする機会を
ぜひよろしくお願いします。
石川
今日も糸井さんの誘導で、
勝手に一人でしゃべってしまいました。
糸井
ぼくはただ、うなづいているだけですよ。
「おちつけ」からのお話、
すごくおもしろかったです。
石川
いやいや、こちらこそ。
糸井
お忙しいところありがとうございました。
石川さんの「おちつけ」の書は、
ボタンを押すようなものだと思うんです。
そのことばがパッと目に入ったら、
落ち着いていなかったんだなって気づいた、とか。
「落ち着きさえすればよかったのに」
ということが山ほどありますから。
石川
ぼくも頭が痛いな、それを言われると。
糸井
「おちつけ」グッズが喜ばれますように。
石川
ええ、そうですね。
「おちつけ」グッズ、よろしく。
写真
(おわります)
2019-02-01-FRI
ほぼ日の「おちつけ」