大分県の日田(ひた)は、
かつて天領(江戸時代は幕府の直轄地だった地域を、
明治以後に、そう呼ぶようになりました)だった町。
江戸の文化や物産は九州に入るとき、
まず日田に集められた、といわれており、
ここは九州の政治・経済・文化の集散地だったのです。
色濃く天領だった往時のイメージが残る日田は、
観光地として知られていますが、
もうひとつ日田のだいじな顔が「林業」。
もともと日田は、阿蘇山が噴火して、
その土が飛んできて堆積した場所。
良質な木が育つ土壌があり、そこで育った竹や雑木を
筑後川の水運を使った運送で
九州の各地に届けたのがはじまりでした。
18世紀には杉の造林が盛んになり、
大きな産業へと成長しました。
トラック輸送になった20世紀以後も、
日田は原木市場がつくられる集散地となり、
山から、丸太、材木、製品までをつくる産地として、
現在も大きな役割をはたしています。
そんな日田を拠点に、日田に暮らす人たちと、
全国からあつまった人たちがいっしょに
「人と森の関係を問い続ける」有志団体があります。
名前を「ヤブクグリ」。
(日田の固有種である杉の木の名前なんだそう。)
22人のメンバーは、大学の先生だったり、
商品開発をしていたり、
もちろん山林管理の仕事や、製材所、原木市場など
林業にたずさわる人もいますし、
画家、ライター、デザイナー、建築士、印刷所、
そして料理人もいれば、家具職人もいて、
観光協会の職員、そして映画館の支配人も!
そんないっけんばらばらなオトナたちが集まって、
真剣に、でも楽しく、おいしいものを食べたり、
うまい酒をくみかわしたりしながら、
森と人の暮らしについて考えているんです。
その活動はモノの開発、販売にもひろがって、
「ヤブクグリ弁当部」ではお弁当をつくったり
(日田きこりめし、は、とっても有名になりました)、
「ヤブクグリ生活道具研究室」では
日田杉を使った製品を考えて、販売をしています。
そんな「ヤブクグリ」の日田杉の製品を、
「weeksdays」で取り扱うことになりました。
伊藤まさこさんのアイデアを取り入れて、
「ヤブクグリ」のみなさんと相談、
いくつかの製品を「weeksdays」仕様で
紹介することになりました。
コンテンツでは、ヤブクグリで「名刺係」をしている
デザイナーの富田光浩さんのお話、
そして、伊藤さんが日田におもむき、
「木工係」である家具職人の戸髙晋輔さんの工房に伺い、
戸髙さん、富田さん、そして画家の牧野伊三夫さんに
お話をうかがったようすを、
それぞれ2回ずつ、4回の連載でおとどけします。
日田の写真も、あわせてどうぞ。
富田光浩
ヤブクグリ名刺係。
1964年岐阜県大垣市生まれ。
2011年(株)ONE 設立。
商品企画から、ブランディング、パッケージデザイン、
エディトリアル、広告、地方のプロジェクトなど、
小さな仕事から大きな仕事までを幅広く手がける。
牧野さんに「富田くんも日田に行こうよ!」と誘われ、
「気づくとみんなの名刺を作っていた」という。
最近は2ヶ月以上、山のある所に行けないと
ムズムズして来るような体になってしまった。
趣味は日曜日の夕方につまみと燗酒を準備して、
4時から始まる大相撲のTV中継にピッタリ間に合わせること。
牧野伊三夫
ヤブクグリ冊子係。
1964年、北九州市生まれ。画家。
多摩美術大学グラフィック・デザイン科卒業後、
広告制作会社サン・アドに
グラフィックデザイナーとして入社。
92年に退社し、画業を開始する。
現在まで30年以上にわたり、
書籍挿画や雑誌の挿絵、広告などで活躍。
1999年、美術同人誌『四月と十月』を創刊。
故郷である北九州市情報誌『雲のうえ』、
飛騨産業広報誌『飛騨』の編集委員をつとめる。
近著に
『のみ歩きノート』(筑摩書房)、
『へたな旅』(亜紀書房)、
『かぼちゃを塩で煮る』(幻冬舎)、
『画家のむだ歩き』(中央公論新社)、
『僕は、太陽をのむ』(港の人)など。
「weeksdays」では
「ぼくの、帽子にまつわる三つのはなし」を執筆。
「きこりが仕事をする様子を描こう」と日田へ旅したところ、
なぜか観光協会の黒木氏に
市内の林業関連施設を案内されることになり、
気づくと毎晩、日田人たちと酒を飲んでいた。
戸髙晋輔
ヤブクグリ木工係。
1968年大分県津久見市生まれ。家具職人。
海辺の町で育ち今は山のなかで家具をつくっている。
ヤブクグリでは日田産の杉を使った各種椅子を製作。
日田杉との出会いは十数年前に
マルサク佐藤製材を訪ねたことから。
それからは杉で椅子、テーブル、器、棚、
箱、建具、家までつくってきた。
つくり手から見た杉の良さを伝えられたらと思っている。
「TODAKA WOOD STUDIO」主宰。
01「ヤブクグリ」のはじまりは
(富田光浩さん 前編)
- 伊藤
- 富田さんは、画家の牧野伊三夫さんといっしょに
「ヤブクグリ生活道具研究室」の商品にかかわって、
パッケージのデザインもされていますよね。
きっかけは、どういうことだったんですか。
- 富田
- もともと牧野さんとは古いおつきあいなんです。
飛騨産業という家具の会社が2011年に創刊した
小冊子『飛騨』というフリーペーパーがあり、
創刊から終刊まで、牧野さんとお仕事をご一緒しました。
- 伊藤
- その『飛騨』に、富田さんがかかわるきっかけは
どんなことだったんでしょう。
- 富田
- もともと僕は家具が好きだったんですけれど、
ずっと北欧家具を使っていたんですね。
岐阜県の出身なのに、飛騨の家具は使っていなかった。
それがある日東京の神谷町にある飛騨産業のショールームに
時間があったので入ったら、
一脚の椅子が目にとまって、
あ、いいなと思って座ろうと手前に引いたんです。
そうしたら、それが想像より軽かった。
「軽くて面白いですね、この椅子」って言ったら、
これは杉の圧縮材でできてるから軽くて丈夫なんです、
という説明を、お店のかたがしてくださいました。
面白い会社だなと思ったんですよ。
なぜかっていうと、
杉って、たくさん山に植えられているのに、
材料としては日本中で使われなくなってきていて、
問題になってるっていうのを知っていたので、
圧縮して軽く丈夫な素材をつくって
家具にすることを考える会社が、
ふるさとにあったんだって知らなくて。
それで驚いてその場で一脚買いました。
そして、この会社の仕事がしたいと思い、
飛騨産業に営業の電話をかけたんです。
- 伊藤
- すごいですね、すばらしい行動力。
- 富田
- それで飛騨に行き工場見学をさせてもらったとき、
ペライチ(用紙1枚)で文字だけの
企画書を持って行ったんです。
- 伊藤
- それは、飛騨産業のデザインに関わる
すべてのことをやりたいです、というような?
- 富田
- いえいえ、とんでもないです、
小冊子をつくりませんか、
っていうことだけです。
- 伊藤
- なぜ小冊子だったんでしょう。
- 富田
- いい家具って一回買ったら、
長い付き合いが続くものですよね。
そんなに頻繁に買うものではないけれど、
結婚するとダイニングテーブルを買ったり、
子どもができたら勉強机を買ったり、
そんなふうに人生には「家具を買う節目」がやってくる。
そのときに、「どこで買おうかな」ってなると思うんです。
だったら飛騨産業を思いだしてほしい。
だから、以前買ってくださった人に
定期的に小冊子を送って、
思いだしてもらえるようにするといいんじゃないですか?
‥‥っていうのを文字で書いたんです。
そしたら、ぜひ企画してみましょうっていうことになって、
その時に牧野さんにお声掛けをしました。
絵を描いてくださいって。
その時からすでに、牧野さんは
彼のふるさとの北九州市の情報誌
『雲のうえ』の編集委員をなさっていたので、
『飛騨』についても編集委員として
一緒に入らせてください、ということになり、
第1号を2011年に発刊したんです。
そしてそのことが、日田に繋がっていくんですよ。
- 伊藤
- 富田さんと牧野さんが『飛騨』の仕事を
ご一緒したことが、日田に?
- 富田
- はい。取材で牧野さんと温泉に入っていたとき、
こんなことを言ったんです。
「九州に日田っていうところがあるんだけど、
飛騨と似てるんだよねぇ」って。
- 伊藤
- そういえば、名前も似ていますよね、
飛騨と日田って。
- 富田
- そうなんです。
語源を調べると同じっていう説があって、
山ひだの奥の土地の「ひだ」が由来だというんです
(山襞:山の尾根と谷が入りくんで、
襞のように見える土地のこと)。
さらに調べると、どちらも盆地で、林業地。
- 伊藤
- へえー!
牧野さんは日田のことをよくご存知だったんですか。
- 富田
- 九州のあちこちにスケッチ旅行に行って、
荒廃した山林の状況を知った牧野さんは、
『間伐材』という名の雑誌をつくろうと
思っていたそうなんです。
牧野さんは福岡に住むグラフィックデザイナーの
梶原道生さんというかたと知り合いで、
彼は彼でふるさとである日田のためになにかしたい、
と考えていたそうで、
一緒に日田を訪れたのがきっかけで、
牧野さんもどんどん日田に惹かれていったそうです。
そんな牧野さんに、
「富田くんも、ちょっと行ってみようよ」と誘われて、
日田に遊びに行ったんですよ。
そしたら最初に紹介されたのが、
黒木陽介さんという、日田市の観光協会の方。
彼のフットワークの軽さや、
仲間からの信頼の篤さがあって、
ぼくもどんどん日田に知り合いが増えていきました。
そうして知り合ったみんなで
日田をベースに人と森の関係を考えようという集まり
「ヤブクグリ」を結成したのが、2012年のことでした。
- 伊藤
- 「ヤブクグリ」は何人、メンバーがいらっしゃるんですか。
- 富田
- いま、22人です。
職種もばらばらで、
役割もそれぞれあって。

▲右が富田光浩さん、真ん中が牧野伊三夫さん、
左はヤブクグリ会長で林業係の合原(ごうばる)万貴さん。
- 伊藤
- 全国的に知られるようになった
「日田きこりめし」をつくったのも
ヤブクグリのみなさんなんですよね。
- 富田
- そうなんです。
「昔、こんな弁当を、きこりが食べていたかも?」
と、牧野さんが想像で描いたラフをもとに、
丸太に見立てた煮ごぼうを
付属のノコギリで切って食べるという、
煮物中心の和食のお弁当を
寳屋(たからや)の佐々木美徳さんと
いっしょにつくったんです。
佐々木さんは「ヤブクグリ弁当部」なんです。
器は、製材した杉の端材を使っていますが、
これはマルサク佐藤製材の佐藤栄輔さんが
「林業係」としてやってくれています。
- 伊藤
- 「ヤブクグリ」には料理屋さんもいれば、
製材所のかたもいらっしゃるんですね。
だからアイデアをすぐに形にすることが
できているんですね。
- 富田
- そうなんですよ。
ぼくは「名刺係」、牧野さんは「冊子係」。
ほかには建築家もいれば、林業家もいれば、
印刷屋さんもいます。
「ゆくゆくは杉の家を一軒つくりたいね」
って言ってるんです。
- 伊藤
- わぁ、すごい。
そういえば日田では、丸太がいっぱい
あるところに伺いましたよ。
- 富田
- 九州木材市場ですね。
あそこの田中昇吾さんも
「林業係」をしているんです。
- 伊藤
- その「きこりめし」ができたあとで、
さらにいろいろな製品を
つくるようになっていくんですよね。
そのいきさつは‥‥?
- 富田
- 「きこりめし」の次に、
本当は小冊子を出そうとしたんですけど、
資金がないっていうことになってしまって。
けれども助成金を待っていても、いつ下りるかわからない。
じゃあ、モノをつくって、販売して、
それを活動資金にすればいいんじゃないか、
っていうことで、日田杉の木工製品を世に出していこうと、
「ヤブクグリ生活道具研究室」を結成したんです。
最初につくったのは「日田杉の椅子」でした。
九州木材市場から仕入れた原木を
マルサク佐藤製材で製材し、
家具職人の戸髙晋輔さんが「木工係」として、
自身の工房「TODAKA WOOD STUDIO」で
手づくりをしました。
- 伊藤
- なるほど。
YAECAの布を使ったスツールもありますよね。
- 富田
- そうです、そうです。
布地は福岡で箱崎縞を織る
「メゾン はこしま」に依頼しました。
それで、椅子の次が、「おふろのフタ」、
「ハダカですわる椅子」などおふろ用品を、
そして「木目がうつくしい日田杉の赤太で作ったまな板」
ができていきました。