「weeksdays」はじめてのアイテム、イヤーカフ。
パールと18金で、ふたつのタイプ、ふたつのサイズの
(シンプルだけれどエレガントな!)
イヤーカフをつくってくださったのは、
ジュエリーブランド「himie」(ヒーミー)の
下川宏道さんです。
「もともとは歯科技工士だった」という下川さんは、
その仕事をしながらつくったアクセサリーを、
公園の露店に並べるところがキャリアのスタート。
仕事のパートナーでもある妻の里美さんをまじえながら、
これまでのキャリアのことや、制作のことなど、
いろいろなお話をききました。
小さいけれどわたしたちの心をうごかすもの。
それをつくっている下川さんたち、とても素敵なんです。

下川宏道さんのプロフィール

下川宏道 しもかわ・ひろみち

ジュエリーデザイナー。
「himie」主宰。
家業である歯科技工士の仕事を経て、
「その技術を使って」アクセサリーづくりを開始。
30歳のとき里美(さとみ)さんとの結婚を機に
歯科技工士を辞め、ジュエリーデザイナーとして独立、
「himie」を立ち上げる。
松屋銀座店をスタートに、
青山・大阪・京都と、現在4店舗を構える。

●ウェブサイト
https://himie.com/

その1
スタートは歯科技工士から。

伊藤
イヤーカフ、とっても素敵なものができました。
撮影のときも、すごく盛り上がったんですよ、
どの組み合わせで着けたいか、って。
大きい方、小さい方、
ひょっとして両方をあわせて
着けるのもいいのかも? って。
下川
いろんなスタイリングがあっていいと思います。
イヤリングよりもちょっとライトな感じですし、
ピアスがつけられない人や、
ピアスホールが開いてない人でも楽しめます。
伊藤
ピアスと合わせて使ってもいいですしね。
下川さん、ほんとうにありがとうございます。
下川
いえいえ、こちらこそありがとうございます。
ぼくら(himie)のところでは
これまでつくっていなかったアイテムでしたが、
依頼をいただいて、
「まさこさんをはじめ、
みなさんの女っぷりを上げるジュエリー」を、
と考えたんですよ。
伊藤
すごい。そうなんですか。
じつはわたしも持っていなくて、
落ちないものなのかなと、ずっと思っていたんです。
でもふと「いいんじゃないかな」と、
去年の冬ですよね、ここ(青山店)で
イヤーカフがあったらと相談をしたら‥‥。
下川
それはチャレンジしてみたい、と。
伊藤
いままで、つくらなかった理由はあるんですか。
下川
いや、別に意味はないんです。
でも、まさこさんだけじゃなく、
ほかのお客さまからも
リクエストがあったんですよ。
いいタイミングでした。
伊藤
下川さんは、来歴がユニークなんですよね。
最初のお仕事は歯科技工士だったと聞きました。
下川
はい、父親が歯科技工士で、
そこを継ぐ予定でぼくもその勉強をしたんです。
じっさい、父の工房に入り、
月曜から金曜までは歯をつくっていたんですよ。
で、休みの日はアクセサリーを。
伊藤
ちょっと待って、その流れで
いきなりアクセサリーを?
下川
銀歯も、銀の指輪も、
つくる工程は一緒なんですよ。
伊藤
そうなんですか。
下川
最後のかたちが違うだけで、
溶かして流し込むという技法は同じです。
歯科技工士になるための学校では、
授業で指輪づくりも習うんですよ。
伊藤
えーっ!
下川
最初のほうだったと思います、
そういう授業がありました。
伊藤
なるほど‥‥でも、
月~金、ずっと歯をつくる仕事をしていたら、
土日は別のことがしたくなるんじゃないかなって
思ったんですけれど。
下川
ファッションが好きだったから、
楽しかったんです。
伊藤
それは自分でたのしむファッションとして?
下川
いやいや、僕は、アクセサリーを身に着けることには
興味がなくて。
伊藤
そういえば、全く、つけていないですよね。
下川
「つけてもらう」のが楽しいんですね。
伊藤
デザイナーの方のなかには、
自分が着たい服がないから立ち上げました、
みたいなこともあるのだと思うんですけれど。
下川
それはないんです。
伊藤
つくったものは、どうしていたんですか。
下川
日曜日に、当時住んでいた近くにあった
井の頭公園で路面の販売をしたんです。
そもそも、を言いますと、友人であり、
今も一緒にhimieをやっている職人がおりまして、
横浜でモノづくりのイベントに出るというんです。
「それなら僕もつくるよ」と、
指輪をつくって、2、3個かな、出したんですよ。
ところが全然売れなかった。
伊藤
どんな指輪だったんですか。
下川
シルバーに、入れ歯の材料を絵の具で染めて、
ペースト状にして垂らした、青いリングでした。
伊藤
なるほど‥‥売れなかったんですね。
下川
はい。でも、
その時のお客さんとのコミュニケーションが
すごく記憶に残ったんです。
物を通して話ができるっていうのが面白いと。
伊藤
そっか、歯科技工士のかたとお客さまが、
直接会う機会ってないですものね。
下川
そうなんです。作って納めたら終りなので、
まったくコミュニケーションがとれません。
本当に影武者なんです。
伊藤
だから、自分のつくったものを
身に着けようとする人の反応を見るのは、
すごく新鮮だったということなんですね。
下川
そうですね。ぼくがつくったものがもとになって
会話ができるっていうのが面白かった。
それで、井の頭公園で売ってみようと思いました。
当時は、許可もいらなくって、
いろんな人がいろんなものを売っていたんですよ。
いまは「井の頭公園アートマーケッツ」という
東京都が主催する年次のイベントとして
アートの販売が許可されるようになっていますが、
当時はかなり自由でした。
伊藤
何年くらい前の話なんですか?
下川
20年くらい前の話ですね。
最初はペプシの箱を持ってって、
裏返しにして台にして並べてました。
伊藤
それも、きっと素敵だったんだろうな。
お店に来ると、いっつも、
ジュエリーの飾り方がかわいいのにおどろくんです。
井の頭公園時代、楽しかったですか。
下川
楽しかったですね。
女性たちが公園に見に来てくれるわけですよ、
ワーワーと話をしながら、
それでこう、着けてくれたり、買ってくれたりして。
それが単純に楽しかった。
伊藤
歯科技工士は何年くらい続けていらしたんですか。
下川
技工所、いわゆるラボがあって、
そこに5年くらい勤め、
そのあと父のもとで1、2年です。
その時からですね、本格的に
アクセサリーをつくりはじめたのは。
30歳で結婚をして、それを機に歯科技工士を辞め、
アクセサリーづくりに専念をすることにしましたが、
最初の頃は相談を受けてから作る、
のんびしたペースでした。
気負いもそんなになくって、
なんというか‥‥フワッと始めたんです。
伊藤
フワッと。
現在、奥様の里美さんが
ショップの運営をいっしょになさっていますが、
当時、不安はなかったですか。
下川(里)
私は実家が和菓子屋で、
商売をしているので、職人さんというか、
モノづくりしてる人にとても寛容なところがあり、
そんなに不安を持たなかったんですよ。
「なんとかなる!」って。
伊藤
たのもしい! 
お父さまも理解を?
下川(里)
もうほんとうにやさしくて、
ご両親とも、賛成、応援してくれました。
下川
一時期は、父が歯をつくってる隣で
ぼくが指輪をつくって、一緒に仕事をしてました。
同じ機械、同じ材料なので。
下川(里)
環境に恵まれてたと思います。
全て設備が整っているし、
材料は常にあるし。
下川
普通は独立にあたって機材を買うんですが、
当初は資金がなかったものですから、
使わせてもらって。すごく恵まれていました。
伊藤
なるほど!
(つづきます)
2021-12-12-SUN