「ずっとお目にかかってみたかった」という
内田也哉子さんを、伊藤さんの部屋にお招きして、
のんびり、ゆっくりと話をしました。
テーマをとくに決めずに始まった対話ですが、
自立の話であり、
母であること、娘であることの話であり、
人生の理不尽の話でもあり、
出会いと別れの話であり‥‥。
尽きない話題を、7回にまとめました。
ふたりといっしょにお茶を飲みながら、お読みください。

(写真=有賀 傑)

内田也哉子さんのプロフィール

内田也哉子 うちだ・ややこ

エッセイスト、翻訳家、作詞家、歌手、俳優。
1976年東京生まれ。
日本、アメリカ、スイス、フランスで学ぶ。
父はミュージシャンの内田裕也、
母は俳優の樹木希林、
夫は俳優の本木雅弘
二男一女の母。
著作に『BROOCH』(リトルモア)、
『9月1日 母からのバトン』(ポプラ社/樹木希林との共著)、
訳書に『たいせつなこと』
『恋するひと』
『岸辺のふたり』などがある。
2019年9月の「おかあさんといっしょ」の“月歌”で
『たいこムーン』を作詞(リトル・クリーチャーズ
(LITTLE CREATURES)の青柳拓次さん作曲)。
作詞、翻訳は「うちだややこ」名義。

その4
静かに強い。

内田
そうして母と話をするようになって、
母がそもそも持っていた心の闇、
ブラックホールみたいなものを、
一緒に共有‥‥というか、
わかる、共感できるようになって。
母は1回結婚してるんですね。21歳とか、
けっこう早くに、文学座の同期の役者さんと。
5年ぐらい結婚していたのかな。
でも、とくに子どもも持たず、離婚して。
離婚の理由は、とにかく幸せな、
とてもいいお家の出のご主人で、穏やかで、
アーティスティックで、なに一つ文句も、
非の打ちどころもなかった人だったそうです。
その幸せで穏やかな空気を吸ったときに、
ブラックホールを見つけてしまったんです。
自分のなかに。
そしてなんとかしてこの幸せを壊したい、
っていう気持ちになった。
そういう、ある種の闇を自分のなかに持っているから
結婚っていうのは向いていないし、
再婚しようなんて思ってなかったところに、
30代になって、父みたいな、
母にとっては一種の異物と出会ったとき、
「あ、こういうわけのわからない人といれば、
私のブラックホールが埋まる」っていうふうに、
直感的に思ったんですって。
伊藤
ブラックホール‥‥。
内田
いつも母が言ってたのは、
「私が裕也を必要としてるんだ」。
世の中では、父が破天荒で被害を被ってる奥さん、
尻拭いばっかりしてる奥さんみたいな
イメージかもしれないけど、そうじゃなく、
父がいることで自分(母)がいられると。
本当に息をしてるのも苦しかった時期があったんです、
母は。
伊藤
そういう話を、思春期の也哉子さんが
疑問を投げ掛けたときに、じっくりと‥‥。
内田
はい、してくれました。
わからないかもしれないけども、
聞かれたときにはすべてを包み隠さず教えよう、
って思ったんでしょうね。
そのときに全部の理解は
もちろんできなかったけれど。
伊藤
今になって、「あ、こういうことなんだ」って
わかることも、ありますか。
内田
はい、わかってきましたね。
伊藤
息子さんとかお嬢さんにも、
同じように接してますか? 
また全然違う親子関係だと思うんですけど。
内田
それぞれ全然違うタイプの子どもたちなので、
私が母としたような、
暗い部分も含めた心の話をする機会はそんなにないですね。
これからあるといいなぁ。 
せっかく親子としてこの世に出会ったから、
いつかは自分の持っている悩みとか、
「私自身もこういうことを抱えてたんだよ」
みたいなことをちゃんと、
一対一で話したいなと思うけれども。
べつに親子としてのことだけじゃなくて。
伊藤
うん。そんな時が来るといいですね。
内田
今はわりと、みんながそれぞれの青春を謳歌して‥‥。
伊藤
健やかなんでしょうね。
内田
私はわりと直球でなんでも聞いてしまう
タイプなんですけど、
上の2人はもうちょっとオブラートに包んでるっていうか、
自分のなかの考えをいろんな人に
言わないタイプではありますね。
たとえば、ニューヨークから連絡がきて、
娘と電話で話をしていたんです。
雑談をしていたんですが、
私も行かなきゃいけないから、
「ごめんね。もうそろそろ、
次行かなきゃいけないから切るね」って言ったら、
「あの、あのね‥‥」って引き留める。
「え、なに? なに? なにがあったの? どうしたの?」
って言ったら、
「べつにいいんだけどね‥‥」って、
ぽつぽつと話しはじめたのは、
初めてに近い失恋をしたということでした。
伊藤
言い出しづらかったのね。
内田
「じつは、ボーイフレンドとこうなって、ああなって‥‥」
と話しはじめて。
あ、初めて自分から悩みを言った、と思って、
ちょっとうれしくて。
失恋したのに嬉しいって、変ですけれど。
娘さんはオープンですか? いろんなことに。
伊藤
私は石橋を叩いて渡る前に渡って、
振り向いたら「あ、崩れた」
みたいなタイプなんですが‥‥。
内田
お母さん!(笑)
伊藤
娘は、以前、学校の先生からの評価表に、
「静かに強いです」と。
先生、いいこと書くなあって思ったんです。
まさしくそんな感じなんですよ。
内田
静かに強い。素敵ですね。
伊藤
いろんなことを、自分で決めますね。
進路のことも。
中学の時に、
学校に行かないと決めたことがあって、
私は「いいよ、いいよ行かなくて」と。
内田
あ、言っちゃうタイプなんだ!
伊藤
「せっかくだから遊びに行こうよ」と、
ドライブしたり、温泉旅行に行ったり。
ところが半年ぐらい経ったときに、
それにも飽きたみたいで。
内田
半年、何も言わずにいられたんですね。
お母さんとしてすばらしいです。
伊藤
実は喉元まで何回か
「どうするの?」という言葉が出かかったんですけど、
ちょっと我慢しようと思って。
「今日さ、学校行ってみない?」とか。
内田
「ずうっとこういうわけにもいかないし」
っていうとこですよね。
伊藤
そうなんですよ。
内田
べつに正解はないけれども、
次の動きをどうしようかって
聞きたかったってことですよね。
伊藤
そうなんですよね。でも言わずにいたんです。
そのうち、どうやら、
私と遊ぶのもちょっと飽きてるっぽいな、と。
それを見計らって「どうする?」って言ったら、
「前の学校に戻りたい」と。
それは、私の都合で、小学校の途中から
松本に引っ越しをしたからなんですけれど、
私が嬉しかったのは、
彼女は「行きたくない」じゃなくて、
「もう、あの学校には行かない」
って言ったことなんです。
内田
すごい。
伊藤
そのとき、周りの大人が、
うちの母も含めて「いいじゃないの」と。
「なんで?」とかじゃなくて、
「私もそうだった」みたいな人が多くて、
それにすごく助けられたと思います。
そういう大人に囲まれる環境を、
とてもありがたいことだなって、
そのとき思いました。
内田
安心ですね。そのあとは、もう、生き生きと?
伊藤
すくすく、生き生きとまでは言い切れない、
「静かに強い」ところがあって、
その強さが今後どんな風に、出るのか
今、また見守っているところです。
それでね、その最初の「見守り時期」に、
ふーんと思ったことがあって。
それは、「学校、楽しい?」って、
行っていること、楽しいこと前提で聞く
大人も多いということでした。
内田
悪気はないんでしょうけれどね。
伊藤
そうなんですよ。全然悪気はないんですよね。
娘はめんどくさいから「うん」って言って、
適当にやりすごしてたんですよね。
内田
そういうところも、静かに強いですね。
伊藤
あとで「あの人に説明する必要もないし」って。
それで、私は子どもに「楽しい?」って聞くのは、
それからやめたんです。
「学校、どう?」みたいなふうには聞くかもしれないけど。
内田
うちは「学校、どう?」って聞くと、
「べつに」とか、「good.」とか、
そういうふうに話が終わってしまうから、たとえば
「今日の体育の授業はなにしたの?」とか、
ピンポイントで具体的に答えられるように
聞いたほうがいいって、
先生に言われたことがあります。
伊藤
そうですよね。うん。
内田
私たちだってね、
「今日一日、どうだった?」って聞かれると、
「どっから話せばいいんだろう」って思うじゃないですか。
伊藤
そうですよね。
「なんかおいしいもの食べた?」とか、
具体的に聞かれたほうが答えやすいですよね。
内田
興味のひけそうなとこから‥‥。
(つづきます)
2019-12-30-MON