松嶋

江戸に狂歌ブームが起きたあと、
蔦重は狂歌を載せた
挿絵付きの豪華絵本をつくりはじめます。
その絵を描いたのが、
喜多川歌麿（以下、歌麿）です。

糸井

おっ、歌麿。

▲『百千鳥狂歌合』（千葉市美術館蔵）

松嶋

狂歌が大流行したあと、
狂歌がだんだんとお金持ちの道楽になり、
「俺も自分の狂歌を本に載せてほしい」
という話がふえてくるんです。
そこに蔦重は目をつけ、
お金持ちたちに出資をさせて、
彼らの狂歌を載せた豪華本をつくります。
「あなたの狂歌が載ってますぜ」
ということで本を売り出す作戦をとります。

糸井

その挿絵を歌麿が描いていた。

松嶋

はい。

糸井

すでに歌麿は名を成しているんですか？

松嶋

まだぜんぜんです。
この時点ではまだ浮世絵を発行していません。
写実能力が異常に高いっていうのを、
おそらく蔦重が見出したんだと思います。

糸井

いまこれを見るだけでも、
すでにものすごい実力ですよね。

松嶋

相当なものですよね。
とにかく対象を徹底的に観察して、
それを表現するのが得意な絵師だったそうです。

糸井

とんでもない人だったんですね、もともとが。

▲『潮干のつと』〈部分〉（千葉市美術館・ラヴイッツコレクション）

▲『画本虫撰』下巻（千葉市美術館蔵）

▲『画本虫撰』上巻（千葉市美術館蔵）

松嶋

それまでの日本の絵は
ファンタジーやおとぎ話が中心で、
リアリズムは必要とされていませんでした。
狩野派と呼ばれる絵師たちも
基本的にリアリズムにはいかなかった。
ところが、江戸後期になると、
はじめて本物そっくりに見える
動物とか鳥の絵に需要がでてきます。
写実がようやく売り物になりはじめました。

糸井

カメラが登場したみたいなことですね。

松嶋

まさにそういう感じですね。
この前の時代にはそういうものがなかったので。

糸井

この絵を描いたのは、
ものすごい若い歌麿ってことですよね。

松嶋

はい、すごく若いときです。

糸井

どこかに住んでたやつを連れてきたんですか。

松嶋

もともと西村屋で挿絵を描いていたそうです。
だけど、あんまりパッとしなくて、
蔦重が不忍池の近くに住まわしたり、
吉原の近くに住まわしたりして囲い込んだみたいです。

糸井

本物はこんなに小さな絵なのに、
パネルに大きく拡大してもぜんぜん耐えますね。

松嶋

ぜんぜん大丈夫です。
写実の能力がとんでもないんだと思います。

糸井

こういうのは西洋の影響もあるんでしょうか。

松嶋

情報としてはありますけど、
歌麿の場合はそれよりも、
単に対象描写の能力がすさまじかったのだと思います。
目の前のものを観察して絵にする力がすごかった。

糸井

横尾忠則さんがよく言う
「ぼくは模写しかしてない」という話につながりますね。

松嶋

それでいいますと、
歌麿は他の絵の模写もすごかったはずです。
磯田湖龍斎（いそだこりゅうさい）や北尾重政、
鈴木春信のモノマネはかなり正確にできたはずです。
最初の売れないときは、
代筆もやっていたかもしれません。

糸井

「目の前のものを写す」という感覚なのかな。

松嶋

在るものを写しているだけという。

糸井

はぁぁ、人間カメラですね。

松嶋

横尾さんがおっしゃっていることも、
目に見えている、
あるいは頭の中で見えているものを、
そのままキャンバスの上で
再現しているということなんだと思います。

糸井

横尾さんはいつも
「ぼくはオリジナルは描いてない」と言い張るんです。
そのことがおもしろいなぁと思っていたけど、
歌麿もそういう感じだったのかな。

松嶋

そして、歌麿の写実能力の行き着くところが‥‥。

糸井

あぁ、こうなるわけだ（笑）。

▲『歌まくら』（浦上蒼穹堂蔵）

松嶋

東博150数年の歴史で
はじめて「春画」を展示しています（笑）。

糸井

へえーっ（笑）。

松嶋

歌麿の『歌まくら』は12図あるのですが、
この絵だったら小学生にも見せられるかなと。

糸井

この見開きだけはね。
めくらないようにしないと（笑）。

松嶋

この絵がダメなら
黒田清輝だって展示できませんから。
まあ、これは大丈夫だろうと。

糸井

顔が重なるあたりは
光で色が飛んでるみたいに‥‥
あっ、細い線なんだ。
うわーっ、すごいですね。

松嶋

女性の髷のところ、
男の目が並行して見えますよね。

糸井

男の目だけが見えますね。

松嶋

いろいろ想像しちゃう絵ですけど、
不義密通の場面なのだろうと思います。
これのおもしろいところが、
歌麿は自分の作品によく自分自身を登場させるのですが、
この女性の上着を着て登場することが多いんです。

糸井

えぇっ？

松嶋

なので、それを知っている人は
「えっ、こっちが歌麿？」とか（笑）。
まあ、いろいろ想像できる絵ですね。

糸井

おもしろいなぁー。

松嶋

男女の肌の柔らかさ、布や絹の質感、
そういうものを線だけで
ここまで表現できるのはすごいと思います。
そもそも陰影がない絵ですから。

糸井

耳の質感と他の肌の質感のちがいとかね。

松嶋

ちがって見えますよね。

糸井

見事です。

松嶋

歌麿の描写力は、
それこそピカソとかダ・ヴィンチに
引けを取らないくらいだと私は思っています。
もちろんこれが完成するには、
彫師や摺師がいるわけですけど。

糸井

肉筆だけよりおもしろくなるときもありますよね。

松嶋

あります、あります。

糸井

きっと大いにありますよね。
歌麿はそれも想像して描いているんでしょうね。