「本当はちょっと、大学に行ってみたい」。
昨年2月、夜の図書室でぼくにそう
進学への思いを打ち明けた定時制高校の男の子は、
たくさんの大人たちに背中を押されながら、
その年の暮れ、「東京理科大学 理学部第二部」に合格します。
合格の報せをもらって、
ぼくはもう一度田北くんに会いにいきました。
これまでいくつかのことを諦めてきたじぶんには、
この18歳の男の子が描いてみせた小さな大事件が、
たしかにひとつの、「希望の物語」に思えたのです。
ほぼ日のサノが担当します。

前へ目次ページへ次へ

第2回「泣き虫の暇つぶし」

 
高架下から学校までの20分間は、
ずいぶんあっという間に感じた。
「1年前のあの感じ」に戻れつつあることを
おそらく互いにうれしく感じながら、
ぼくたちは1年ぶりに、あの図書室に帰ってきた。
並べられた椅子、机に教壇、本、本、本。
あの日ふたりで話した景色がいざ目の前に広がると、
「ああ、はじまるぞ」と、
なんとなくまた少し、緊張感が戻ってくる。

サノ
わあ、ここで、講演やったよね。えらそうにね。
講演、できてた? ちゃんと講演になってた?
田北
なってましたよ。
サノさんが伝えたいことをちゃんと伝えてたので、
いい講演だったと思います。
サノ
ならよかった。
よし‥‥‥‥じゃあ、やろうか。
レコーダーで録音するけど、全然気にせず、もう普通に。
って言われても、気にするか。
田北
大丈夫です。安心してください。
今、「自信があるモード」なんで。
サノ
えっ!?
あはははは、なにそれ、いいね。
なんだろう、やっぱり受験が関係あるのかな。
田北
受験が関係あったり、
まあ、サノさんとは一度お話ししたことがあるし、
なんか、普通に話せそうだなって。
サノ
たしかに、けっこう話したもんね、あの日。
ああ、そうだ、これ、ずっと聞きたかったんだけど‥‥
あの日、田北くん、
一度はみんなと一緒に図書室から出ていったじゃない。
田北
はい、出ました。
サノ
で、戻ってきてくれたじゃないですか。
田北
はい。戻りました。
サノ
あのときどうして、「戻ろう」と思ったんだろう?
田北
なんか‥‥話し足りないなって思って。
あの日の講演テーマが、なんか、
「人生こんなはずじゃなかった」
みたいな感じだったと思うんですけど、
なんというか、じぶんと似ている気がしまして。
この方に話しかけてみようかなって。
サノ
似てる?
田北
あのときはじぶんもちょうど
「大学に行くか、就職するか」ですごく迷ってたんですけど、
サノさんもたしか大学生のときに
「音楽を続けるか、就職するか」で迷ったって話してて。
で、まわりに流されて就職したら毎日がすごくつまらなくて、
しかも、左遷? みたいな感じで、ド田舎に飛ばされたりして。
サノ
「左遷」とは言ってません、「異動」です!(笑)
田北
で、どんどんつらくなって、
最後は「会社に行けなくなっちゃった」っていうのが、
なんか、じぶんと似てる気がしたんですよね。
じぶんも中学生のとき、学校に行けなくなったんで。
だからなんか、
「この人ならわかってくれるかもしれない」って思って、
「この人にちょっとだけ、受験のこと話しに行ってみよう」
と思って、思いきって行動しました。
サノ
それで言うと、今日のぼくもけっこう
「思いきって」、ここに戻ってきた気がする。
なんか不思議だね、あのときは、立場逆転だ。
ということで改めて、今日はよろしくお願いします。
田北
なにを話せるか、わからないですけど。
よろしくお願いします。

サノ
ええっと、じゃあ、どこから聞いていこうかな。
田北
生い立ちからでもいいですよ。
俺がどこの病院で生まれたか、くらいから。
サノ
そこから!?
田北
夜の10時、2月28日、2006年。
新座病院か、堀ノ内病院。
サノ
曖昧なんかい。
田北
夜に生まれたんです、じつは。
サノ
でもたしかに、もう、生い立ちから知りたいかも。
小さいとき、田北くんってどんな子だったの?
「小学生」くらいのときとか。
田北
めちゃくちゃワンパクでした。
で、すごく泣き虫。
サノ
ワンパクで、泣き虫。
田北
感受性豊かというか、なんというか。
まわりからは、「変わった子だけどおもしろい」
みたいな印象だったと思います。
サノ
「感受性豊か」っていうのは、具体的に言うと?
田北
人に何かされたら、すぐ泣いたり。
あとはまあ逆に、誰かが泣いてたら、
気遣うみたいなこととか、ちょっとしてたかも。
「あんま悲しくなんないでほしい」とか、
「笑顔でいてほしい、楽しくやりたい」とか、
そういう気持ちがあって寄り添ったり。
友達、けっこう、大切にしてたかもしれないです。
あとはまあ、ちゃんと勉強する子でした。
なんならいまのほうが、サボり癖とかある感じで。
友達のお母さんとかも
「勉強できてうらやましい」みたいな、
そういう感じで俺のこと、知ってくれてたりして。
サノ
おおー、「東京理科大学」を感じる話だね、それは。
「ちゃんと勉強する子」だったのは、
親御さんに言われて? それとも、自分で?
田北
そのときは、「楽しいから」で全部やってて。
当時は算数じゃなくて、国語が楽しかったかも。
漢字書くのが大好きでした。
書くこと自体が楽しい、みたいな。
勉強って言っても宿題やるくらいですけど、
けっこう、いい暇つぶしになってました。
サノ
「漢字書くのが暇つぶし」の小学生って、すごいね。
運動して遊ぶとかより、勉強するほうが好きだったんだ?
田北
はい、勉強のほうが好きでした。
あ、でも、休み時間は絶対外出てましたよ、みんなと。
鬼ごっこしたり、ドッチボールもたまにやってましたし、
砂場で遊んだりもしてました。
ほかにも、増え鬼、壁鬼、氷鬼とか。
放課後、暇つぶしで、もうみんなでたのしく、何度も何度も。

サノ
田北くん、「暇つぶし」って言葉をけっこう使うね。
田北
あ、ほんとですか?
サノ
うん。
漢字を書くことも、友達と遊ぶことも、
「暇つぶし」って言ってて。
それってなんというか、当時、
「暇」、みたいな気持ちがあったのかな。
田北
んー、暇、暇‥‥‥‥。
暇というか、なんかもうちょっと、
「寂しい」とか、そういう感じかも。
サノ
寂しい。
田北
俺、あれなんですよ。
お母さんとちょっと、敬語っていうか。
「お母さんと呼びなさい」とか、
「敬語で話しなさい」とか、そういう家族生活してて。
それでちょっと、寂しかったっていうのがあって。
べつにそんな距離が空いてるとかじゃなくて、
ただ俺に社会的な常識を身に着けさせるための、
そういうものなんですけど。
今でも敬語寄りで、もう慣れはしたんですけど、
やっぱりちょっと、寂しい感じはあって。
あと、まあ、そもそもというか、 
ちょっと重くなっちゃうんですけど、
お父さんが、5歳くらいのころに離婚しちゃってまして。
サノ
うん。
田北
5歳くらいから6歳までの間は、
母親ひとりでぼくのこと育ててくれてて、
お母さん、けっこう忙しかった。
そのあと、事実婚ってかたちで、
お母さんと同じパートの方が、
6歳から今までの間、ずっと一緒に暮らして、
家計も支えてくれてて。
サノ
もし聞いてもよければだけど‥‥
その方のことは、なんと呼んでるの?
田北
「お父さん」かな。
「お父さん」か、名前で呼んでます。
血はつながってないけど、家族です。
まあ、昔のほうが、もっと家族っぽかったですけど。
なんかいろいろ一緒に遊んだりとか‥‥
まあ、甘えたりとか、できたので。
ゲームの話とか、ほんとにいろんな話をして、
なんか、楽しく過ごしてたなあとは思ってます。
今はもうお父さんとも、大人びた感じになりましてですね。
お父さんが37歳とかで、ぼくも18歳なんで、
もうちょっと、社会人寄りの関係になったような感覚です。
サノ
あの、じつはぼくも両親、離婚してまして。
田北
あら。
サノ
ぼくの場合は小5のときだったから、
もう少し大きくなってからなんだけど、
やっぱり寂しかったと思う。
だから、ちょっとだけわかる気もする。
田北
その「寂しい」はたぶん、俺のと同じですね。
俺も、お父さん失ったあととか、
ちょっと‥‥ちょっと、ぽっかり、穴空いちゃって。
で、まあ、さっき言った感じで、
お母さんとも敬語みたいな感じで。
まあ、なんで、寂しい。
「友達と遊ぶ」ことでしかその寂しさを解消できなくて、
ずーっと友達の家で遊んだりとか、泊まったりとか、
小学生のときはそういうことをしてました。
そのときは普通に、友達もいて。
 
 
「そのときは、普通に友達もいて」
田北くんはそう言った。
わざわざ言った、とぼくは思った。
これが田北くんの「定時制での高校生活」に
つながる分岐点の話なのだと、考えなくてもわかった。
田北くんは今日、
その話をするつもりでここに来てくれたのだと、
ぼくはそのとき気がついた。

(明日につづきます)

2025-12-28-SUN

前へ目次ページへ次へ