朝から晩まで食のことを考えているような
“食べること”に並々ならぬ情熱を
持っている人に魅力を感じます。
彼らが食への興味を持ったきっかけは?
日々どんなルールで生活しているのか。
食いしん坊の生き方を探究したい気持ちから
このインタビューが始まりました。

お話を聞きに行ったのは、
南インド料理ブームの火付け役であり、
食に関するエッセイをたくさん書いている
「エリックサウス」総料理長の稲田俊輔さん。
飲食チェーン店から人気のレストランまで
守備範囲が広い稲田さんが
食いしん坊になった理由を
じっくり聞きました。

見習い食いしん坊かごしまがお送りします。

>稲田俊輔さんプロフィール

稲田俊輔(いなだしゅんすけ)

料理人・飲食店プロデューサー。
南インド料理店「エリックサウス」総料理長。
鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、酒類メーカーを経て飲食業界へ。
南インド料理ブームの火付け役であり、
近年はレシピ本をはじめ、旺盛な執筆活動で知られている。
近著に『食いしん坊のお悩み相談』(リトルモア)
『ミニマル料理』『ミニマル料理「和」』(ともに柴田書店)などがある。

X (旧Twitter)

この対談の動画は「ほぼ日の學校」でご覧いただけます。

前へ目次ページへ次へ

第6回 われわれは意志で“食べ物を好き”になる

──
なにかの本で読んだ気がするのですが、
稲田さんはうどんが好きなんですか?
稲田
正確に言うとうどんではなくて、汁ですね。
死を迎える前に食べる最期の晩餐は汁と思っていますね。

──
汁ですか?
稲田
そもそも「何が一番好きですか」にしても
「最期の晩餐を何にしますか」にしても、
答えるのが難しすぎるのが大前提としてあるなかで、
あえて答えなければいけないとするならば、
自分はやっぱり汁だと。
──
さまざまな汁がありますが。
稲田
汁って答えたときに、
イメージの中心にあるものは
和食のだしなんですよ。
かつおだし。いわゆる一番だしや合わせだし。
だしって、
文明の退廃の極みだと思っています。
だしは、なんでおいしいかわかります?
──
えっと、アミノ酸が入っているからですか?
稲田
そう。
アミノ酸やイノシン酸ですね。
ではわれわれは
なぜそのアミノ酸などが溶け出した液体が
美味しいと思うかというと、
飲むことによって
舌がここにタンパク質があると錯覚するわけなんです。
人類はだしの旨味を味わったら
「これはタンパク質が豊富な栄養たっぷりの食べ物だ」
と思うから、
美味しいと思って一生懸命食べようとするんです。
けれど残念ながら、だしにはほぼタンパク質はないんです。
すごいことですよ。
だって生物として生まれ持った味覚というものを
料理という文化が騙して、
快楽だけを得ようとしている。
だしというものは、とんでもないものなんです。
僕は何が言いたいかというと、
だし=汁というのは、料理文化の極みなのであって、
何か一つを特別扱いするとするならば、
もう汁しかないだろうと思っているんですね。
──
われわれは汁に騙されていたんですね。
稲田
汁を選ぶ理由はもう一つあります。
人類は大昔だったら30歳ぐらいで死んでいたのが、
50年、60年、80年、100年と寿命を伸ばしてきました。
当然、老後というものがあるわけですよ。
「老後になったら、
いろいろな快楽を諦めなきゃいけない」
という前提で、老後を迎えるのは嫌じゃないですか。
老後というのは生きていれば誰にでも来るものですが、
僕はあきらめがよくないので、
老後になっても楽しむというスタンスを持ちたい。
それには老後になっても楽しめる食べ物を
好物にしておいたほうが無理がない。
──
汁だといつまでも楽しみやすいということですね。
稲田
肉が好きとした場合、
歯がなくなって「ああ、もう肉が食えなくなった」と
ショックを受けたり、
がっかりするかもしれないけど、
「わしは汁が好きじゃ」と言い張ってたら、
エンドレスで死ぬまで楽しめるんです。
最近知ったのは、
とろみつけないといけないらしいですね。
とろみがない汁は老体には飲み込みにくいらしいんですよ。
でも何の問題もない。
「あんかけのあんが好きだ」といえばいい。
これはあの死ぬまで快楽をあきらめないということのために
汁好きは貫きとおそうと決意しているんです。

──
稲田さんは“好き”を論理的に考えて
決意までしているんですね。
稲田
やはり人間は何かを自然に好きになるものではなく、
自分が好きになりたいと思ったものを好きになる。
なりたいと思った自分になっていくわけなんです。
とくに食べ物はこの要素が強いと思っています。
例えば好物。
みんなたまたま食べたものがおいしくて好物になった
と思っているかもしれないけど、
案外そんなことはないんです。
パクチーという食べ物があります。
パクチーをなんとなく食べたら美味しかった。
好きになり、ハマりました。
ではなくて、
きっと深層真理で
「パクチーが好きな私になりたい」という思いがないと
そうそう好きにならないと思うんですよ。
それを自然に好きになったかのように
思っている人もいるかもしれないけれど、
おそらく自分の意志で「パクチーが好きな私が好き」と
思っていたはずなんです。
「何々が好きな私が好きだから、私はこれが好き」とは
みんな恥ずかしがって言わないんだけど、
もっと堂々と言ったらいいと思います。
──
そう言われると、
パクチーを初めて食べたときちょっと違和感があったけど、
これがアジアの味なんだと、
魅力を理解したいという気持ちがあったからこそ
味に慣れたような気がしますね。
稲田
そうです。完全に僕もそう。
自分が好きになったものはだいたいそうです。
もちろん努力もせず自然と好きになってきたものは
あるけれども、
意識して「これを好きになろう」と思って、
好きになったもののほうが、
結果的にかけがえのないものになるんですよ。
──
そうですか?
稲田
例えばバナナ。
バナナは中には嫌いな人もいるかもしれませんが
多くの人が気がついたときから好きだと思うんです。
一方、ミョウガ。
ミョウガって人生の途中に好きになったでしょ。
子どもの頃から「バナナうまい、ミョウガうまい」
という人って多分ほとんどいない。
人生の途中からミョウガを好きになる。
お酒を飲み始めたら、好きになるとよく言われますね。
好きになるときは、
ちょっと頑張って食べてみようという
きっかけあったと思うんです。
どこかに無意識的にせよ、意識的にせよ、
ミョウガを好きになりたいと思った瞬間があったから
好きになったわけですよ。
──
なるほど。たしかにミョウガに出会ったとき
「これが大人の味ってものだな」って
自分に言い聞かせるようにして食べたかもしれません。
稲田
ではいまミョウガとバナナ、両方が好きだとして、
人生から消えていいのどっちだと考えると
おそらくミョウガを捨てられない大人が多いと思うんです。
だから人生の後から意識的に好きになったもののほうが
愛着が湧く、執着が強くなる
という傾向はあるのかなと。
なんなら僕は南インド料理だって
無理やり好きになったみたいなところはありますからね。
──
え、そうなんですか。

(つづきます)

2025-02-15-SAT

前へ目次ページへ次へ
  • 稲田俊輔さんの最新刊
    『ミニマル料理「和」』
    (柴田書店、2024)

    「必要最小限の材料と手順を追求しつつ、
    美味しさを実現するための必要な手間と時間は惜しまない」
    という「ミニマル料理」シリーズの第2弾。
    親子丼や牛丼、生姜焼きといった
    身近な和食をテーマにしたレシピ本。
    牛肉と大葉でつくる「しそバター牛肉」
    豚しゃぶの茹で汁でつくる「概念豚汁」など、
    手軽につくれる日常料理が
    たっぷり載っています。

    Amazon.co.jpのページへ)