朝から晩まで食のことを考えているような
“食べること”に並々ならぬ情熱を
持っている人に魅力を感じます。
彼らが食への興味を持ったきっかけは?
日々どんなルールで生活しているのか。
食いしん坊の生き方を探究したい気持ちから
このインタビューが始まりました。

お話を聞きに行ったのは、
南インド料理ブームの火付け役であり、
食に関するエッセイをたくさん書いている
「エリックサウス」総料理長の稲田俊輔さん。
飲食チェーン店から人気のレストランまで
守備範囲が広い稲田さんが
食いしん坊になった理由を
じっくり聞きました。

見習い食いしん坊かごしまがお送りします。

>稲田俊輔さんプロフィール

稲田俊輔(いなだしゅんすけ)

料理人・飲食店プロデューサー。
南インド料理店「エリックサウス」総料理長。
鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、酒類メーカーを経て飲食業界へ。
南インド料理ブームの火付け役であり、
近年はレシピ本をはじめ、旺盛な執筆活動で知られている。
近著に『食いしん坊のお悩み相談』(リトルモア)
『ミニマル料理』『ミニマル料理「和」』(ともに柴田書店)などがある。

X (旧Twitter)

この対談の動画は「ほぼ日の學校」でご覧いただけます。

前へ目次ページへ次へ

第2回 食いしん坊は「周縁の民」である

──
稲田さんは、エッセイなどで、
自らを「フードサイコパス」と
名乗っていますよね?
これはいつから、
どんなきっかけで名乗るようになったのでしょうか?
ちなみに、
稲田さんがXで書いていたフードサイコパスの定義は
「癖のある食材と言われてもためらわず、
現地そのままの味と 言われたら
むしろ手放しで歓迎する。
そんな私たちは
そういったものを警戒したり避けたりする
多くの人たちの気持ちに対して
無神経というか、そもそも気持ちがわからない。
それはフードサイコパスというべきものでは?」
ということですが。
稲田さん
僕はつねづね、
世の中の人をざっくり2種類に分けるなら、
「食べることが好きな人と
食べることが異常に好きな人の2種類に分かれる」
と思っているんですね。

──
2つに分けるなら‥‥
そうかもしれませんね。
稲田さん
食べることが異常に好きな人は
往々にして一種のマニアと言えます。
世の中のすべてのマニアがそうであるように
経験を積んでマニア性を高めていくわけですね。
そうなると、ある段階から
普通の人々の感覚とズレてきて、
普通の感覚がわからなくなる。
その普通の人への共感が不可能となり、
一線を越えてしまった人たちを
僕はフードサイコパスと呼んだんです。
──
つまり食べることを異常に好きで
マニアックになってしまった人たち‥‥。
稲田
この言葉を生み出したきっかけは、金沢での出来事です。
10年ぐらい前に金沢でイベントがあって
現地の食べるのが好きな友人たちと
その食べ物に関するよもやま話をしていたんですね。
「インド料理だったらあの店いいよね」とか
「中国料理だったらこういう店に行きたいよね」とか、
行きたい店談義のような話をしていたとき
その中のメンバーのひとりがあることを指摘したわけです。
「今、われわれはインド料理だったら、
日本人好みにアレンジしたりせず
“現地そのままの味を出してくれる店がいい店”という
前提で話しているよね?」と。
──
ほう。
稲田
中国料理に関しても、
当時はまだガチ中華のお店はそんなになかったんですね。
「中国料理のお店はいっぱいあるけど、
本場っぽいやつ出してくれるお店がいい店だと
当たり前のこととしているけど、
これって実は当たり前なことではないんじゃないか?」って
その中のひとりが言い出したんですよ。
──
そのときに気がついたんですね。
稲田
だって、世の中のほとんどの人は
外国料理に興味はあるんだけど
食べるときは日本人好みにちょっとアレンジしてほしいと
願うわけですよ。
「食べづらくてもいい」
「マズくてもいいから本場のままで出してくれ」
という人はあまりいない。
その少数派が集まって話をすると
完全に多数派との間に溝があるよねと。
多数派の感覚がわからないみたいな話になったんです。
──
たしかにそうですね。
稲田
インド料理店があって、
「日本人に合わせて食べやすくアレンジしています」
という店があったら、われわれは行かない。
けれど「こんなわれわれは少数派で、
多くの人々の気持ちを分かってない。
ということは自覚しなきゃいけないよね」と。
──
なるほど。
稲田
この話がなぜ出たかというと、
多分いわゆる“グルメ”と言われるものに対する
アンチテーゼもあったと思います。

──
グルメへのアンチテーゼ?
稲田
グルメという言葉には、
ピラミッド型のヒエラルキーのイメージがある
と思うんです。
上に行くほどおいしいもの、正しいもの、本物であり、
下に行くほどマズいもの、まがい物、偽物であるという
構造がある。
いわゆるグルメと言われる人たちは
頂点の良さを理解する人たちである。
それに対して大衆と言われる人たちは
チェーン店とかメーカーがつくったものを食べ
本物とか本当に良いものの良さを理解してない人々だから、
われわれが教え導かなければならない。
というようなことが
グルメの基本的な構図だと思うんです。
──
ピラミッドの頂点にいるのが
グルメな人のイメージだと。
稲田
だけど、こんな思い上がった話はないですよね。
食べ物を楽しむっていう概念自体が少なかった時代は
それでよかったかもしれないけれど、
そもそも大衆をバカにしている感じがするよねと。
多分そのときのわれわれは
グルメの構造に反感があった。
食に対する興味の強さはあるけれど、
少なくとも上に立って
大衆を啓蒙するなんて思うのは大きな間違いだと。
つまり教え導く人たちじゃなくて、
「フードサイコパス」という
ある意味グルメと似ているけれど、
違うポジションで考えようというので落ち着いたんです。
──
ヒエラルキーや
上下関係ではないということになったんですね。
稲田
そうです。
そして、ある理論にたどり着いたんです。
多くの人たちが集っている対象を
「最適解」と呼ぼうと。
そして最適解に対して、
本場の料理を探したりしながら、
細々と生きているのはわれわれのほうだと。
そんなわれらを「周縁の民」と呼ぼうと。
──
周縁の民ですか?
稲田
そうです。
世界のわきのほうにいる周縁の民のイメージです。
一方で、世界の中心にいる人たちは「最適解の民」です。
周縁の民は少数派だから
ひっそりと迷惑をかけないように生きていかねばならない。
同時にわれわれ周縁の民は仲間を増やさないと
世の中が生きづらいまま。
本場そのままの料理を求めている人の数が少なければ
本場の店は増えていかないけれど、
求める人が増えれば、
お店も増えて、
われわれ周縁の民にも生きやすい世の中になる。
そして周縁の民がワイワイ楽しんでいたら
それをいいなと思った
「最適解の民」の一部が
周縁の民のほうに寄ってきてくれる人もいるに違いない。
そう信じて楽しくやっていこうと。
これを「周縁の民理論」と名付けました。
──
「周縁の民理論」ですか。
周縁の民として生きていこうという
決意表明でもあるんですね。
稲田
はい。いまお話しした周縁の民理論は
金沢の夜から割と長い年月をかけて
たどり着いた結論です。
金沢の夜は、
「彼らはわれわれの気持ちがわからないし、
われわれは彼らの気持ちがわからない。
それが良い悪いじゃないけど、
そういった事実はあるということは認識しなきゃいけない」
というところまでです。
──
そのあとに話を進化させていった結論が
周縁の民理論なんですね。

(つづきます)

2025-02-11-TUE

前へ目次ページへ次へ
  • 稲田俊輔さんの最新刊
    『ミニマル料理「和」』
    (柴田書店、2024)

    「必要最小限の材料と手順を追求しつつ、
    美味しさを実現するための必要な手間と時間は惜しまない」
    という「ミニマル料理」シリーズの第2弾。
    親子丼や牛丼、生姜焼きといった
    身近な和食をテーマにしたレシピ本。
    牛肉と大葉でつくる「しそバター牛肉」
    豚しゃぶの茹で汁でつくる「概念豚汁」など、
    手軽につくれる日常料理が
    たっぷり載っています。

    Amazon.co.jpのページへ)