
群馬県、赤城山のふもとに、
白川小学校という学校があります。
卒業を控えた6年生のみなさんはいま、
「楽しく働くには」をテーマに、
生き方を考えるスタートラインに立っています。
そんな6年生を受け持つ先生が、糸井を
「楽しく働いている大人のモデル」として、
授業に招いてくださりました。
そこで、赤城山の頂上にある「ほぼの駅 AKAGI」で
ストーブを囲み、12名の6年生と糸井が話すことに。
たくさんの未来のいつかに思い出してほしい、
一歩目を一緒に踏み出しました。
- 先生
- 次は、じゃあ、Hさん、聞いてみましょう。
- Hさん
- 働くときに、計画とか立てるんですか。
- 糸井
- いつも働くときに計画を立てているか‥‥
うーん、立ててますね。
立ててますけど、仕事のときは、
計画を立てる「理由」が必要です。 - 学校にいるときは、
やらなきゃいけないことがもう決まっていますよね。
国語、次は算数、次は体育って。
時間割という枠組みが最初から決まっているから、
計画は、とても立てやすいんです。 - でも、大人になってからの仕事って、
やれることとやることが
枠組みのなかにないんですよ。
だから、たとえばここ「ほぼの駅 AKAGI」で
なにかしようと思ったときに、
「なんかしよう」って思った段階ではなにも
計画は立ってないです。
でも、「広い場所を持ちたいよね」っていう
気持ちだけはあった。
東京にいると、もう狭くてしょうがないんだ。
だって、東京で駐車場1台分借りるのに、
1か月いくらかかると思う?
- 生徒さん
- 10万くらい。
- 糸井
- おおーっ、いいとこ言うね。
- 先生
- 最初は、
低めに言ったほうがいいんじゃないかな(笑)。
- 生徒さん
- 1,000円。
- 糸井
- 1,000円はないね(笑)。
10万円と1,000円の間かな。
5、6万するんですよ。
1ヶ月、車を1台置くだけで、だよ。
そんなに土地の値段が高いところにいると、
なにをやるにも場所がなくてしょうがない。
- 糸井
- 一方で、小学校の校庭とか、誰もいないと、
さびしいくらい広いじゃないですか。
山に来れば、こんなに広いじゃないですか。
人間はもともと、山や海みたいに、
広い光景をずっと見てきたはずなんです。
高いビルと狭い場所ばっかり見てたら
おかしくなっちゃうから、
もっと広いところでなにができるかを考えるために、
場所を探そうとしたんです。
そうしたら、赤城山の頂上のこの場所が見つかった。
その時点では、計画もなにもなかったわけです。
だけど、「なにかできそうだな」と思ったら、
計画のはしっこが始まる。
で、「どうしようか」と話し始めるんです。
「あれもあるよ」「これもあるよ」
「あれもないよ」「これもないよ」
っていうことも見えてくるし、
やるとしたらどれくらい期間やお金がかかるのかも、
考えざるを得なくなってきて。 - そこで初めて、「きょうは国語の勉強をしよう」
というのと同じように、
「ほぼの駅になにをつくったらいいだろう」
「誰が設計したらいいだろう」
「どういう役割の場所にしようか」といった計画を
立て始めることができます。
じつは、いま、まだ「ほぼの駅」は
計画が始まったばっかりで、
どうなるかわからないんです。
やり始めたら見えてくるものがあるから、
そこから立てる計画もある。
ねんどでなにかつくるとき、そんなに細かく
設計図を描かないでしょう?
こねてるうちに、「猫になりそうだな」とか、
わかってくる。
計画通りに動く部分と、
決まっていないままにしておく部分が
混じり合ってるのが、ぼくらのやり方なんです。
「計画は立ててますか」という質問に戻ったら、
答えは「両方あります」、っていうことで
どうでしょう。
- 糸井
- だから、「ここをやりましょう」ということが
決まっている義務教育のあいだに、
「計画できないこと」を、
自分だけの頭で考える練習をしたらいいと思う。
学校でやると決まったことだけやっていると、
わかりきったゴールにばかりたどり着いてしまう。
それだけじゃなくて、たとえば、
好きで水泳をやってる人が
「もっと水泳、上手になりたい」と思って、
自分でなんとか工夫して、
計画が立たないところから計画をつくっていくと、
自分の心を使う時間ができます。 - それって、一般的には「しゅみ」って言うんだけどね。
ルールのないことを自分の頭で
考える機会があったら、すごくいいと思う。
- 先生
- では、Iさん、どうぞ。
- Iさん
- 糸井さんは失敗をどう乗り越えているんですか。
- 糸井
- おおーっ。あなたは、失敗したことありますか。
- Iさん
- このあいだ、サッカーの大会に出たとき、
思いきり空振りしました。
- 一同
- あははは。
- 糸井
- おおっ。いま、ウケたじゃないですか。
ウケたんだから、全然失敗じゃないですよ。 - なにが失敗かって、ぼくもわかんないんです。
あとから考えたら
「あの失敗のおかげで、これができた」
ということはけっこうあるので。
「失敗したな」と思った次の瞬間には、
もう始まってるわけです。
「失敗した経験のある自分」としての、
次の時間がね。
誰かに迷惑をかけたら、
「ごめんなさい」をする必要があるし、
「どうしたら許してもらえるか」と
考えないといけない。
でも、そんなに迷惑をかけないんだとしたら、
たいていの失敗はしたほうがいいよ。
しないと、別の失敗をしたときに
「どうしよう」ってなるから、
早めに失敗しとくのはすごくいいこと。 - いまの時代は、わりと「失敗が許されない」って
空気があるから、
「失敗しないように、失敗しないように」と
思いながら生きてる人が多くなった。
だけど、一所懸命やっていたら、
なにかは失敗するものなんだよ。
そこで、失敗をする心構えができてた人は、
すぐ次の行動に移せる。
だから、「失敗はするものだ」という気持ちで
いたほうがいいと思う。 - ぼく自身はどうかというと、失敗はしてます。
でも、人に言えるような失敗は
失敗だと思ってないです。ウケるかもしれないし。
だけど、自分の心だけにある、
本当の失敗があるんです。
たとえば「あのとき、あの人に
悪いことしちゃったな」とか。
相手は、怒りもしないで傷ついてるかもしれない。
ぼくが「悪かったと思ってるんだ」と言ったら、
よけいに相手や自分の傷を
深くしてしまうかもしれない。
どうやってつぐなうか、ということは難しい。
だから、人に言えない失敗のことは
言わずに自分の心にしまっておいたまま、
「もうあんなふうに人を傷つけない生き方をしよう」
と、傷のある人として生きるしかないと思いますね。 - でも、小学生だったら、
人を傷つけてしまったことがあったとしても、
すごく深い傷はつくっていないだろうから、
やっぱり失敗は怖がらずにどんどんしたほうがいいと
思いますよ。
サッカーの空振りなんか、大歓迎ですね。
みんなの思い出に残るもん。
「あれ、カッコわるかったなあ!」って。
(明日に続きます)
2026-01-22-THU