
みんなの記憶に残る夏でした。
2006年、夏の甲子園決勝。
引き分け再試合を制した早稲田実業で、
マウンドに立ち続けた斎藤佑樹さん。
その夏から「ハンカチ王子」と呼ばれ、
つねに注目を浴び続ける人生を歩みました。
思い描いていた成績は残せなかったものの
「今度こそは!」と期待させる魅力があって、
糸井重里も、関心を寄せていたひとり。
「株式会社 斎藤佑樹」を立ち上げ、
自身の可能性を模索中の斎藤さんのもとを
糸井が訪ねて対談をしました。
斎藤さんの人生にはいつも、
野球とハンカチが交わっているんです。
斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)
- 斎藤
- 糸井さんのお話で思い出したことがあって、
高校3年生のときに野球の日本代表として、
アメリカに行かせてもらったんですよ。
- 糸井
- はいはい。
- 斎藤
- アメリカの方々って「すごくいいね!」って
褒めてくれることが多いんですよね。
でも、日本人のマインドとしては、
「いやいや、そんなことないですよ」って
謙遜したくなるじゃないですか。
すると、通訳の方から注意されまして、
「そんなこと言うと怒られるぞ」と。
- 糸井
- 謙虚でいるとダメなんだよね。
- 斎藤
- 相手はぼくのことを褒めているんだから、
ちゃんと乗っかるように言われたんです。
「ありがとう。俺はこういうことが上手だから
上手に見えるんだよね、きっと」
みたいな返しをしないと話が進みません。
日本人は褒められても「そんなことないよ」って
謙遜しますけど、絶対にやめたほうがいいんです。
そこから考え方は変わりましたね。
- 糸井
- そんなとき、素直に出ますか?
「ありがとう!」って。
- 斎藤
- はい、いまなら出ます。
でも、高校生の当時のぼくは
「そんなことないです。もっと頑張ります」
という感じの返し方でしたね。
素直にありがとうって言えるマインドは、
海外ではそれがスタンダードでした。
- 糸井
- 野球がうまいから
日本代表になれたんですもんね。
- 斎藤
- そうですね、そうなんですけど。
その経験はすごく勉強になりました。
- 糸井
- 小学校や中学校でも、いっぱい野球をしていないと
野球は上手になれませんよね。
他の子たちがのんびりテレビを見ている時も、
野球が上手になるような子は
その時間を野球にかけているわけです。
そんなことができる選手って、
親の協力も必要なんだろうなと思うんだけど、
ぼくが見てきた斎藤さんって、
最初からスッとうまくなったように見えて、
こどもの頃があんまり見えてこないんですよ。
- 斎藤
- そんなふうに見ていただいていたんですね。
- 糸井
- 野球がヘタだったわけではない?
- 斎藤
- ヘタ‥‥、ではなかったかな。
- 糸井
- ヘタではなかった。
ということは、4番でピッチャー?
- 斎藤
- 3番、ピッチャーでしたね。
ぼくの家では親が照明器具を買ってきて、
夜には車庫の車を一回外に出して、
ティーバッティングの練習をしていました。
- 糸井
- それが小学生?
- 斎藤
- 小学生ですね。
あとは投げる方の練習も
暗くなってくると見えないので、
その照明のおかげで、
夜でも投げる練習ができました。
- 糸井
- やっぱり、お父さんが野球好きだったんだ。
- 斎藤
- そうだと思います。
子どもひとりじゃできないことなので。
- 糸井
- うん、それはできないですね。
- 斎藤
- ぼくの3つ上に兄がいるんですけど、
兄も学校から帰ってきたら自主トレをして、
夜に親が帰ってきたら家でも練習をして。
そんなことで練習時間は長かったですね。
- 糸井
- まわりにいる他の友達と
なんでもない遊びをするような時間も、
野球に取られちゃってますよね。
クラスで浮きませんでしたか。
- 斎藤
- 友達と放課後に遊ぶっていう時間は
あまりなかったですね。
- 糸井
- やっぱり、そうですよね。
- 斎藤
- ぼくはたくさん練習をしてきましたけど、
プロに入ってから他の選手と話していると、
「そんなに練習してないよ」っていう人も
けっこう多いんですよ。
- 糸井
- へえーっ!
- 斎藤
- たとえば、ファイターズでいっしょだった
ピッチャーの上沢直之選手は、
小学校で野球をやっていなくて、
中学校からはじめてプロ野球選手になってます。
練習量って大事な要素ではありますが、
少ない練習量であっても、
うまくなるきっかけをつかめる選手はいますね。
- 糸井
- もしかしたら斎藤さんだって、
余計に努力したかもしれないのかな。
- 斎藤
- 練習量についてはちょっと思うことがあって、
父親が179cmで、兄が183cm、
母親が168cmあるんですよ。
- 糸井
- ああ、みんなでかいんだ。
- 斎藤
- 大きい家系なんです。
でも、ぼくは175cmなんですよ。
家族のレベルからするとちょっと低くて、
その原因が何かはわからないんですけど。
- 糸井
- それはわからないんじゃない?
- 斎藤
- そう思っていたんですけど、
ファイターズ時代に
肘の治療をしてくださった先生から聞いた話で、
子どもの頃から練習をいっぱいしてきた人って、
背が伸びにくくなるらしいんですよ。
筋肉に栄養が取られちゃって、
背が伸びるための栄養がなくなってしまうとか。
- 糸井
- 理由はあったかもしれないんだ。
- 斎藤
- もしかしたら、そうだったのかなって。
あのとき、栄養をちゃんと摂っていれば、
ぼくも背が伸びたかもしれませんね。
- 糸井
- 昼寝していれば、骨が伸びたかもしれませんね。
- 斎藤
- それは本当に、おっしゃる通りです。
昼寝をするとテストステロンが
体で生成されるんですよね。
それも背が伸びる要因のひとつなので。
- 糸井
- その間に、バットを振ってたからねー。
斎藤さんの家は、ご両親もお兄さんも大きくて、
すっかり野球一家が
出来上がっちゃっていたんですね。
『巨人の星』みたいな親との葛藤もなく、
たのしく野球ができる舞台があったのかな。
- 斎藤
- いやぁ、家での練習は
そんなにたのしくはなかったですけど。
親に叱られながらやっていたので。
- 糸井
- へえ、叱られるんだ。
- 斎藤
- たくさん叱られはするんですけど、
父親は、褒めることも上手な人でした。
小学校1年生のときにマラソン大会があって、
ぼくは練習でずっと1番を取っていたんです。
でも、大会の日になって風邪をひいてしまい、
結果は6番だったんですよ。
怒られちゃいそうだなと思って家に帰ったら、
なぜか、すごく褒められまして。
- 糸井
- ほお。
- 斎藤
- 「佑樹、よく頑張った!」って。
なんでだろうって思ったんですが、
ちゃんと練習していたのを知ってくれていて、
過程を評価してくれていたんです。
当日は6番になったかもしれないけれど、
次は1番を取れる可能性があると。
それがうれしくて、もっと頑張ろうと思えました。
そこから先、マラソンだけはずっと1番でしたね。
その一方で、兄は当時4年生で
1番を取ったのに、怒られていたんです。
- 糸井
- へえ、なんでですか。
- 斎藤
- 練習していないのに1番を取っていたので、
「そんなんじゃ、次からは1番取れないぞ」と。
その差がすごく明確に伝わってきましたね。
- 糸井
- お父さんは教育者だったんですか。
- 斎藤
- どうなんでしょうね。
普通のサラリーマンなんですけど。
- 糸井
- 普通の会社員なんだ。
それでもお父さんも背丈は大きいし、
スポーツをやりたかったのかな。
- 斎藤
- それはあったかもしれませんね。
(つづきます)
2024-01-27-SAT
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2006年の夏に「ハンカチ王子」と呼ばれ、
ハンカチフィーバー、ハンカチ世代と、
大きな注目を集めた、斎藤佑樹さん。
甲子園の優勝投手であることよりも、
ひとり歩きしていったハンカチと、
いま、改めて向き合ったのだそうです。
斎藤ハンカチ店の店主、
斎藤佑樹さんプロデュースのハンカチ。
うっすらと文字が見えてくるハンカチは
贈りものとしてはもちろん、
じぶんに向けたメッセージとしてもどうぞ。