みんなの記憶に残る夏でした。
2006年、夏の甲子園決勝。
引き分け再試合を制した早稲田実業で、
マウンドに立ち続けた斎藤佑樹さん。
その夏から「ハンカチ王子」と呼ばれ、
つねに注目を浴び続ける人生を歩みました。
思い描いていた成績は残せなかったものの
「今度こそは!」と期待させる魅力があって、
糸井重里も、関心を寄せていたひとり。
「株式会社 斎藤佑樹」を立ち上げ、
自身の可能性を模索中の斎藤さんのもとを
糸井が訪ねて対談をしました。
斎藤さんの人生にはいつも、
野球とハンカチが交わっているんです。
斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)
- 斎藤
- 糸井さん、こちらよろしければ。
いまぼくが作っているハンカチです。
- 糸井
- へえーっ、ハンカチ!!
- 斎藤
- じつはいま、ぼくの会社で
ハンカチを作ることもしていて、
広げると9種類の文字が書いてあるんです。
こちらは「健康」の「健」っていう
文字が入っていまして、
これからも健康維持をしてください、ということで。
- 糸井
- ああ、ハンカチ王子のハンカチだ。
なんか飛び込み方がいいですね(笑)。
- 斎藤
- いえいえ、ありがとうございます。
- 糸井
- 斎藤佑樹さんがお相手だから、
ハンカチの話はやっぱりした方がいいですよね。
- 斎藤
- それはもう、ぜひお願いします。
- 糸井
- どのくらいハンカチの話をしてもいいのか、
じつはむずかしいんです。
ぼくは斎藤さんの人生を
ずーっと見てきたわけじゃないのに、
いろんな点がすべてハンカチにつながるから
おもしろいなあと思って。
- 斎藤
- 本当ですよね。
- 糸井
- そうしたら、斎藤さんの側から
ハンカチの話を振ってくれたんで安心しました。
- 斎藤
- ハンカチについての気持ちは、
今年でようやく吹っ切れた感じです。
このハンカチを作ったことがきっかけで。
- 糸井
- へえ、最近なんだ。
- 斎藤
- それまではちょっと、
ハンカチのことはあんまり‥‥っていう感じで。
すごくイヤってほどじゃなかったんですけど、
18歳の当時はちょっとイヤでしたね。
- 糸井
- うん、わかります。
18歳ならイヤですよね。
- 斎藤
- ぼくは甲子園で優勝したのに、
野球選手として見られることよりも、
「ハンカチを使った人」として
見られていた感じだったので。
- 糸井
- 本人はそう思っていたんだ。
- 斎藤
- 「いやいや、そっちじゃない!」という感じで。
ただ、いまとなって思うのは、
「ハンカチ王子」という名前があったからこそ、
いろんな方とお会いできました。
今日、こうやって糸井さんにお会いできたのも
ハンカチ王子のおかげだと思っているので。
- 糸井
- いやいや、野球のお話だけでも
ぼくは十分にお会いしたいですよ。
- 斎藤
- ははは、ありがとうございます。
- 糸井
- 端的に「ハンカチ」っていうのは、
斎藤佑樹さんにとっての
キーワードになっていると思うんですよ。
- 斎藤
- ハンカチが。
- 糸井
- みんながワーワーと騒ぎ立てる前から、
ユニフォームのポケットに
ハンカチを入れている甲子園球児って
斎藤さんの他にはいないんじゃない?
- 斎藤
- いや、それが、元高校球児のいろんな先輩方から、
「いや、俺もハンカチを入れていたんだぞ」と
何度も言われたことがありまして。
- 糸井
- なるほど、先輩がいたんだ。
- 斎藤
- 「俺の方が先にハンカチ王子だぞ!」と。
- 糸井
- いいねえ。
- 斎藤
- ぼくも当時は「ハンカチ王子」って呼ばれて
喜んでいたわけじゃないんで、
「全然! プレゼントします」という気持ちでした。
それなのに、なぜかぼくが
ハンカチ王子になってしまったんですよね。
おそらく、王貞治先輩や荒木大輔先輩といった
早稲田実業のあのユニフォームがあってこその、
ハンカチとの相性の良さだったのかなぁと。
- 糸井
- ああ、すごく冷静に考えてるんですね。
- 斎藤
- ハンカチについては、そう思っていました。
- 糸井
- 斎藤さんはぼくと同じ群馬のご出身ですよね。
地方の町で野球をしようって子は
いっぱいいると思うんですけど、
その中でもやり切った子でないと、
高校の野球部なんてやってらんないですよね。
- 斎藤
- おっしゃる通りです。
野球だけでなく、いろんなスポーツ、
まあ勉強もそうですけど、
どこで伸びるかわかりません。
小学生であまり上手じゃなかった子が、
中学生や高校生で逆転することも、
大いにあり得ますよね。
高卒でプロにならずに大学に行ったことで
もっとすごくなる、
上原浩治さんみたいな選手もいますし。
- 糸井
- ねえ、そうですね。
- 斎藤
- 諦めないでやり続けるのってすごく大事だし、
能力がある人ほど、
どこかで逆転できるんじゃないかなと思います。
これは、ぼく自身にも
言い聞かせていたことでもありまして。
- 糸井
- その斎藤さん自身は、
小学生のときから上手だったわけですか。
- 斎藤
- そうですねえ、みんなよりは足が速かったり、
ボールを遠くに投げる能力はありましたかね。
ただ、群馬県の中で
ダントツで1番だったかといわれると
そうでもなかったと思うんですよ。
- 糸井
- 県で1番といっても、
全国には47都道府県もありますもんね。
うん、それはぼくも
子どものときに思ったことがあるんです。
「群馬県で1番になったからなんだよ!」って。
- 斎藤
- ああっ、糸井さんも思ってましたか。
- 糸井
- ぼくのはもっとくだらない1番ですよ。
群馬のおもちゃ用品店の屋上でやってた、
ヨーヨー大会に出たことがあるんですよ。
東京から来たスタッフが司会して、
参加者が次々にヨーヨーを披露するんです。
で、ぼくは中学のときに
県大会チャンピオンっていうのになって。
- 斎藤
- へえーっ!
- 糸井
- 自分では、ものすごいうれしいの。
だけど、本当に大したことなかったって、
すぐにわかるんですよ。
- 斎藤
- でも、そこで1番だったら、
そんなことないように思いますけど。
- 糸井
- これさ、笑っちゃうんだけど、
デモンストレーターで来ている人がみんな、
ぼくの8000倍くらいうまいんですよね。
- 斎藤
- 8000倍!?
- 糸井
- つまりぼく、誰もやっていない街で
ヨーヨーやってるバカだったの。
ひとりだったみたいなものだから。
これって、なんにでも言えると思うんです。
クラスで1番とかで喜んだって、
そういう比較をしても
あんまり意味ないんじゃないかなって。
- 斎藤
- でも、周りに強い人がいなければ、
自分がずっと1番なわけですよね。
そうすると、自己肯定感が
すごく高くなりませんか。
- 糸井
- いったんは高くなりますよね。
- 斎藤
- その経験って、人が生きていく上で
すごく大事なことなのかなって。
それで自信を持って明るくいられるとか、
そういう根拠になるってことはないですか。
- 糸井
- なるほどね。ぼくの場合は、逆なんですよ。
ぼくらの世代が受けた教育って、
「お前はまだまだダメなんだ」っていう
親とか先生ばかりでしたから。
つまり、いい子になればなるほど、
悪いところを指摘されていたんですよね。
- 斎藤
- 「出る杭は打たれる」みたいな?
- 糸井
- 「勝って兜の緒を締めよ」かな。
- 斎藤
- はあー、そうでしたか。
- 糸井
- 普通の小学生でも、
「ここができてない」っていうところばっかり
指摘されて大きくなったんですよ。
斎藤さんとは世代がだいぶ違うから、
同じ群馬県でも育ち方が違うんでしょうね。
(つづきます)
2024-01-26-FRI
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2006年の夏に「ハンカチ王子」と呼ばれ、
ハンカチフィーバー、ハンカチ世代と、
大きな注目を集めた、斎藤佑樹さん。
甲子園の優勝投手であることよりも、
ひとり歩きしていったハンカチと、
いま、改めて向き合ったのだそうです。
斎藤ハンカチ店の店主、
斎藤佑樹さんプロデュースのハンカチ。
うっすらと文字が見えてくるハンカチは
贈りものとしてはもちろん、
じぶんに向けたメッセージとしてもどうぞ。