8ヶ月に及んだ店舗の物件探しを振り返り、
「東京中を足が棒になるくらい練り歩いた」と笑うが、
自分たちの思い描く理想の空間は、
見つからないと思いはじめていた矢先に、
ふたりの行く末を祝福するような
ドラマチックな展開が待っていた。

2019年、ジュエリーショップ「第六夜」が入居したのは、
麻布台の和朗フラット四号館。
築80年を越える、国の有形文化財であり、
佑香さんにとっては、学生時代に同所にある
アートギャラリーを訪れて以来、
憧れていた場所でもあった。

拓郎さんは、和朗フラットとの出会いが
自身の価値観を変えるひとつのきっかけになったと語る。

拓郎

毎日物件サイトをチェックして、
東京中を歩いても見つからなかったのに、
六本木での催事の帰りにふと立ち寄ってみたら、
敷地内の木の掲示板に募集が張り出されていたんです。
会社を辞めて、夫婦で一緒に活動していくことに関しては、
佑香さんよりも私の方が
不安を感じることは多かったのですが、佑香さんが
「ARTS&SCIENCE」に作品を持ち込んだときにも、
こんなことが起きるんだ！と思いましたし、
「どうにかなるんだ」という考えを、
一つひとつ実現していくのを目の当たりにすると、
自分もその考え方に
同意せざるを得なくなったというか（笑）。

佑香

これをやってダメだったらどうしようと囚われて、
せっかくできる体験や経験を
できないことの方がちょっとこわい。
何もわからないところからのスタートだから、
全部がチャレンジじゃないですか。
大きく失敗することもあるし、
インドにリュックサックひとつで
仕入れに行ったときには、軟禁されかけて、
危うく死ぬところだったみたいなことも……。
だけど、そういうこと全てが
今では自分を支える要素になっているし、
前よりも自分のことが好きだなって思えるから。

提供写真：ジュエリーショップ「第六夜」外観

　

商品にまつわるストーリーは、
宝石の仕入れひとつとっても
話が尽きることはない。
muskaのジュエリー制作は、
佑香さんと拓郎さんが
ジェムショー（Gem Shows）と呼ばれる
鉱物の展示・販売会場で
宝石を仕入れるところからはじまる。
よく足を運んだアリゾナや香港の会場には、
馴染みの宝石商が顔を揃え、
取引を重ねていくうちに関係が深まっていった。

佑香

商売、販売というと、
ビジネスという言葉を連想しがちですが、
やっていることは人と人とのコミュニケーション。
私たちの仕入れ先は、基本的に代々家族経営で、
オパールならオパールのみというふうに、
ひとつの宝石を採掘から研磨まで行っている
スペシャリストたちでした。
宝石ごとに仕入先が異なるのですが、
それぞれと「元気だった？」からはじまって、
「佑香、こういうのきっと好きでしょ？」と
見せてくれたり、こちらが何か質問すると、
その宝石のお土産話がわんさか出てくるんです。
それをお客さまに伝えてきましたし、
取扱店にも資料をお渡しして、
伝えてもらうようにお願いしてきました。
全部の後ろにちゃんと人がいる。
それがジュエリーのおもしろさだと思う。

　

コロナ禍で例年のように渡航ができなかった間は、
宝石商から直接宝石を送ってもらったのだという。
高い価値のある宝石を、事前の金銭のやりとりなしに
一度にたくさんの量を輸出することは一般的な話ではない。
万が一のことがあれば、宝石商側の代償はあまりに大きい。

佑香

いよいよ手元の宝石が尽きるというときに、
「佑香だったら」って、私たちの好みを踏まえて
まとまった量の宝石を送ってくれたんです。
そしたら、やっぱりこちらも、
そこからできるだけたくさん選んで、
不要なものだけ「ありがとう」と戻して。
宝石の輸出や輸入には複雑な手続きが必要ですし、
国が変われば、カルチャーも変わる。
そういったものごとを越えてやりとりしてくれたのは、
すごく心強かったですし、
いいお付き合いをしてこられたなと。
彼らが手間をかけて一生懸命に作ってくれたものを、
日本では、その道の匠たちに再び研磨してもらって、
ジュエリーに仕立てるんです。
日本の職人さんって本当にすごいので、
「いい石だねぇ」なんて言いながら、
ほとんど重さを変えずに、ピカピカのツヤツヤにしたり、
わずかな歪みも磨き直してきれいにしたり。

　

こうした商品の魅力やストーリーだけでなく、
長く、美しく使いつづけるためのルールを伝えることも
不可欠だった。

拓郎

われわれは美しいものを作って、お届けする、
そこに対価を得ているわけです。
私たちが一番に考えていたのは、
お客さまに対してベストを尽くすというところ。
それは、どうすればジュエリーを長く美しい状態で
使いつづけられるかという観点を
常に大事にするということです。
たとえば、14号サイズを10号サイズに直してほしいと
依頼を受けた際に、ただ「できますよ」と伝えるのか、
「できますが、長い年月使う場合に、
こういうことが起きるかもしれません」というところまで
伝えるのか。

佑香

自然の鉱物相手の仕事なので、
「この宝石に、このやり方は適していません」と
伝えることも大切です。それは宝石だけじゃなくて、
金属にも言えることで、あまりに細いデザインだと、
この割り金（貴金属の配合）では
だんだん湾曲していってしまいます、とか。
技術が伴いさえすれば、
何でも作れるという話ともまた違うんですよね。
宝石の特性をよく考えてかたちにして、
かつ使ってくださるお客さまにも、
それをしっかりとお願いする。
その過程でさらにジュエリーに対する思い入れは
強くなっていきます。

　

店頭でさまざまなお客様と接してきた拓郎さんが、
なかでも印象的だったと話すのは、ごくわずかな時間で
サファイアのネックレスを買い求めたお客様のこと。
ネックレスをインスタグラムに掲載すると、
「店頭で見れますか？」と
ダイレクトメッセージで問い合わせがあった。
拓郎さんが返答して数日後、お店をオープンすると、
あるお客様がそのネックレスの前に立ち、
「見せてもらえませんか？」と声をかけてきた。
きっとやりとりをしたお客様だと、
拓郎さんは半ば確信していたが、名前を尋ねると、
どうも別のお客様のようだった。

拓郎

その方は「あぁ、すごい綺麗ですね。
じゃあ、これいただきます」と言って、
試着もせずに、購入してくださったんです。
でも、保証書をお渡しするときにお名前を伺ったら、
DMをやりとりしたお客様と全く違って。
購入してくださったお客様も、事前にインスタを見たうえで
ご来店されたのかもしれませんが、
吸い寄せられるようにディスプレイの前に行き、
決して安くはないものをスッと、
もう魅入られた感じで買っていくっていうのは、
すごくジュエリーとの出合いを凝縮しているなぁって。
その後にDMをやりとりしていた方が
いらっしゃったとしても、
同じものは買えないわけじゃないですか。
ジュエリーは、その人それぞれのタイミングで
出合うべくして出合うものなんだなと印象深かったです。