
ひとりの販売員として洋服を売ってきた
ライターの岩本ろみさんは、
「この人から買いたい。
ものを売る人がたくさんいるなか、
そう思わせてくれる人がいます」と言う。
短ければ、わずか数分。
ものを買う人の楽しみにそっと寄り添い、
気持ちよく導いてくれるその人は、
どういう道を歩み、何を経験して、
どんなことを知っているのだろう‥‥?
話に耳を傾け、学びたい。
ものを売る人として聞き、ライターとして書く。
岩本ろみさんの不定期連載です。

田中佑香(たなか・ゆか)
広島県出身。早稲田大学第二文学部 表現・芸術専修卒業。
大学で西洋美術史や美学を学ぶ一方、アンティークビーズを用いたアクセサリーの制作をはじめる。
大学卒業後、本格的なジュエリー制作を志し、彫金職人に師事。
2012年、ジュエリーブランドmuskaをスタート。2018年、拓郎さんと株式会社第六夜を設立し、麻布台にジュエリーショップ「第六夜」をオープン。2023年にmuskaを休止後、持病の療養に専念。2025年春頃、ブランド名を「Sixth Night」と改め、活動再開予定。
URL https://muska.jp/ja/
Instagram https://www.instagram.com/muska_jewelry/
田中拓郎(たなか・たくろう)
新潟県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。
大学卒業後、清水建設株式会社に入社。営業、官庁出向、海外での経理や会計システムの開発を経験。
2018年、清水建設を退社後、佑香さんと第六夜を設立。ブランド運営を行う傍ら、店頭にも立つ。
URL https://muska.jp/ja/
Instagram https://www.instagram.com/muska_jewelry/
岩本ろみ(いわもと・ろみ)
ライター
著書に『しごととわたし』(梶山ひろみ名義、イースト・プレス、)。
2021年よりインタビューマガジン『very very slow magazine』を制作する。
URL https://veryveryslow.theshop.jp/
- 「ARTS&SCIENCE」に直接作品を持ち込むやり方が
歓迎されるとは思えなかったが、
なんのツテもなかった佑香さんはそうするしかなかった。
置かれた状況のなか、少しでも
明るい未来を手繰り寄せるためにできることは?
自問して、作品集を作ろうと思い立ったが、
何度作品を撮影してみても、
どうしても実物の方がよく思えたという。
八方塞がりになり、
連日38度の熱にうなされていた夏の日の夕方。
「どうすればいいんだ!」という一心で、
そばにあったオラクルカードを引くと、
そこには「Perfect Timing」と書かれていた。
全て完璧。扉はあなたのために開いています。
今すぐ走り出しなさい。 - 目の前に広げていたジュエリーを鞄に詰め込み、
ボサボサの頭にスカーフを巻いて、
カードを持って家を出た。
- 佑香
- いざお店に入ろうとすると、手に汗を握って、
どうしよう、どうしよう、どうしようって。
でも、「だって扉は開いているんだから!」と
自分に言い聞かせて(笑)、入ってみたんです。
そしたら、たまたま他にお客様がいらっしゃらなくて。
その後、ずっとお世話になることになる店長さんに
「ジュエリーを作っているんですけど、
見てもらえないでしょうか」とお願いしました。
- その声は、自分でも驚くほど、
小さく掠れていた。
返答は、持ち込みは受け付けていない(注1)という、
想定通りのものだった。
でも、ここで引き下がれば後がない。
そのときの自分を
「たぶん、気迫がすごかったんだと思う」と振り返る。
最終的に作品を見てもらえることになったが、
腰は抜け、椅子から転げ落ちそうになりながらの時間だったという。
提供写真:持ち込んだジュエリーの一つ「doğa」(ドア、トルコ語で自然の意味)シリーズのリング。
- その数ヶ月後、同年11月にmuskaのジュエリーは
ARTS&SCIENCE新丸ビル店に並んだ。
ホリデーシーズンに合わせた商品の一つとして
取り扱いがはじまったのだ。
ここからARTS&SCIENCEはどの取扱店よりも長く、
muskaとお客様を繋ぐことになる。
- 佑香
- まだ肩書も何もないときに、
目の前のものだけを見て、
取り扱いを決めて下さったARTS&SCIENCEさんの決断が、
いかにすごい懐の深さだったのかという。
そこには感謝してもしきれないですね。
- 佑香さんが創作に向き合う姿を私は数年見続けてきて、
そのひたむきさの芯にあるものに心を寄せてきた。
ここまで話を聞いて、それは明確になった。 - 佑香さんは全身全霊で
ジュエリーで身を立てることを望んだ。
そして、真正面からそれを掴みにいった。
作品を抱えて、
「ARTS&SCIENCE」の扉を開けたときの覚悟を思えば、
佑香さんの姿勢に「そうだよね」と
ゆっくりと首を縦に振ることしかできない。
- 佑香
- せっかく自分たちの人生を賭けて、
ジュエリーという長い歴史のあるものに携わっているのだから、
とにかく根底に「いいものを作りたい」という気持ちがあって。
- その後、拓郎さんの仕事の都合で、
2015年から17年まで夫婦でシンガポールに駐在する。
この間、佑香さんは東京の蔵前に構えていたアトリエを、
職人のひとりに管理してもらいながら、
年に数回行き来する傍ら、
海外で宝石の仕入れを行い、ブランドを継続した。
しかし、度重なる移動が負担となったのか、
佑香さんの体調が悪化し、1度目の休業を挟む。
完治後、ブランドを再開して数ヶ月の間に、
拓郎さんが会社を退職。
2018年には第六夜として会社を設立し、
夫婦でブランドを育てていく体制を整えた。
田中拓郎さん
- 拓郎さんがmuskaへの加入を決めたのは、
漠然と抱いていた
「いつかは手仕事にまつわる店を持つ」という夢に
近付けると思ったからで、
ごく自然な流れだったという。
新卒で建設会社に入社したのも、
ものづくりへの興味からだった。
大きく影響を受けたのは、
鎌倉の民藝品店「もやい工藝」のオーナーで、
手仕事フォーラムの発起人でもあった故・久野恵一さん。
拓郎さんは、フォーラムの運営にも参加し、
久野さんの在り方を通して、
自身は手を動かさずとも、
美しいものを世に広める橋渡しをしたいと
考えるようになる。
- 拓郎
- 久野さんは、若い頃から
全国各地の民藝の職人のもとを訪ねては、
酒を酌み交わしたり、家に泊めてもらったりして、
深い関係を築いてきました。
そうした関係のもと、
陶磁器ならば、窯出し直後の器から、
一番出来のいいものを選ばせてもらったり、
顧客ニーズを職人にフィードバックして、
現代のライフスタイルに
馴染むような製品づくりを提案したり。
ただの民藝商ではない、
プロデューサー的な役割も併せ持った人だったんです。
- こうして会社を設立してまもなく、
実店舗の物件探しをスタートさせる。
この頃は、アトリエとして借りていた一室を
作業場と応接スペースに分けて予約制で営業をしていたが、
muskaをmuskaのままに表現し、
届けられる場所の必要性を感じるようになった。
- 拓郎
- セレクトショップの場合、
そのコアにはオーナーやバイヤー自身の
セレクト力がありますよね。
複数のブランドやプロダクトを
どう組み合わせるかというセンスが
差別化を生むので、各ブランドは
セレクトショップを構成するひとつの要素です。
一方でブランドショップは、
プロダクトそのものをコアとして、
世界観やフィロソフィー、技術的背景を伝える場所で、
ブランドそのものを表現できます。
muskaという概念全体を示すには、
セレクトされた特定の製品ではなく、
製品群全体を見せる必要がありました。
なぜ作るのか、どう作るのか、
店舗や発信を通して、魅力や背景をきちんと伝え切る。
それが自分たちで販売することの意義だと思っています。
- 佑香
- 宝石やジュエリーってちょっと特殊で、
シーズンごとに買い換える洋服などとは、
また性格が違うもの。
商品になるまでの過程も、お客さまが購入するまでも、
そして、お客さまの手に渡ってからも、
すべてにおいて“長い”んですよね。
注1
ARTS&SCIENCEでは当時から現在まで作品の持ち込みは受け付けていません。
(つづきます)
2025-02-13-THU
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取材・文:岩本ろみ
イラスト:岡田喜之
編集:奥野武範(ほぼ日刊イトイ新聞)
デザイン:森志帆(ほぼ日刊イトイ新聞)




