引き戸をあけると、子どものころにあこがれた品々が
所狭しとあらわれる‥‥。
そんなお店が、おとぎの国ではなく、
東大阪に存在します。
1953年創業のおもちゃメーカー
「大倉トーイ」から派生した「ビーズハウス」です。
昭和雑貨コレクターの小鳥遊みかさんと
清水優季さんは、10年以上ビーズハウスに通い、
とうとう大倉トーイコレクションの書籍を出版!
おふたりの、昭和おもちゃに対する尽きない愛を、
ビーズハウス店主の大倉弘至さんに見守られながら
語っていただきました。
おおらかで夢いっぱいの大倉トーイワールドで、
心のままにときめいてしまいましょう。

>小鳥遊みかさんプロフィール

小鳥遊みか プロフィール画像

小鳥遊みか(たかなし・みか)

1989年大阪府出身。
大倉トーイの大ファンで、
昭和かわいいアイテム愛好家。
書籍『昭和かわいいおもちゃ
大倉トーイ・コレクション』

(グラフィック社)
掲載おもちゃの多くは
自身のコレクションから。
2012年にInstagramを開設し、
共同著者の清水と交流するようになる。
70~80年代頃のおもちゃ、
特におしゃれセットのコレクター。
昔ながらのお土産物や昭和鉛筆キャップ、
アクセサリーなどなど‥‥
ビビッド&ハッピーなものや、
ちょっとヘンテコなものが好き。
最近は集めすぎたおもちゃの
ディスプレイに苦戦中。

Instagram:@mika8499

>清水優季さんプロフィール

清水優季 プロフィール画像

清水優季(しみず・ゆうき)

1993年広島県生まれ。
多摩美術大学
グラフィックデザイン学科卒業。
「かわいい」と「楽しい」を
探求する研究者。
昭和~現代のおもちゃや雑貨の
コレクションを通して得た
多様な知識を活かし、
イラストやデザイン、
ファッションブランドとのコラボ、
イベント企画、書籍制作など
幅広く活動。
雑貨レーベル「おまけ星」主宰、
人気キャラクター
「スマホ依存の昭和のクマちゃん」の作者。
カラフルなもの、夢のあるもの、
面白いものが好き。

X:@popoiyon
Instagram:@popoiyon

>大倉弘至さんプロフィール

大倉弘至 プロフィール画像

大倉弘至(おおくら・ひろゆき)

1953年に創業し、おもちゃや雑貨、ビーズを
製造・販売していたメーカー、
大倉トーイの元社員。
2002年、大倉トーイの商品を販売する店舗
「ビーズハウス」を立ち上げる。
2020年の大倉トーイ廃業後も、
大倉トーイの商品や製造を受け継ぎ、
ビーズハウスをひとりで切り盛りしている。

前へ目次ページへ次へ

第2回 帰り道、泣いてました。

──
清水さんと小鳥遊さんは、
どのように大倉トーイと出会ったのですか。
清水
私が大倉トーイを知ったきっかけは、
大学の春休みに、たまたま
大倉トーイのおもちゃの画像を見たことです。
おもちゃであることと、
大阪のものであることだけは分かったんですが、
詳細が分からなくて。
でも、どうしても
実物を見てみたいと思ったんです。
──
どうやって、
ビーズハウスに辿り着いたのでしょうか。
清水
大阪にある、おもちゃを扱う事業者組合の
名簿を調べたんです。
「あ行」から一社ずつ検索して、
大倉トーイの「お」で見つけました。
──
あいうえお順で、
「お」で見つかったということは、
けっこう早く辿り着いた‥‥。
清水
そうそう、早かったです(笑)。
それで、ここビーズハウスに来ることができて、
「うわぁ、本当にあるんだ、
こんなところが! 夢みたい」と思って。
以来、東京から広島の実家に帰るときに
大阪に寄って、ビーズハウスへ行くというのが、
私の習慣になりました。
小鳥遊
私も、たぶん清水さんと同時期に
大倉トーイを知りました。
2012年ごろ、YouTubeでキャンディーズの
『あなたに夢中』の歌唱姿を見たんです。
そのとき、歌だけでなく、
舞台セットや衣装を含めた雰囲気全てに
「かわいい!」 と心を射抜かれて。
それから日本の70年代ごろの雰囲気に惹かれて、
当時の雑貨やおもちゃを売っているお店を
探すようになり、大倉トーイを見つけました。
──
おふたりとも、大倉トーイを知る前から、
昭和の終わりごろにつくられたものに
ご興味があったのでしょうか。
清水
私は、小さいころから、
漠然とずっと好きでした。
大倉トーイという名前を知らなくても、
おもちゃ屋さんやデパート、レストランで
大倉トーイのおもちゃを見かけて、
惹かれたんだと思います。
小学校の児童館で昭和の漫画を読んだり、
叔母が昔集めていたシールを
受け継いだりもしました。
でも、「自分で買える」ということを
知らなかったんですよ。
──
あくまでも、おまけでもらえたり、
大人から譲ってもらったりするもの、という
イメージだったのですね。
清水
それが、大学進学を機に上京して、
「買えるんだ」と知ったとたん、
めちゃくちゃ買うようになってしまって。
不可能だと思っていたことが可能になった、
くらいの喜びでした。

──
小鳥遊さんは、
大倉トーイのおもちゃを集めるようになって、
とくに思い出深かったことはありますか。
小鳥遊
思い出深かったのは‥‥、
初めてこのお店に来たときです。
その日の帰り道は、泣いてました。
──
泣いてしまったんですか。
小鳥遊
いまもお店いっぱいに商品がありますけれど、
当時はいまよりもいっぱい、
圧倒されるくらいあったんです。
それを見て、
「すごい。宝ものを見つけてしまった」と、
感極まって泣きました。

──
たしかに、昭和の雑貨が好きな方にとっては、
宝の山のようですね。
一方の清水さんはいま、
イラストレーターとして、
昭和レトロな雰囲気の絵を描かれています。
ビーズハウスに通い始めた当時から、
そのようなイラストを
描いていたのでしょうか? 
清水
絵を描くことは昔から好きで、
美大に通っていました。
でも、大学生のときは、
実はほとんど絵を描いていなくて。
──
そうなんですか。
清水
その頃は、雑貨屋さんになりたかったんです。
美大のなかで挫折してしまって、
「自分は絵を描いたりものを作ったりするのは
向いてないから、世界中の素敵なものを集めて売る
雑貨屋さんになろう」と。
でも、暇があった時期に、
また趣味で絵を描き始めたら、
ありがたいことに少し人気が出たんです。
そして結果的に作家になることができて、
いまがあります。

▲清水さんオリジナルの人気キャラクター、スマホ依存の昭和のクマちゃん。 ▲清水さんオリジナルの人気キャラクター、スマホ依存の昭和のクマちゃん。

──
昭和レトロタッチの絵には、ひと目で
「昭和レトロな感じ」とわかる、
独特な雰囲気があると思います。
やはり、描くのは難しいのでしょうか。
清水
今は少し上達しましたが、
はじめはすごく難しかったです。
昭和の絵には、手描きならではの
細かい部分が多いんですよ。
少女漫画らしいまつ毛を描くストロークも、
手が安定していないとできなくて。
‥‥説明するより早いと思うので、
いま描きましょうか。
──
わぁ、描いてくださるんですか! 
ぜひお願いします。
清水
じゃあ、目を描きますね。
──
すごい!
昭和につくられたおもちゃと並べても、
違和感がないくらい、昭和らしい絵柄です。
清水さんは、美大に通いながら
ビーズハウスに行くようになった
とのことですが、当時の、
心に残っていることはありますか。
清水
特別な思い出があるというよりは、
約10年ビーズハウスに通っている間に
自分自身が変化していったこと、
それ自体が思い出になっています。
大倉トーイやビーズハウスを
知ったばかりのころは、雑貨屋志望の大学生でした。
でもそれは叶わず、
絵を描いたり自分でも作品を作ったりするようになって、
なんとか生きていけるようになって、
それでも変わらずビーズハウスに通って‥‥
いろんなことがありました。
いつ来ても毎回、楽しいお買いものができて、
「やっぱりこのお店が好きだな」と思うんです。
──
10年間、どの時期の記憶にも
ビーズハウスがあったのですね。
清水
私だけじゃなくて、
ほかのお客さんにとってのビーズハウスも、
そんな場所なんだと思います。
「わぁ、たくさんかわいいものを買えた、
嬉しいな。また来よう」という気持ちは、
ビーズハウスに通う人みんなに
共通しているんじゃないかな。

(明日につづきます)

2025-04-23-WED

前へ目次ページへ次へ
  • 4月25日(金)〜5月25日(日)

    渋谷PARCO8階「ほぼ日曜日」で

    「大倉トーイ・コレクション展」を開催します!



    小鳥遊みかさんと清水優季さんの
    「大倉トーイ」おもちゃコレクションをまとめた書籍
    『昭和かわいいおもちゃ 大倉トーイ・コレクション』
    (グラフィック社)