スポーツ総合雑誌『Number』の
創刊40周年・1000号を記念して、
アスリートが躍動する表紙の展示や
トークライブの生中継を、
Web上でおこなうことにしました。
題して、「ほぼ日」オンラインミュージアム。
1980年から今に至るまで
あらゆるスポーツの瞬間を切り取りつづけ、
アスリートたちの知られざるドラマを
スポーツファンに届けてきた『Number』。
写真を見ただけで記憶が揺さぶられる
表紙の写真と編集部の声が並びます。
いま明かされる「表紙の物語」とは――。

※渋谷パルコ「ほぼ日曜日」での開催は
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため
残念ながら中止となりました。
「ほぼ日曜日」のページはこちら

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13 薬師寺VS辰𠮷、長野五輪、サイレンススズカ

 
本日紹介する過去の名勝負は、
1994年アメリカワールドカップから
1998年天皇賞(秋)までの5名。
インターネットの普及で知りたい情報に
たどり着きやすくなった時代、
雑誌づくりが便利になる一方で、
ライバルが増えたという面も。
雑誌だからできる見せ方を
考えはじめた頃なのかもしれません。

1994年 サッカーワールドカップ
決勝戦 ブラジル対イタリア。

青山 徹さん
『Number』編集部 在籍期間:
1985年4月~1989年9月、1993年4月~1995年2月

アメリカで行われたワールドカップは、
発売日の関係で、当初の予定では
決勝戦の結果を入れることができなかった。
「なんとかせい!」という編集長の命令で、
当時まだ知られていなかったインターネットを使って
写真伝送をすることを計画。
凸版印刷と研究チームを作り、
その頃はほとんど文字データしか載せていなかった
インターネットを使って
決勝戦の写真を日本に送るという暴挙に挑んだ。
ブラジル対イタリアの決勝は延長戦になって
なお決着がつかず、史上初のPK戦になった。
写真はフィルムなので撮影後すぐに現像に出し、
それをスキャンしてデジタルデータにし、
圧縮して現地の印刷所から
日本の凸版印刷へデータを送り、
さらに解凍して印刷データにするという、
いまでは考えられないほど面倒な工程が必要だった。
決勝から約8時間後、
ディスプレイに
ブラジルのロマーリオ選手の姿が映り始めたときに、
印刷所に詰めていた編集部員と
アートディレクターたちがあげた
歓声が忘れられない。
当時の凸版印刷の話では、
これが商用インターネットで写真伝送をして
雑誌を作った最初の例だったという。

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1994年 プロボクシングWBC
世界バンタム級王座統一戦
薬師寺保栄 対 辰𠮷𠀋一郎。

藤森三奈さん
『Number』編集部 在籍期間:
1993年4月~2003年3月、2015年7月~現在

1994年12月4日、
名古屋市総合体育館レインボーホールで行われた、
薬師寺保栄vs.辰𠮷𠀋一郎の試合。
ボクシング史上初となった
日本人同士の世界王座統一戦。
『Number』は「The Pride of the King」
というプレビュー号を作った。
編集部では、薬師寺担当と辰𠮷担当に分かれ、
私は辰𠮷担当に。
表紙撮影、南紀白浜キャンプの帯同、
ビートたけしさんとの往復書簡など様々な企画を
辰𠮷にお願いし、私はすっかり辰𠮷派に。
もちろん薬師寺担当は薬師寺派に。
迎えた4日。辰𠮷は判定で負けた。
名古屋のホテルの玄関で
私は辰𠮷が帰ってくるのを待っていた。
大きな車から降りてきた彼は、
視線の先にいる私が誰だか分からない。
ようやく目の前に近づいてきたところで
「あっ、藤森さんか、負けちゃってごめんね」と言った。
目は開けられないほどに腫れていた。
その顔は忘れることができない。
その日、辰𠮷の部屋には朝まで客人が絶えなかった。
彼を独りにはできない、
皆その思いから彼のベッドを囲んでいた。

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1997年 優勝争いを繰り広げた
横浜ベイスターズ対
ヤクルトスワローズ。

阿部雄輔さん
『Number』編集部 在籍期間:
1984年7月~1986年6月、1997年2月~2003年3月

誠に個人的な思い出になりますが
1997年9月2日、
横浜スタジアムでのプロ野球セントラルリーグ、
横浜ベイスターズ対ヤクルトスワローズ戦です。
子供の頃からなぜか
大洋ホエールズが好きだったんです。
1958年生まれですから
1960年の球団史上初のリーグ優勝、
日本一はまったく記憶にありませんし、
小・中学生の9年間は
そのままジャイアンツのV9と重なり、
大洋ファンと言うと、
「何であんなチームの?」と尋ねられたものです。
「あんなチーム」ってことはないと思うんですけど。
シーズンが終わって結果的に2位ということはあっても、
本当の意味での優勝争いすら知らないまま
10代、20代、30代を過ごして来年は40歳という97年、
大矢明彦監督の2年目、8月に猛烈に追い上げて
生まれて初めて優勝争いを経験します。
首位ヤクルトに1.5ゲーム差に迫っての3連戦。
3連勝でいよいよ‥‥と、
のこのこスタジアムに出かけました。
結果は0-3。
しかもヤクルト石井一久投手に
ノーヒットノーランを喰らう惨敗で、
ライトスタンドの横浜ファンが暴れて
グラウンドにものを投げ込む醜態をさらしたのです。

翌年は権藤博監督就任1年目でリーグ優勝、
日本一になり『Number』も
優勝特集、増刊を出しました。
憧れの選手だった秋山登さんや
近藤和彦さんに取材させていただいたり、
丸谷才一さんや赤瀬川隼さんと
一緒に観戦させていただいたり、
嬉しい体験もさせてもらいました
(皆さん鬼籍に入られたのでもう二度と経験できない)。
とはいえこの1試合と言うと
惨めに敗れた97年の試合を選ぶあたりが
筋金入りのファン気質というものなのです。

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1998年 長野オリンピック、
スキージャンプ・ラージヒル団体で
原田雅彦の137mジャンプ。

石原修治さん
『Number』編集部 在籍期間:
1986年7月~1989年3月、1994年3月~2001年3月

1998年の長野五輪の担当デスクを務めました。
清水宏保選手、里谷多英選手、荻原兄弟等々、
多くの感動シーンが生まれましたが、
中でも最も注目を集めたのが
スキージャンプの団体戦、
原田雅彦選手の二度目の試技。
バッケンレコードに並ぶ大ジャンプでした。
その5か月後、週刊文春の連載、堀井憲一郎さんの
「ホリイのずんずん調査
『長野オリンピック記憶テスト』」(10問)に
回答することに(98年7月23日号)。
144人が回答し、
「全問正解者は0。最高8点。
『Number』編集部のデスクでした。」
と書いていただきました。
ちなみに回答できなかった質問の一つが
「ジャンプ団体の2本目、
原田が137mの大ジャンプを見せたときに
アナウンサーが叫んだ言葉はなに?」。
考えてみると自分たちもテレビの前で絶叫していたので、
聞こえていなかったのでした。

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1998年 第118回天皇賞(秋)
サイレンススズカ、
レース中にまさかの故障。

山崎淳さん
『Number』編集部 在籍期間:
1997年4月~2002年3月、2006年4月~2012年3月

1998年11月1日の第118回天皇賞(秋)。
サイレンススズカを表紙にした
秋競馬特集号を作ったのですが、
発売直後の日曜日のレースでした。
東京競馬場のスタンドに私はいました。
サイレンススズカはいつものように
圧倒的な脚力で2番手以降を引き離し、
向こう正面から第3コーナーに差し掛かっていきました。
第3コーナーから最後の第4コーナーのところに
ケヤキの林があり、
少しのあいだ馬が見えなくなります。
サイレンススズカがケヤキの林の向こうに消え、
さて、凄まじい勢いで出てくるぞ! と思いきや……。
何秒かの静寂のあと、別の馬たちが現れたのです。
あの不吉な予感に満ちたどよめきは、
いまも耳に残っているような気がします。
サイレンススズカは第4コーナーの手前で故障し、
そのまま安楽死となりました。
いま思い出しても本当に悲しくなるレースでした。

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(つづきます)

2020-08-04-TUE

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  • 8月19日(水)20:00から
    中村亮土×真壁伸弥×生島淳×糸井重里
    ラグビートークを生中継!
    「ラグビー日本代表が語る、
    必然で掴んだ大金星。」

    日本中が熱狂した、
    ラグビーワールドカップ2019から1年。
    ほぼ日も「にわかファン」として
    おおいにたのしませてもらいました。
    「Number1000」のトークイベントとして
    4月に開催を予定していたラグビートークを
    オンライン配信することにしました。
    ラグビーワールドカップ2015に出場した
    元日本代表の真壁伸弥さんと、
    『Number』で数々の文章を書いている
    スポーツライターの生島淳さん、
    にわかラグビーファンの糸井重里はそのまま。
    そして、あらたにスペシャルゲストとして
    ラグビーワールドカップ2019に出場した
    日本代表の
    中村亮土選手(サントリーサンゴリアス)
    にも登場いただけることになりました。
    生中継を見るためのチケットは
    1,100円(税込)、
    7月28日(火)午前11時から
    販売をはじめます。

    詳細はこちら

  • 『Number』1000号と、
    特製クリアファイルをセットで販売中!

    「Number1000」のイベントのために制作した
    限定グッズの特製クリアファイルを
    『Number』1000号と
    セットで販売しています。
    人差し指を立てたイチローさんの
    表紙が印象的な『Number1000』では、
    創刊1000号記念特集として
    「ナンバー1の条件」をテーマに、
    イチローさんがナンバー1への想いを語る
    ロングインタビューが掲載されます。

    特製クリアファイルは全3種類。
    1000冊ある『Number』の表紙から、
    「野球」「サッカー」「女性アスリート」の
    3つのテーマでわけたクリアファイルを
    このイベントのために作りました。
    これまでに『Number』の
    表紙を飾ったアスリートたちの
    生き生きとした表情が並びます。
    3つとも、A4サイズの紙がちょうど収まる
    220mm×310mmの大きさです。

    *販売は終了しました。