スポーツ総合雑誌『Number』の
創刊40周年・1000号を記念して、
アスリートが躍動する表紙の展示や
トークライブの生中継を、
Web上でおこなうことにしました。
題して、「ほぼ日」オンラインミュージアム。
1980年から今に至るまで
あらゆるスポーツの瞬間を切り取りつづけ、
アスリートたちの知られざるドラマを
スポーツファンに届けてきた『Number』。
写真を見ただけで記憶が揺さぶられる
表紙の写真と編集部の声が並びます。
いま明かされる「表紙の物語」とは――。

※渋谷パルコ「ほぼ日曜日」での開催は
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため
残念ながら中止となりました。
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12 清原の涙、THE WAR、ドーハの悲劇

 
『Number』に在籍していた編集者、
歴代編集長にアンケートでうかがった
記憶に残る名試合、第二弾です。
1987年の日本シリーズ
同じく1987年の大学ラグビー「雪の早明戦」、
レナードVSハーンズの「THE WAR」、
サッカーW杯出場を逃した「ドーハの悲劇」。
リアルタイムで観ていたファンの記憶を
揺さぶるような名勝負がそろいました。

1987年 日本シリーズ
「西武対巨人」第6戦 清原和博の涙。

河野一郎さん
『Number』編集部 在籍期間:
1987年7月~1992年4月、2005年4月~2008年4月

『Number』183号「獅子の時代」の取材で、
所沢の西武球場へ。西武が宿敵・巨人を破って
2年連続の日本一に輝いたが、9回表に異変が起きた。
1塁横で最後の守りについた
清原の目から涙が溢れだしたのだ。
2塁手の辻が気づき
清原のもとに駆け寄るが、涙が止まらない。
このシーン、自分は1塁側の席で
双眼鏡を持っていたため気がついたが、
球場にいた観客の多くは気づいていなかった。
『Number』のカメラマンも試合終了に備えて
バックネット裏に移動しており、気づいていない。

当時、試合中にカメラマンと連絡を取るため
トランシーバーを用意していたが、
カメラマンは日本一の瞬間を撮ることに集中している。
「大変です! 清原が泣いています」
とトランシーバーに叫んでも、応答はなかった。
トランシーバーを握りしめつつ、呆然と天を仰ぐ‥‥。
同時に、ジャイアンツに対する
清原の熱き思いが伝わってきて、自分も感極まった。
巨人が桑田真澄を指名した運命のドラフトから2年あまり。
もちろん『Number』183号では、
涙にくれた清原の記事を掲載した
(涙の写真をスポーツ新聞から借用することになり、
悔しかったことも思い出のひとつ)。
時代が令和となり、薬物から立ち直ろうとする
彼の姿を目にするたびに、あの涙を思い出す。

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1987年 関東大学ラグビー対抗戦
グループ最終戦・早稲田大学対明治大学
「雪の早明戦」。

石井潤一郎さん
『Number』編集部 在籍期間:1987年7月~1990年7月

1987年12月6日(日)の国立競技場。
早稲田が全勝、明治が1敗で迎えた、
関東大学ラグビー対抗戦の最終戦。
この日、東京は未明から降り出した雪で一面真っ白に。
後に「雪の早明戦」として語り継がれる伝説の試合は、
終盤、10分近くに及んだロスタイムの攻防が白眉だった。
早稲田側ゴールライン間近での明治の怒涛の攻撃を
早稲田が懸命に凌ぎ切り10-7で辛勝。
スクラムを組む両軍の選手たちから立ち上る湯気と
グランドに残る雪の白さのコントラストが忘れられない。
明治は大西一平に吉田義人、
対する早稲田は今泉清、清宮克幸、堀越正巳と、
その後の日本ラグビーを背負って立つ面々が登場。
この試合については、
『Number』188号「戦国ラグビーの覇者」に詳しい。
余談だが、この頃、なぜか記者席に
今は亡き山城新伍さんがよくいらしたことを覚えている。

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1988年 東京六大学野球秋季リーグ戦、
早稲田大学対慶應義塾大学、
小宮山悟の4度の涙。

斎藤禎さん
『Number』編集部 在籍期間:1988年4月~1989年3月

1988年10月30日、
野球の早慶戦での早大小宮山悟投手の涙。
この試合で早大の小宮山投手
(ロッテ・横浜・メッツ・現早大監督)は4度泣いている。
一点リードの9回表。
3年生エースの小宮山は
慶應の4番大森剛(のち巨人)を迎えた。
と、小宮山は突然泣きだした。大森を敬遠したのだ。
敬遠の指示がベンチから出され
口惜しくて泣いたのだろうと思ったが、違った。
4年生に勝利をプレゼントしようと
自らの意思で敬遠したのだが、
「どうしてもこの試合勝たねば」
と思ったら涙があふれてとまらない。
超満員3万5000人の観衆の前で1球ごと、4度泣いた。
球場は静まりかえった。不思議な光景だった。
いま小宮山氏は早大の監督だが、
成績はもうひとつふるわない。
小宮山氏の泣きながら投げるという「直情」が、
現在の選手に伝わらないのかもしれない。

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1989年 WBCスーパーミドル級タイトルマッチ
シュガー・レイ・レナード対
トーマス・ヒットマン・ハーンズ。

新谷 学さん
『Number』編集部 在籍期間:1989年4月~1993年3月

 

1989年6月12日、
ラスベガスのシーザース・パレスで行われた
シュガー・レイ・レナードVS
トーマス・ヒットマン・ハーンズの「THE WAR」。
入社間もない私はジャーナリスト
本田靖春さんを連れてラスベガスに飛び、
観戦記を書いていただいた。
リングサイドで見た試合はもちろん
最高にエキサイティングだったが、
何より、昼間はプールサイドでビールを飲んだり、
ショッピングしたり、夜はカジノに行ったり、
「なんていい会社に入ったんだ!」と感動した。
打ち合わせで初めて会った本田さんに、
競馬が趣味と聞いていたので、
入社最初に担当した
ダービー特集のにわか知識を語ったら、
「お前に競馬の何がわかるんだ。
ちゃんちゃらおかしいよ!」
と一喝されたのも忘れられない。
その後、「週刊文春」に異動になり、
「不当逮捕」や「誘拐」、「サツ回り」など、
本田さんの著作を貪り読み、
その偉大さに気づいたのはずっと後のことだ。

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1993年 FIFAワールドカップ
アジア最終予選日本対イラク、
「ドーハの悲劇」。

柳澤 健さん
『Number』編集部 在籍期間:
1991年5月~1994年4月、2000年5月~2003年7月

 

1993年10月28日の
FIFAワールドカップアジア最終予選の
日本代表イラク代表。
いわゆる「ドーハの悲劇」。
直前の韓国戦までドーハで取材していて、
私は、帰国後、ほとんど一睡もせずに
編集作業に追われた。
ロスタイムの失点のとき、
私は編集部のテレビの前で崩れ落ちた。
『Number』327「カタール終戦記録」は
瞬時に売り切れた。

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(つづきます)

2020-08-03-MON

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  • 8月19日(水)20:00から
    中村亮土×真壁伸弥×生島淳×糸井重里
    ラグビートークを生中継!
    「ラグビー日本代表が語る、
    必然で掴んだ大金星。」

    日本中が熱狂した、
    ラグビーワールドカップ2019から1年。
    ほぼ日も「にわかファン」として
    おおいにたのしませてもらいました。
    「Number1000」のトークイベントとして
    4月に開催を予定していたラグビートークを
    オンライン配信することにしました。
    ラグビーワールドカップ2015に出場した
    元日本代表の真壁伸弥さんと、
    『Number』で数々の文章を書いている
    スポーツライターの生島淳さん、
    にわかラグビーファンの糸井重里はそのまま。
    そして、あらたにスペシャルゲストとして
    ラグビーワールドカップ2019に出場した
    日本代表の
    中村亮土選手(サントリーサンゴリアス)
    にも登場いただけることになりました。
    生中継を見るためのチケットは
    1,100円(税込)、
    7月28日(火)午前11時から
    販売をはじめます。

    詳細はこちら

  • 『Number』1000号と、
    特製クリアファイルをセットで販売中!

    「Number1000」のイベントのために制作した
    限定グッズの特製クリアファイルを
    『Number』1000号と
    セットで販売しています。
    人差し指を立てたイチローさんの
    表紙が印象的な『Number1000』では、
    創刊1000号記念特集として
    「ナンバー1の条件」をテーマに、
    イチローさんがナンバー1への想いを語る
    ロングインタビューが掲載されます。

    特製クリアファイルは全3種類。
    1000冊ある『Number』の表紙から、
    「野球」「サッカー」「女性アスリート」の
    3つのテーマでわけたクリアファイルを
    このイベントのために作りました。
    これまでに『Number』の
    表紙を飾ったアスリートたちの
    生き生きとした表情が並びます。
    3つとも、A4サイズの紙がちょうど収まる
    220mm×310mmの大きさです。

    *販売は終了しました。