>野田秀樹さんプロフィール

野田秀樹(Hideki Noda)

劇作家・演出家・役者。
東京芸術劇場芸術監督、多摩美術大学教授。

1955年、長崎県生まれ。
東京大学在学中に「劇団 夢の遊眠社」を結成し、
数々の名作を生み出す。
92年、劇団解散後、ロンドンに留学。
帰国後の93年に演劇企画製作会社
「NODA・MAP」を設立。
演劇界の旗手として、国内外を問わず、
精力的な活動を展開。
09年10月、名誉大英勲章OBE受勲。
09年度朝日賞受賞。11年6月、紫綬褒章受章。

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駒場で芝居をしてた頃。

 
(対談の部屋に移動して)
糸井
じゃあ首脳会談をはじめましょうか(笑)。
野田
今日は、パルコの話とだけ聞いてます。
糸井
ぼくらがこんど、渋谷PARCOに
お店を出すんです。
それで
「この機会に、昔の渋谷を知ってる人と
対談できたら」と言ってたら、
若い人たちが「野田秀樹さん」って
言い出したんです。
ぼくも久しぶりに会いたかったし。
新作の芝居も昨日観て。
野田
ほんと? 『Q』観てくれたの?
糸井
うん。素晴らしかった。
野田
ありがとうございました。
糸井
だけど今日は、どんな話になっても
いいかなと思ってます。

野田
パルコというと昔、渋谷PARCO2か3が建つ前、
空き地があったんですね。
1979年、そこにテントを立てて
演劇のフェスティバル
(パルコ ドラマ・フェスティバル)が
行われたんです。
そのとき、そこでやる5劇団の1つとして
僕らの「夢の遊眠社」も呼ばれて
『怪盗乱魔』というのをやったんです。
糸井
駒場(東京大学の駒場キャンパス)で
やってた時代?
野田
そう、まだ学生で、
外でやりたくてしょうがなかったときですね。
糸井
そうか。
野田
その次はたぶん85年かな、29歳のとき。
渋谷のパルコ劇場で
『彗星の使者(すいせいのジークフリート)』
というのをやりました。
だけどそのとき、舞台上に高いはしごを立てて、
バーッと登ったり、上でアクロバティックな
動きをしたりしてたら、
公演中にズルッとはしごが外れて転落したんです。
腎臓が破裂して。
糸井
え。それ、ニュースになってないですか。
野田
えーとね、微妙になりました。
糸井
なったよね。
なにかと高い所に上がって騒ぐのやってたもんね。
野田
バカだったからね(笑)。
糸井
まぁ、バカと煙はね(笑)。
野田
未だに、はしごとか登らせてるからね。

糸井
じゃあ、そういうことはありつつ
‥‥パルコがあったこと自体は
良かったんだよね?
野田
うん、あそこは場所が良かったし。
あの通りはよかったよね。
小劇場の「ジァン・ジァン」もあって。
糸井
あったねえ。
いま思うとちっちゃくてね、100席くらいだよ。
野田
だけど、いろんないい人をあそこで見たよ。
美輪明宏さんも、五輪真弓さんも。
糸井
ぼくがいちばん見たのは矢野顕子だったな。
野田
ああ、矢野さんね。
糸井
あそこではみんな屈託がなくて、
失敗しても「もとい!」とか言って
途中でやりなおしたりして(笑)。
野田
狭かったからね。お客との距離も近くて。
糸井
で、話が前後するけど、
野田くんたちは最初、東京大学の中にある
「駒場小劇場」でやってたじゃない?
野田
そうだね。

野田さんたちが結成した「夢の遊眠社」は、1976年に東京大学演劇研究会というサークルを母体として誕生。東大構内の「駒場小劇場」を拠点に活動を開始。1982年からは「駒場小劇場」を巣立ち、プロの劇団としてあちこちで公演。1992年に解散。その後、野田さんはロンドン留学を経て、「NODA・MAP」結成に至る。

糸井
あれは、場所を探してて
「大学の中にあるじゃないか」
と思ったわけ?
野田
そうなんです。
大学でやるとき、教室や講堂みたいな場所だと、
なかなか空間がおもしろくなくて。
ただ、青山に「VAN」が作った
「VAN99ホール」ってあったじゃないですか。
実はぼくら、あそこで一度やったんです。
『走れメルス』を。
糸井
へえー。
野田
ただ、その後もずっと使わせてもらえる
予定だったんだけど、
そのあと、「VAN」が潰れたんです。1978年。
糸井
あ、そんな時期か。
野田
しょうがないから大学に戻って、
おもしろい空間がないかを探したら、
寮の食堂が半分だけ使われてなかった。
東大でいちばんでかい、100人以上いる
「フォークダンス研究会」というサークルが、
たまに練習に使うだけでね。
要するにあの頃、東大生は文化祭のときに
フォークダンスやってたんだよね。
糸井
隠れた巨体だ(笑)。
野田
それで
「あいつらだけがここを使ってる理由はねぇ」
と思って、鉄パイプ持ち込んで、
工事現場の人に組み方を教わって、
中を巨大な劇場にして、公演してたんです。
終わったら毎回
撤収しなきゃいけないんですけど。
糸井
じゃあ、ぼくらが駒場で
野田くんの芝居を見てたときは、
鉄パイプ組んでたんだ?

野田
でもね、何年かやり続けてたら、学生課が同情して
「ここを劇場に変えてあげる」
って言ってくれたんです。
それでちゃんとした劇場になって、
毎回鉄パイプを組まなくてもよくなった。
糸井
「小劇場」といいつつ、案外広かったよね。
野田
広い広い。300人くらい入ってたかな。
だから、大きい劇場ですよ。
糸井
しかも演じる人たちがみんな、
上がったり下がったりしてね。
野田
高さも7メートルくらいあったからね。
糸井
そんな場所を持ってる劇団ないよね。
野田
だからもし「VAN99ホール」で育ってたら、
あそこは天井が狭いし、スケール感のあるものが
思い浮かばなかったかもしれない。
糸井
つかこうへい型になる。
野田
そうそう、家庭劇になってたかも(笑)。
だけど「駒場小劇場」は大きくて、外は森だし。
窓とかも開けて、
無料で覗き見とかもさせてたの。
糸井
思えば運が良かったんですね。
さらに、あそこに学生じゃない人たちまで、
どんどんお客として入ってたわけで。
すごいことですよ。
野田
ただ、あの頃って、
若いやつが文化を引っ張ってましたけど、
あれ、人数がいたからですよね。
糸井
そうですね。団塊の世代が、
イナゴの大群のように動き回ってて。
野田
ぼくは「少子化説」ってのを唱えてるんですけど、
いま、若い人が文化を引っ張れないのは、
完全に「数が少ないから」だと思うんです。
才能のあるやつは同じような割合で
中にいるんだけど、
全体の数が少ないから影響力が少ない。
あの頃はかっこいいのがいっぱい出たけど、
そもそもの人の数があったからですよね。
糸井
「同時多発革命だ」とか言えてたのも
そうですよね。
それはもう、まったくそうだなぁ。

(つづきます)

2019-11-23-SAT

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  • <NODA・MAP 第23回公演>
    Q
    A Night At The Kabuki
    Inspired by A Night At The Opera

    作・演出 野田秀樹
    音楽 QUEEN

    東京公演/東京劇場プレイハウス
    2019年11月9日(土)- 12月11日(水)
    ※全公演、当日券を販売しています。

    <CAST>
    松たか子 上川隆也
    広瀬すず 志尊淳
    橋本さとし 小松和重 伊勢佳世 羽野晶紀
    野田秀樹 竹中直人 ほか

     謎が謎を呼ぶ“4人のロミジュリ”の話。
    流れる音楽はQUEENの
    「A Night At The Opera」からのもの。
    さらには平家と源氏まで‥‥。
    ぜひ、劇場でおたのしみください。

    ▶︎くわしくは『Q』スペシャルサイトへ。
    https://www.nodamap.com/q/introduction/