みんなだいすき祖父江慎さんと、
伝説のプリンティングディレクター
佐野正幸さん、
図書印刷の製本コンシェルジュ・
岩瀬学さんに、
じっくり語っていただきました。
印刷について、製本について、
紙について、色について‥‥そして
3人でつくった
junaidaさんの絵本『の』について。
たいへん、おもしろい内容です。
福音館書店の編集者・岡田さんも、
ときどき混ざってくださいます。
担当はほぼ日奥野です。どうぞ〜!

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第2回 祖父江センセイの紙講座。

──
祖父江さんには、
そういう実験みたいなことをするとき、
あるていど、
経験からの「予想」があるんですよね。
祖父江
うん、予想というかなあ、希望がある。
さっきの酒井駒子さんの表紙のときは、
高温で押した部分だけ、
蠟引きしたようになるといいなーって。
──
ははあ。蝋引き。
祖父江
ただね、ヴァンヌーボVっていう紙は、
ビトコーザイが、ちがうんで‥‥。
──
ビト‥‥なんです?
祖父江
えっと「微かに塗る工の剤」と書いて
微塗工剤っていうんだけど、
ヴァンヌーボVっていう紙は、
ほかの微塗工紙とはちがって、
表面にカプセル状の薬剤が塗ってあるの。
──
その塗られているものが、特殊?
祖父江
そうそう、カプセルというか、
小さくて丸いクニュクニュしたものが。
なんだろう、イクラみたいな。
岡田
イクラ!

──
が、紙の表面に!?
祖父江
だから、高温でグッと型押ししたとき、
そのイクラが破裂して、
インキはどうなるんだろうってのがね、
わからなかったんです。
──
そんなことをする人、いないから‥‥。
祖父江
つまり、それまでの紙っていうものは、
塗工というと、
石灰岩を砕いた粘土を塗ってたんです。
それで印刷をよくしとこーとしていて。
コート紙っていうんだけど。
──
印刷を「よくしとコート」‥‥。
コート紙って、そういうことでしたか。
紙に何かを塗っているんだろうなとは、
うすうす思っていましたけど。
祖父江
そう、その石灰岩の量がたっぷりになると、
コート紙じゃなく、
アート紙というクラスになって、
もう石に印刷してるようなものです。
え、何で、こんな深い話に?
──
おもしろいから、続けてください。
祖父江
えー、ほんと? いいの? 
掲載のときバッサリなかったりして。
とにかくね、石を塗らないで、
薬を塗ることにしようっていうのが、
微塗工紙ってやつなんですよ。
──
なるほど。
祖父江
なので、印刷のノリはいいんだけど、
薬の種類によっては、
紙が焼けちゃう可能性もあるんです。
ですよね?
岡田
たしか、ヴァンヌーボは、
サンポーキンやると焼き付いちゃう、
みたいな話を‥‥。
祖父江
わ、そうなんだ!
岡田
聞いたことがあります。
──
サンポーキン‥‥本の天地と小口に
金箔を塗るやつでしたっけ。
岩瀬
そうです、漢字だと「三方金」です。

岡田
ヴァンヌーボであれをやると、
ページ同士がくっついちゃうらしく。
祖父江
いいこと聞いた!
とにかくね、みんなが、こう言うの。
誰が刷ってもキレイなヴァンヌーボ。
──
おおー。できる子。
祖父江
紙そのものへの浸透性はすくないし、
イクラとイクラの隙間に
インクがぐいっと入りこんだ状態で
出てくるから、
すっごくキレイな印刷になるんです。
──
そんなミクロの世界の話ですか。
それはフランスの紙なんですか。
祖父江
日本です。日本の紙。
フランス人っぽい名前になってるけど。
ヴァンヌーボが発売されたときって、
これ以外ないってくらい、
ヴァンヌーボばっかり使われました。
──
大ヒット作。革命的だったんですね。
祖父江
ふつうのインキを
ベタで刷っただけなのに、
まるで蛍光剤で刷ったかのように
あざやかになっちゃう。
岡田
たしかに革命的だったと聞きます。
強いて言えば、乾きが悪いくらい。
祖父江
ああー。インキが紙に浸透せずに、
イクラに乗ってるからね。
──
その革命が起きたのはいつですか。
祖父江
2000年代のアタマとかかなー。
日本であんまり大人気だったので、
アジアの方で、
ソックリ紙も開発されましたしね。
──
ソックリ紙‥‥。
祖父江
そっちまで大人気になっちゃって。
岩瀬
もとの紙が優秀だったからですね。
祖父江
ここで紙の歴史をひもときますと、
80年代くらいにまず起こったのが、
「バルキー」系の革命なんですよ。

──
バルキー革命。
祖父江
これやってると、
えんえん本題に入れない気がする。
──
おもしろいから大丈夫というふうに
ひとまずは考えて進めましょう。
それって、どのような革命でしたか。
祖父江
工業用紙というものは、
表面が硬くないと印刷しにくい。
よく、活版印刷には、
フワフワした紙が合ってるって
かんちがいがあるんだけど。
──
あ、そんなイメージあります。
紙の繊維がピロピロ出ているような。
祖父江
実際にはね、表面の硬い紙のほうが、
印刷がキレイに出るんです。
でね、カメラマンの藤原新也さんが
インドで撮った写真を、
ハイバルキーっていう、
すごいゴソゴソした紙に刷ったことがあって。
──
ゴソゴソ‥‥と言いますと。
祖父江
つまり、当時「写真」と言えば、
絶対「コート紙」だったんです。
それなのに、写真を刷るには
あきらかに向いてない粗悪な、
今で言う嵩高紙、
表面がゴソゴソした紙に印刷して、
それが新しくて、事件だったんですよ!
──
事件とまで! それだけ画期的だった。
祖父江
当時はハイバルキーが出たばっかり。
具体的にいつ出たかと言うと‥‥。
何でこんなお勉強会になってるのか。
えーっと、ちょっと待ってね。
──
ハイ、祖父江センセイ。
祖父江
えっへん。えーっと、
ハイバルキーが出たばっかりのとき、
ぼくも使ったんですけど‥‥
たぶん1983年か、1984年か。
とにかく、カッコよかったんです~。
ゴソゴソしてて、軽くって。

──
ええ、ええ。
祖父江
そんな紙に、
藤原新也さんは写真を刷っちゃった。
写真はキレイである必要がないって、
そういうカッコよさね。
岡田
写真集たるもの、
キレイな紙に美しく刷るべきという
固定観念にたいして‥‥。
祖父江
紙粉とかが飛んでいても気にしない、
みたいな。
──
はあーっ‥‥。
祖父江
当時はとくに柴又の寅さんと同じで、
「♪目方で男が売れるなら~」
って感じで、
本も重量で買うような時代だったの。
「えっ、1000円にしては薄いな」
とか、
「もうちょっとぶあつくしなきゃあ、
1000円、取れないぞ」とか。
──
そういう意味でも、重宝されて。
祖父江
そうね、「束(つか)」が出るから。
で、それくらいからですよ。
紙の大騒ぎが、いろいろ起こるのは。
コート紙なのに、
光反射のないマットコートが出たり。
元になる古紙をぜんぶ溶かさずに、
前の紙の印刷された文字が、
まだ残ったままの状態の紙が出たり。
岡田
モダニィ、ですね。
──
わざわざ、きちんと溶かさずに?
祖父江
ぼくが子どものころっていうのは、
トイレに行ったら「便所紙」。
あれ、四角い紙に字が書いてある。
佐野
はい、あったあった。
祖父江
前の紙が溶け切ってない粗悪紙で、
そんなのだから、
よく見ると字が残ってるんです。
おしりを拭く前に
「わぁーっ、字が書いてあるぅー」
ってまじまじ見てから、
おしりを拭いたもんです、ぼくら。
──
おしりの前に、まじまじと。
祖父江
モダニィという紙は、
それを意図的にやった商品なのね。
ほら、セイコちゃんとかもね。
──
セイコちゃんというと、どちらの‥‥。
祖父江
松田聖子ちゃん。
何かね、グッズのために
「seiko」の文字が
バラバラに入ってる紙をつくって、
ステーショナリーとか
売ってたんですよ。
──
つまり、セイコちゃん紙。
祖父江
ぼくも、吉田戦車さんの
『伝染るんです。』の見返し用紙に、
カワウソの絵が
バラバラになって入ってる紙が、
ほしいなと思ったんです。
そこで、
カワウソのイラストをいちど
目とか鼻とかのパーツに分解して、
それを精製して、
カワウソ紙ってのをつくったんです。
──
へええ、おもしろい!
祖父江
でも、見返しにしかつかわないのに
製造の最低ロットが何トンとか、
消費し切るのに、
何年かかるんだという話になってね。
岡田
たしかに‥‥。
祖父江
結局ね、マボロシになっちゃったの。
──
幻の「カワウソ紙」‥‥。
祖父江
あれはね、残念だったんですよねえ。

(つづきます)

2019-12-03-TUE

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  • 祖父江さん+佐野さん+岩瀬さんが集結!
    junaidaさんの絵本『の』が売れている。

    まだ発売してそんなに経っていないのに、
    すでに重版がかかっているという
    junaidaさんの最新絵本が、『の』です。
    の‥‥という言葉が連れていってくれる、
    王様のシルクのふとんの大海原、
    銀河のはての美術館、
    女の子の赤いコートのポケットの中‥‥。
    この絵本をつくったのが、
    本連載で語り合う3人のプロたち。
    南青山のTOBICHI2では
    『の』の原画展&
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