苦手な方にはごめんなさいね、
ナメクジのお話がおもしろかったんです。
じめじめした場所でにゅるっと現れ、
塩をかけられて無抵抗なまま縮んでしまう、
ちょっとせつない嫌われ者のナメクジくん。
そんなナメクジにも脳があって、
考えたり、喜んだり、嫌がったり、葛藤したり、
「心」を感じさせる実験が行われています。
福岡女子大学の松尾亮太教授は、
日本にただ一人しかいない、
ナメクジの脳のスペシャリストです。
競わず、マイペースに研究をつづけて20年、
先生が見つけたナメクジの“脳力”に触れてみます。
担当は、ほぼ日の平野です。

ナメクジ写真:玉つむ(かたつむりが好き)

>松尾亮太さんプロフィール

松尾亮太 プロフィール画像

松尾亮太(まつおりょうた)

1971年、兵庫県伊丹市に生まれ、
大阪箕面市で育つ。
京都大学理学部卒、
東京大学大学院理学系研究科修了。
大学院時代はラットを用いた脳研究に従事し、
「海馬長期増強に伴い発現変化する
遺伝子の網羅的探索」で博士(理学)取得。
三菱化学生命科学研究所特別研究員を経て、
2001年、東京大学大学院薬学系研究科助手。
ここでナメクジの脳研究に出会う。
2005年、徳島文理大学香川薬学部講師、
2012年、同准教授。
2013年、福岡女子大学国際文理学部准教授を経て
2019年、同教授。
ナメクジの学習機構、および嗅覚、視覚の
研究に従事している。

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第3回 やってないこと、やったろ。

──
ナメクジを研究するにあたって、
マウスやラットと比べて
どこがおもしろかったのでしょうか。
松尾
マウス、ラットの常識だと考えられないことを
ナメクジがやるっていうのがひとつ、
もうひとつは学習のおもしろさですよね。
さきほどお見せしたような行動実験って、
マウス、ラットの場合は
相当熟練していないと安定した結果が出ないんです。
ところがナメクジは、
どんな素人がやっても、きれいに結果が出るんですね。
──
へえー!
松尾
こんなに学習実験がきれいに出るなんて、
すばらしいなと思ったんですよ。
マウス、ラットに学習させる場合、
われわれヒトが学ぶときと同じで、
手掛かりだけを覚えるんじゃなくて、
そのときの周りの雰囲気であるとか、
におい以外の視覚的情報も覚えちゃうんです。
「苦い」ということを覚えさせたいのであれば、
においも音も全部制御しないといけませんが、
幸いナメクジには音も聞こえていないし、
目もそんなによく見えていないんです。
だから、嗅覚と苦かったという情報を
ダイレクトにリンクさせやすいんだと思うんですね。
誰がやっても安定した結果が出る、
これは行動実験系としてすばらしいなと。

──
なんて都合のいい動物。
松尾
それからもうひとつ、
軟体動物の世界では常識だったんですけど、
脳を取り出してきて、
それを生かしておくということができるんです。
マウス、ラットは不可能なんです。
ものすごく神経を使ってやれば、
ある限られた条件で生かしておけるんですけど、
まあ、だいたい死んでしまうんです。
ところがナメクジは、
どうってことない生理食塩水に漬けておいても、
脳が生理学的に生きているんですよ。
──
不死身の生き物みたいですね。
松尾
さらに解剖されたような
人間で言うところの首から上の状態でも、
しばらく生かしておけるんです。
それに学習させることもできるんですよね。
──
ひえー!
松尾
そんな話を聞いたものですから、
マウス、ラットでは不可能なことをできるのが、
これはすごいなというのがありましたね。
ナメクジの実験をしているところに行って、
いざ触ってみたらおもしろかったということです。

──
そこではナメクジ研究者の仲間もいて。
松尾
もう1人同僚がいたくらいですかね。
そのあと研究室が解散することになって、
違うところへ行ったら、
違うことをやらないとしょうがないですよね。
ナメクジの生態や分類の研究者であれば
もうちょっとはいるんですけど、
ナメクジの脳をメインで研究しているのは、
ほとんどうちくらいちゃうかな。
私が以前いた徳島文理大学で
一緒に研究をやってくれていた人が
今も細々と続けてくれていますが、
そこも「ナメクジがメインの研究室」
という訳ではないですね。
──
研究者の数はもともと少ない中で、
松尾さんはずっと続けられているんですよね。
20年もどうして続けられるのでしょう。
松尾
私が続けることに動機があるというよりは、
みんな、研究を続けたくても
続けられなかったんだと思うんです。
積極的にテーマを変えていった人もいますよ。
ナメクジの脳では研究予算が取れないとか、
そういう理由ももちろんあります。
マウス、ラットやハエでしかできないような、
遺伝学的な操作は、ナメクジではまだできないし。
いろんな制約もあって、事情もありますよね。
就職先で、ナメクジの研究をやらせてもらえないとか。
たまたま私の運がよかったのか、行った先々で、
ナメクジの研究をさせてもらえています。
そのおかげで続けてこられたんです。
まあ、マウス、ラットにもう1回戻りたいとも
思わなかったというのもありますけれどね。
──
ナメクジの研究を始める前に、
ナメクジに対する
好き嫌いの気持ちはありましたか。
松尾
世の中の農家の方や、
家庭菜園を持っている方にとっては、
農業害虫として憎き存在でしょうね。
うちは農家でもなかったので、
「憎き敵」という印象はありませんでした。
私にとってのナメクジは、
ゴキブリやハエに対するイメージほどは悪くないです。
どちらも実験動物に使われますけど、
ナメクジに対してはニュートラルに近い感じでした。

写真:玉つむ 写真:玉つむ

──
ナメクジの研究は、自分の性に合っていますか。
松尾
合っているんじゃないかな。
割とあまのじゃくなところがあるので、
「みんながやってないこと、やったろ」
みたいなところが性格的にはあるんで。
──
マウス、ラットはみんながやっていることだし。
松尾
あと、競争が嫌いなわけじゃないんですけど、
競争のことで気を取られるっていうのは、
けっこう無駄だと思うんですよね。
みんながやっている研究をした場合、
自分が研究している後ろで、並行して
世界のどっかで同じ研究をしているかもしれない。
で、自分が論文を発表する直前になって、
誰かが同じ論文を出してくるかもしれないなんて、
なんでそんな気にせないかんのかって思うでしょ?

──
ペースが乱されちゃいますよね。
松尾
自分の仕事の価値が、
他人がやっているか、やっていないかで
なぜ変わるんだろうって思うんです。
たぶん、誰でもそう思うんじゃないかなあ。
ナメクジの脳の研究なら心配することもなく、
まったくストレスなくできるんですよね。
ま、競争が好きな人ってのもいるんです。
「俺が一番を取ってやる!」
ということに情熱を燃やす人やったら、
むしろマウス、ラットがいいと思いますけど。
──
メーカーにたとえると、
需要の高い新商品を
競い合って開発しているような人たちですよね。
松尾
しかも、ほかが開発しそうなものですから。
たとえば、コロナウイルスのワクチンは
どの製薬会社が最初に開発するんだとか、
アルツハイマーの決定的な治療薬を開発するだとか、
みんながやりたいけれどできないことを
最初に開発するっていうのは、
もちろんおもしろいと思うんですよね。
ただその分ストレスもあって、
ライバル企業に先を越されて負けになったら、
もう何も残らないんですよね。
──
先ほど例に出されていたマウスやラットは、
それこそアルツハイマーの薬にもつながるような
実験に使われたりしていますよね。
松尾
はい、そうですね。
──
松尾さんが研究しているナメクジの場合、
人間の健康や生活に
役に立つようなことはあるのでしょうか。
松尾
初めから人の役に立つようなことを
指向してやっているわけではないですね。
ただ、研究がうまいこと進んでいけば
アルツハイマー病の病因のひとつが
突き止められるかもしれないなと考えています。
アルツハイマー病の患者の脳を見てみますと、
死にかけている、あるいは死んだ
ニューロン(神経細胞)を見てみると、
DNAが1.5倍だとか1.8倍だとか、
中途半端に増えていることがあるんです。
それって本来、ありえないことなんですよ。
人間の脳の神経細胞は絶対に分裂しないように、
あるいはDNAを増やさないように、
がっちりロックがかかっている状態なんですよ。
ところが、そこでうっかり間違って
DNAを複製してしまうことで、
神経細胞の死につながると考えられています。
──
はい、それが人間の場合ですね。
松尾
人間では御法度で絶対にやらない
ニューロン内のDNA複製を、
ナメクジの場合は逆に、どんどんやります。
本来の2倍体から、
4倍体、8倍体、16倍体、32倍体と増やして、
最後には1万6384倍体というふうに
どんどん増やしていくニューロンもあるぐらい。
要するに、鋳型となるDNAを増やしておいたら、
そこからできるRNAもタンパクも増やせるでしょ、
という発想で、
本来タブーとされるDNA複製を逆手にとって、
ものすごく有利に使っているわけなんです。
人間だったら絶対ヤバいやろという発想の転換を、
ナメクジがうまく利用しているのに驚きました。
それが治療薬にまでつながるかわからないですけど、
ちょっと視点を変えれば
すごくおもしろいなと思っているんですよね。
──
人間には真似できない生き方を
ナメクジはしているんですね。
もしかしたら将来、
ナメクジに救われる人がいたりして。

(つづきます)

2021-01-31-SUN

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  • このインタビューをさせていただく
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